xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

小学生の親になって思うこと

先日、小学校の先生から
「○○くんがまだ帰宅していないらしいのです。○○くんとどこで別れたのか、お宅のお子さんに聞いてもよろしいですか?」
という電話があり、小学1年生の娘に電話を代わった事がありました。

我が子が通う小学校では登校は各自ですが、下校時は集団下校をしています。学年ごとに日々の授業のコマ数は異なるので、たまたまその日は同じ時間帯に下校になろうと、その集団下校は学年ごとのグループとなります。
行方不明となった○○くんと私の娘は同じグループなので、どこまで一緒だったのかを聞きたいという事でした。

その日は短縮授業のため普段よりも下校時間が早く、○○くんのお母さんは、その下校時刻にご自分の帰宅がギリギリ間に合わなかったのだそうです。時短勤務かパートタイムかで働き、子どもの下校時刻にはお母さんが家にいるようにしていた家庭だったのか、○○くんを学童保育に入れる事も、玄関の鍵を持たせる事もしていなかったのでしょう(我が子とは幼稚園が異なったので事情は分かりません)。
寒空に子どもが家に入れずに困っているだろうと急いで帰宅してみると、どこにも息子の姿がない。慌てて学校に相談をし、同じ帰宅グループの家庭に学校側が電話をしたという流れでした。
結局○○くんは同じ帰宅グループの男の子の家にいる事が分かり、一件落着となりました。

もうすぐ二学期も終わろうという今、改めて幼稚園と小学校の違いを保護者目線で挙げるならば、私は「小学校は下校時間の変化があまりにも多い」事だと思います。
もちろん幼稚園でも運動会や学習発表会(お遊戯会)前日、学期末などは午前中にお迎えの日はありましたが、保護者が降園時間にお迎えに行けない場合には、幼稚園の先生にそのまま延長保育をお願い出来たので、子どもの身の安全は確保されていました。ところが我が子が初めて小学生になった今、やれ今日は15時30分下校だ、今日は給食なしだ、今日は13時40分だ、14時30分だ、13時15分だと様々な時間に下校となる事に(自分もかつて経験しておきながら今更)気が付いたのです。下校時間がまちまちになる理由の殆どは先生方の研修会など、先生の都合によるものでした。これでは外で仕事をしている保護者は常に子どもの帰宅時間を気にしなければならなくなるので、気が気ではないだろうなと思うのです。
仕事などで小学校低学年の子の下校時刻までにその家の大人が在宅できない場合の為に学童保育がありますが、その場所が小学校とは別の場所にある事も、ついこの間まで幼稚園児だった子どもの事を考えると私には不安があります。学校から学童保育の場所までの道のりもまた、我が子の小学校ではグループで移動する訳なのですが、途中に大きな交差点があるからです。またその学童保育にも定員があるので、何らかの事情で突発的に利用しようと思っても、それが叶わず困ったご家庭もあるのではないでしょうか。
我が家が住んでいる地方自治体には一つだけ私立の小中学校があるのですが、そこには学内に学童保育があり、更にスクールバスで送迎という特色があるそうです。私が夕方にそのバスを見かけた時には、幼稚園児から中学生くらいの子までもが一緒に乗車していました。もちろん利用にあたってはそれなりの金額が請求されるのだろうなとは思いますが、このような取り組みがある事を子どもの幼稚園願書提出前に知っていれば、この学校の付属幼稚園から子どもを通わせておくべきだったと悔やんだ方がいてもおかしくは無いと思いました。それが理由かは定かではありませんが、娘が幼稚園時代に同級生だった子のうちの数人は、公立ではなく、この私立の小学校に進学しています。

「小1の壁」とは、子どもが小学生になった時に、主に母親が、これまでと同じようには働けなくなってしまう社会的な問題の事です。これまで私は「そうは言うものの、学童保育があるでしょ」と高をくくっていました。ところが実際に自分の子どもが小学生になってみると、朝に学校の玄関が開くのは7時40分からで、それより早くは児童は校舎に入れないという決まりがある事に驚きました。親御さんは勤務地によってはかなり早く自宅を出なければならない方もいるでしょうし、朝早くから仕事がある方もいるでしょう。その家で最後に出発する人が小学1年生の子どもだったなら、戸締まりなどの不安が拭えない事は想像に難くありません。親の出勤時間と一緒に自宅を出たのか、朝7時前から校門付近にいる児童も実際にいるらしく、学校から配付された文書には「7時40分頃に校門に着くよう調整して下さい」というものがありましたが、家庭によってはそれは酷だろうと思いました。早朝に学童保育は(少なくとも我が家が住む自治体には)無いのです。

PTA活動というものもまた、家庭に大きな負担を強いている事もあるかと思います。少子化問題を取り上げたネットニュースに投稿されたコメントの中に「PTA活動が嫌すぎて子どもを多く持てない」というものを目にした事があります。子ども一人で六年間。年子で子ども二人なら七年、二学年差で子ども二人なら八年、それ以上ならもっと長い期間、保護者はPTA活動に関わる事になります。
我が子の幼稚園の役員決めは、仕事がある方や未就園児がいる方、妊娠中や介護などがある方は最初から候補から除外されていました。また全保護者が参加する活動も、日程を選べました。ところが小学校のPTA活動ではそういう配慮は一切無いらしく、現在学年委員長をしている方のご家庭には未就園児のお子さんがいらっしゃるそうです。今年度は新型コロナウイルスの感染予防対策で殆どのPTA活動が行われていない事は幸いだったと思いました。
私には現在、登校時間の横断歩道の見守り活動が割り当てられていますが、何人かで組んで当番制になっているそれに、実を言えば全員が参加している回は今のところ一度もありません。小学生が登校する朝の7時から8時までの一時間程度であっても、自宅から離れられない方や、もう出勤していなければならない方が多いのだろうと思います。専業主婦の私も、夫の出勤時間が早いので、幼稚園に入園した下の子を早朝預かり保育にお願いしておかなければその活動には参加できません。我が家は何とかなっていますが、PTAは核家族は想定していないのか、子どもは小学生以上しかいないと思っているのか、未就学児を一人で留守番させる事を推奨しているのだろうかと実はモヤモヤしています。私の子どもが通る訳ではない横断歩道に立つ度に、そんなに児童の安全が心配なのであれば、いっそ警備会社に依頼して、それをPTA会費で賄えば良いのにと実は思っています。

冒頭に挙げたように、子どもの下校時間がまちまちなせいで、保護者は仕事のリズムが一定に出来ないという問題もあります。それが仕事が響かないようにする為には、最も早い下校時間に常に合わせた勤務スタイルにしておくしかないと思いますし、学童保育が利用できても、学童が休みの日には必ず休みになる仕事しか出来ません。
そもそも、どうして小学校の校舎の中で児童の預かりは出来ないのでしょうか(もしかしたら我が家が住む自治体だけなのかも知れませんが)。例えばアメリカの小学校などでは校内の掃除は用務員さん、あるいは清掃業者の方のお仕事なので、児童に残られていては掃除の邪魔になる為に早く下校して欲しいだろうと思います(そしてスクールバスや保護者が迎えに来るのが一般的との事)。しかし日本では掃除は児童らが行うので、放課になった後も児童が校内に残っていても邪魔にはならないように思います。高学年がクラブ活動をしているのと同じように、低学年にも学童クラブが校内にあれば良いのです。教師に授業の準備や研修会などあって手が一杯であるならば、クラブの顧問は外部の方に依頼すれば良いのではと思うのです。学校のセキュリティチェックが大変だと言うのであれば、事務の方をもっと多く雇えば良いのでは。それが出来ない理由が分からないので、私は単純に、そんな風に思うのです。

私が小学校の入学説明会に出席した時に戸惑ったのは、我が子が通った幼稚園の保護者会とは出席者の雰囲気がずいぶん異なったからでした。幼稚園と保育園ではそもそもの利用目的が異なりますし、園によって様々に特色があります。それ故に、似たような考えの家庭の方がそれぞれの園に集まりやすいのだろうと思います。しかし公立小学校は単純に住んでいる学区で進学先が分けられるので、様々な家庭の方が集まります。どの家庭にもそれぞれに事情があり、だからこそ我が子が通った幼稚園の役員決めのような配慮をしてはいられないのでしょう。
幼稚園や保育園は義務教育ではないので、園にとって園児やその保護者は「お客様」です。その感覚が保護者から抜けきらないので、例えば先の私のように、「下校時間がまちまちで困る」などと、「いつも同じ時間まで子どもを預かっていて欲しい」というように、保護者と学校側とで認識に齟齬が生じてしまうのではないかと思います。
小学校は小学校で、公立であるが故か、「みんな平等」を気にし過ぎのような気がします。校舎内に学童保育が設置できないのも、それを利用する児童ばかりが先生と、より親しく交流できるようになってしまうからなのかも知れません。きっと、校内で学童保育をする場合、児童全員を対象としなければ、どこからか「不公平だ」という声が上がるのでしょう。

小学校はあくまで教育機関。家庭と一緒に子どもを育てるパートナーだった幼稚園や保育園とは立場が違うのです(幼稚園も文科省管轄の教育機関ですが、「生活」を教えている点では差異は無いかと思っています)。私の子どもの連絡帳は子ども自身が書いてくる連絡事項程度しか書いていない為、まだまだ残りページに余裕がありますが、娘が言うには、同じクラスの中には、既に二冊目もだいぶ進んでいる児童もいるそうです。何をそんなに書く事があるのか分かりませんが、それは対応する先生の本業の範囲内である事を願います。
私たち児童の保護者は、もう「お客様」ではないのです。PTAは、日本語では父母と教師の会。どちらかがどちらかに使われる立場ではなく、協力して児童の育成に携わるのが本来の姿なのだろうと思います。先日は私が横断歩道の見守り活動で目撃した、危険だと感じた児童の行為を活動日誌で報告したところ、交通安全担当の先生が全校集会で注意喚起したらしく、子どもの担任の先生から我が子の連絡帳にお礼の一文がしたためられてきました。しかし、先生から「お礼」をされるのも何だか違うような気がしています。
今年度は新型コロナウイルスの影響で、殆どのPTA活動が行われていないようです。それでも我が子は今のところ欠席する事なく登校しており、行事は形を変えたり無くなったりはしても、先生方のおかげで学校活動に特に支障は無さそうです。だからこそ余計に、PTAとは一体なんなのか、存在意義がよく判らなくなってきました。

今年も残りあと僅か。来年度こそはPTAが動かなければならない行事が開催されるのか否か。開催されたあかつきにはPTAの存在意義が知らしめられるのか。それを確認するまで残りあと8年、PTAママでいる事が少しだけ楽しみになりました。

その人らしい服、記号としての服

NHKで放送されていた「未来少年コナン」を観た時に、こんなにも資源に限りのある環境であるにも関わらず、女性が女性用の衣類を着ている事に気が付き、私は妙に感心してしまいました。
未来少年コナン」とは、核兵器以上の威力を持つ「超磁力兵器」が用いられた最終戦争が勃発し、大陸は変形し地軸も曲がり、多くの都市が海に沈んでしまった後の未来の物語です。過酷な環境の中でも生き延びた人々のうち、前時代の巨大な塔を中心とした都市のインダストリアでは、人々は階級によって生活を分けられていました。
市民階級の最下層は奴隷同然の扱いを受けており、茶色の粗末な衣類を着ています。もしかしたら他の市民階級でも階級や従事する仕事によって着用できる衣類は決まっているのかも知れません。インダストリアの上層部の人間として登場する女性は兵の指揮を執る立場であるので男性戦闘員と同じ服装でいる事が多かった為(淡い黄色系のワンピース姿で登場した事はありましたが)、資源が乏しいこの世界では、仕事上での制服は男性用も女性用も特に分けられていないのだろうなと私は勝手に解釈していました。
ところが最下層民である地下の住人をよく見ると、女性は男性同様の茶色の衣服ではありましたが、下がスカートになっていたのです。行政局次長が専用の制服ではなく男性戦闘員と同じ服装をしているのにも関わらず、奴隷の衣類には男性用と女性用がある。しかも、布を多く使用するスカートを。
物語、しかもアニメなので女性は女性だと分かりやすくなるようスカートという記号を当てはめただけなのだろうとは思いますが、下着ならばともかく、そこまでして衣類は、男性用と女性用とに分けなければならないものなのでしょうか。

我が子の幼稚園の制服は、上はブレザーで、中には白ポロシャツを合わせ、下は男児は吊り半ズボン、女児は同じ柄の吊りスカートです。ブレザーは男女共用なので、上の子である娘が入園の時に購入した制服を、娘が卒園した後に入園した息子がそのまま着用しています。ちなみにボタンは着た人から見て右側にあるので、形式としては男性用の作りとなっています。
この制服ですが、娘の時には防寒や下着のチラ見え防止、園内での着替えの時短の為に、制服スカートの下に幼稚園内ではくハーフパンツをはかせて登園させる事がよくあったのですが、半ズボン制服の男児にはそれが出来ない、という点が個人的にネックだと思っています。ハーフパンツの方が制服半ズボンよりも丈が長く生地も厚く、重ねばきをするとハーフパンツがもこもこしてしまう為、女児のように制服の下にハーフパンツをはかせての登園が男児には出来ない。男児こそ登園したならば、さっさと着替えて遊びたいだろうになと思うのですが、女児のように既に着ておく、という技が使えないので、私としては半ズボンの制服は少々面倒に感じています。またサスペンダーがあるせいで、ブレザーを着る季節は特に、園児のトイレの時には先生方が大変なのではないかという点も実は憂慮しています。

その幼稚園では先日、コロナ禍ではありますが学習発表会(お遊戯会)が開かれました。ダンス時に着用する衣装は園が用意してくれるので保護者としては大変楽なのですが、女児のみ、特別な用意をしなければなりませんでした。それは白のカバーパンツ(見せパンツ)です。
衣装のスカートは、より可愛らしく魅せる為か短い仕様になっているので、カバーパンツを着用しなければ踊っている最中に下着が見えてしまうのです。それに対し男児の衣装は女児衣装のスカートと同じ丈、同じ柄でありながら半ズボンなので、カバーパンツは不用なのです。
私は今回、男児の親なのでカバーパンツの用意はしなくて済みましたが、女児の親で、その子が一人目の子だという親御さんは「カバーパンツって何? どこで売ってるの?」と戸惑っていました。もちろん私も女児である上の子の時には、慌てて用意したものです。
男女混合ダンスで、見た目には大きな差異のない衣装なのに、男児と女児では事前の準備が異なる。いっそ女児も半ズボンの衣装にしてしまえば保護者の苦労は平等になるのになと思いました。

何故、女児はスカートでなければならないのか。その問題提起として、男子生徒がスカートを着用する活動が行われているという記事を読みました。


男子生徒がスカートで登校。何が起こった?制服への抗議運動が、カナダの高校生の間で広がる
https://m.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f83a20fc5b6e5c32000327f?utm_hp_ref=jp-homepage&ncid=other_homepage_tiwdkz83gze&utm_campaign=mw_entry_recirc

カナダ東部のケベック州にある複数の学校で、制服のルールに抗議するために、男子生徒がスカートを履いて登校している。

現地メディアが複数の学生に取材。彼らが訴えているのは、ジェンダー平等と性的マイノリティの権利についてだ。

以前、私は「男子生徒がスカートを着用する方が不妊問題の解決になるのでは」というような内容を投稿したような覚えがあります(読み返す気は無い)。
このカナダでの活動は男性不妊の原因解消という視点ではなく、心のありように合わせて自由に制服を選べるようにするべきだという主張、性差別的なドレスコードや、女性の身体の過度な性対象化に異議を唱えてのものだそうです。

日本でも制服の男女差を無くそうと、姫路市延末の市立山陽中学校で、男女ともスラックスを標準とする新しい制服にすると発表した記事を以前読んだ事があります。

学校制服、男女でスラックス標準に 姫路・山陽中
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/sp/0013737981.shtml


女性はしばしば下半身を冷やすなと言われているにも関わらず、制服がスカートである事に私はずっと疑問を抱いていました。波風をたてても面倒だと学生時代はおとなしくスカートの制服を着用してきましたが、特に自転車通学となった高校時代は風に気を付けなければならないし、寒いしで、本当にスカート制服は嫌でした。多くの女子生徒はスカートの下に運動着を重ねばきしており、教師の目がある所ではジャージを膝まで折り曲げ、スカートからはみ出ないように誤魔化していたものです。
制服が男女とも同じスラックスとなれば、サイズさえ合えば性別問わずにおさがりが可能となるので、資源の無駄遣いも減らせて一挙両得な気がします。

以前放送されたNHKチコちゃんに叱られる!」では、シャツのボタンが男女で逆に付いているのは何故か、という質問が登場しました。答えは「女性は他人に服を着せて貰っていたから」でしたが、それは高貴な女性が着るドレスは構造が複雑で、一人で着る事がとても大変だった事が切っ掛けでした。
現代の多くの女性は、自分の衣服は自分で着ている事が多いかと思います。ならば男性と同じように、女性のシャツも大半の人の利き手である右手で留めやすい側にボタンはあるべきだと思うのです。

男性と女性が同じ衣服をまとう事になると、何が問題となるのでしょうか。まず浮かんだのが、女性には乳房があるので、胸部のサイズに合わせて衣類を選ぶと、ブラウスなどの裾部分が腰でもたつく事がある、という問題です。男性のワイシャツなどが真っ直ぐ下に下りてくる形状であるのに対し、私の手持ちのブラウスは胸部より下にかけては身体にフィットし、細く見えるようにデザインされています。
いわゆる萌え絵における「乳袋(ちちぶくろ:服の布地が乳房に貼り付いているかのような不自然な描き方)」のような立体縫製のデザインになっているおかげで、女性用ブラウスは女性の身体のラインを強調しています。男性が誤って、こうしたデザインのシャツを着用しないようにする為には、ボタンの付く側は現状のように男女で別々のままの方が良いのかも知れません。
しかし、そもそも女性用の衣類で身体のラインを協調させる理由とは何なのでしょうか。中世ヨーロッパ等で高貴な女性が着用していた裾が円型に広がった、いわゆる輪っかドレスや、骨盤辺りで横に広がったようなデザインのドレスは、女性の体型を強調し、性的魅力を増大させる為のものであったかと思います。同じように現代の女性のブラウスなどの立体縫製もまた、男性に女性性をアピールする目的が少なからずあるのだろうと思います。
Eテレ「デザインあ」では、衣類を着る目的は防寒や怪我などからの防御、これから仕事だ、あるいはパーティーだと気分の変化を盛り上げる道具、そしてスポーツの試合で誰がどのチームなのか見分ける事が容易になる為だと挙げられていました。冒頭に挙げた「未来少年コナン」でも、スカートは、この人は女性だと分かりやすくする為の記号だろうと予想した通り、衣服はその人を現す記号としての役割もあります。ならば中学や高校の制服が男女ともスラックスになってしまうと、教師が生徒を識別する事が大変になってしまう、という問題が勃発するのかも知れません。

姫路市延末の市立山陽中学校では、申請すれば男子生徒でもスカートの制服が着用可能となるそうです。すると今度は、単に好みとしてスカートをはきたい女子生徒がスカート制服を選んだだけで「男性に媚びている」などと中傷を受けかねません。それはそれで、心の侵害となってしまうでしょう。
マクドナルドのハッピーセットの玩具は毎月内容が変化し、2020年10月30日からは「リカちゃん」と「プラレール」になっています。そのリカちゃん玩具は、過去に実施された分を思い返しても、いつもドレスです。女児の好みはドレスが鉄板だからなのでしょう。今回のハッピーセットの中の「アラビアンナイトリカちゃん」は、娘は「これはズボンだから可愛くない」とすら言います(ドレスパーツを着ければドレスになるのに)。
この好みはどこから発生するのか分かりませんが、女性がスカートを可愛いと感じるのは事実で、我が子の幼稚園の学習発表会のダンスの、女児たちのスカート姿は大変に可愛らしかったです。男児と同じく半ズボン着用で女児が踊っても、やはり可愛かったとは思いますが、女性の私から見ても裾のひらめく様は格別の可愛さがありました。
制服がスカートかスラックスか選べる中で、女子生徒がスカートを選んだからといって、全員が男性に女性性をアピールしたい訳では無いと思います。私は基本的にパンツスタイルですが、雨の日などは裾が濡れるのが嫌で、スカートを選ぶ時もあります。しかしスカートをはいたからといって夫以外の男性とどうこうなりたいなどという願望はありません。
自分がこうしたいから、その衣類を選ぶ。男性がスカートをはこうが、女性がスカートをはこうが、ただそれだけの事なのに、余計な意味を付け加える人がいるせいで、様々な事が自由になった筈なのに、なんとも窮屈な感じが拭えません。
何かと話題の漫画・アニメ「鬼滅の刃」では、ある男性キャラクターがまとっている羽織は、半分はそのキャラクターのお姉さんの羽織だったものだそうです。しかし作中で「女物を着ている」などとのからかいは受けていなかったように思います(半々羽織と呼ばれる事はありますが)。彼はきっと、自分の意志で、自分が背負うものをまとっているのでしょう。
衣類とは、初めはただ身体を守る為に発明されたものかと思いますが、今ではその人が望む、望まないに関わらず、様々な意味が追加されるようになってしまいました。もっと自由に、この場合はこちらが便利だからという程度で選びたいものです。



実を言えば登園したらすぐにスモッグとハーフパンツに着替える幼稚園児に、式典の日以外で制服を着用する必要がそもそもあるのかとすら私は思っています。お着替えの練習だと言われれば納得は出来ますが、それにしてはお値段が…

キラキラとふわふわ

そのニュースの見出しを見た瞬間、あの日の高揚感を思い出しました。
下の子の幼稚園の初登園日、担任の先生に子どもを任せ、子どもに「行ってらっしゃい!」と手をふってからの、ふわふわとした感覚を。

今の私は何だって出来る。
ああああ、これから何をしよう!?

何でもと言っても所詮、髪を切りに行ったり、コンビニにふらりと立ち寄ったり、自分の好きなタイミングで掃除機をかけられるといった程度。しかも入園したてゆえ降園時間は11時なので、得られた自由時間は二時間だけです。
コロナ禍だったので送迎時には保護者もマスク着用は必須。なので私の顔の下半分はマスクで隠れていた筈なのに、「お母さん、すごく嬉しそうですね!」と上の子の時からお世話になっている園長先生に頬のゆるみを笑われるくらいに、自分だけで行動できる時間が出来た事に私は浮かれていました。

何しろここ数年間、私の行動は全て子どもありきだったのです。子どもの機嫌の良い間にこれをしなければ、昼寝の前にあれを済ませておかなければ…という風に、私のあらゆる行動は子どもを中心に組み立てられていました。妊娠中には独身友人から誘われた映画鑑賞を「何かあってはいけないから」と断った事もありますし、普段の買い物も、帰り道に子どもが抱っこをせがんで来た時の為に量を制限するなどをした事は少なくありません。
これまで上の子を幼稚園に登園させた後は、未就園児の下の子の興味のおもむくままに寄り道を余儀なくされながら帰路についていました。それがとうとう下の子の入園で、私は初めて一人きりで帰宅する事になったのです。
下の子の初登園日の帰路は自分のペースで最短ルートを歩ける事に道中感激し、帰宅した際に時計を見て、こんな時間に帰って来れたと胸が踊ったものです。

だからこそ、
「赤ちゃんいると夢かなわない」
この見出しに鼻の奥が痛みました。


「赤ちゃんいると夢かなわない」 元女子大生 遺棄後も就活続ける
https://www.fnn.jp/articles/-/102888

兵庫・神戸市の北井小由里容疑者(23)は、女子大生として就職活動中の2019年11月、産んだばかりの自分の赤ちゃんの遺体を東京・港区東新橋の公園に埋めた疑いが持たれている。

その後の調べで、北井容疑者は動機について「赤ちゃんがいると、わたしの夢がかなわないと思った」などと話していることが新たにわかった。

結婚して、全力で母親になる為に退職し、その年度中に上の子を妊娠。一般的なきょうだいの年齢差として、二歳差あたりで次の子を授かるべく妊活を進めるも、次の子は上の子とは三学年差で出産。母親になる為に捨てたキャリアを考えると胸がチクリと痛みますが、それでも私は今の自分に満足している。
上の子を幼稚園に登園させてからは、昼間は下の子に付きっきり。幼稚園児は昼過ぎには降園となるので下の子を連れて迎えに行って、夫が帰宅するまでを3人で過ごす。どこへ行くのにも子どもが一緒、そんな生活に不満はない。何しろ「母親」とはそういうもので、私はそうする為にキャリアを捨てたのだから。
子どもがいれば、それこそが「幸せ」で、母親自身が自分の為にあれをしたい、これをしたいなどとは願ってはならない。そう覚悟して私は母親になりました。
しかし、滅私の覚悟をして母親になったにも関わらず、それでも下の子どもが幼稚園に入園した時には、自分の自由な時間が持てるようになった事にあれほどの解放感を味わったのです。
だからこそ、この女子大生が自身の妊娠に気が付いた時の絶望がどれ程のものだったのかと、あの日の高揚した自分と対極にいたであろう彼女の事を思うと、やるせない気持ちになってしまいます。

「赤ちゃんいると夢かなわない」

私は、いくつの夢(やりたい事)を捨てたのだろう。
私自身も実はかなりの我慢をしていたのだとの事実を突き付けられ、幸せだと、自分に嘘をついていた事実を認めざるを得ませんでした。

母親になると諦めなければならない事がいくつも出てきます。上の子の妊娠後期に美容院に行った私が次に髪を切りに行けたのは、およそ二年後、夫が子どもと二人で留守番が出来るようになってからで、行ったのは30分もかからないで終わる1000円カットの店でした。行きたいと思った場所も、でも子どもを連れていく労力をかけてまで行きたいかと自問すると、さほどでも無くなり、独身の頃と比べると、小さな我慢や諦めはとても多くなりました。
今は、小さい子どもがいる母親もお洒落をしてどんどん輝けと様々な特集を目にしますが、所詮キラキラ出来るのはごく一部の人だけ、あるいは短期間だけだと私は既に諦めてしまっています。自分の何かを買うよりは、子どもが喜ぶお菓子や玩具を買いたい。その気持ちに嘘は無いつもりですが、予算にあまり余裕が無いので、単純に、自分の事はどうしても我慢して後回しにしなければならないだけなのです。
でも本当にそれを納得していたかと問われると、自分に嘘をついて誤魔化していただけなのだとの事実を、否応がなく受け入れるしかなくなるのです。

事件は新卒での就職活動中で起きた事のようです。新卒というカードは人生で一度きりの切札。私もかつて、リクナビマイナビといった就活サイトのお世話になりました。未経験であらゆる職種、企業に挑戦できる「新卒」という立場は本当に魅力的です。
テレビドラマに出てくるような憧れの職種、誰もが知っているような有名企業で働く自分。新卒での就職活動とは、頑張りさえすれば、どんな夢だって叶えられると信じている頃だろうと思います。うまくいくだろうかと少しの不安を抱えながら、しかし期待でキラキラしながらリクルートスーツも選んだのではないでしょうか。

私が会社勤めをしていた頃、新卒で入社した社員の中に、内定が出た後に学生結婚をしたらしく、子どもも産まれていた男性がいました。男性は他の同期よりは少し多い入社書類(妻と子の分の住民票など)を提出した程度で、普通に入社し、普通に新人研修に参加し、妻と子ども分の家族手当ても支給されながら、普通に働きました。妻の事はこちらの会社にとっては普通に「社員の配偶者」という扱いとなっただけです。男性と同級生だったらしい彼女がそもそも就職活動をしていたのかどうかは私には分かりませんが、男性社員は、他の独身新入社員と給与以外の面では何ら変わり無く働いていたようでした。
これが、女性側が内定者だった場合にはどうなっていたのでしょうか。入社前に出産したとしても、産休育休が必要になったかも知れません。
育児休業とは子を養育する労働者が法律に基づいて取得できる休業の事ですが、申請が認められない場合もあります。それが、

当該事業主に引き続き雇用された期間が一年に満たない労働者

育児休業申し出があった日から起算して、一年以内に雇用関係が終了することが明らかな労働者

一週間の所定労働日数が2日以下の労働者

だと、施行規則第7条にて定められているそうです。

つまり入社もしていない、ただの内定者では、育児休業は申請できないのです。成人していれば学生同士でも結婚は出来るだろうと思いますが、学費を親が出していたのであれば、親の許可が無ければ結婚は認めてもらえないでしょう。しかし親が学生結婚を認め、既に妊娠もしていれば、赤ちゃんの養育に親(赤ちゃんからすれば祖父母)が深く関わる事になるかと思います。
産後6週間は産婦本人が希望しても働かせてはならない決まりですが、2月中旬までに出産を終え、赤ちゃんの養育を自分たちの親に全て任せれば、4月には女性も新入社員として入社し、働けるのかも知れません。しかし、このような女性を新卒として受け入れる企業はあるのでしょうか。
新卒新入社員には教えなければならない事が山ほどあるので、企業側としては「無理がきく」人材である事が望ましいのではないかと思います。私が所属していた会社では新卒新入社員には入社前に一週間の泊まり込み研修がありました。朝から夜までの研修は、健康状態が良好な者であっても心身ともに疲れるものでした。
仮に2月に出産を終えて4月に入社した場合、産後二ヶ月では悪露(おろ、産後の子宮からの出血)も治まりきっておらず、乳房には母乳がどんどん貯まりギンギンに腫れるので、赤ちゃんと離れていれば頻繁に搾乳しなければ痛くてたまらず、まともに講義を受けていられないのではないかと思います。緩んだ骨盤が回復していないので長時間の立ち姿勢は辛く、帝王切開での出産であれば腹部の痛みも相当なものではないかと思うのです。
そんな人材を企業が新卒として雇うとは私には思えません。無事に単位が取得できて学校を卒業してきたとしても企業は家族構成に虚偽があったとして内定辞退を促すかも知れませんし、もしその年度に卒業出来なければ、当該年度卒業見込みの者としての就活は虚偽となり、内定取り消しとなるでしょう。入社したとしても最初の数ヵ月は試用期間だったりするので、試用期間で雇用契約満了とされる可能性もあるのではないでしょうか。
出産してから既に半年以上が経過し、子どもを保育園に入園させたり、親(赤ちゃんからすれば祖父母)が養育していたりしていたとしても、小さな子どもがいる母親を、独身の女性たちと同じ業務には着かせられないと、時には善意から、扱いが変わる事もあるのではないかと思います。入社して数年が経過している社員であってもマミートラック問題が出てくる社会では、バリバリ働く事を期待されての新卒でありながら既に子持ちの女性など、入社すら認められないのではないでしょうか。
男性が内定者のうちに子どもが産まれても扱いは殆ど変わらないのに対し、女性が内定者のうちに出産したならば、扱いが変わるだろう事は想像に難くありません。そもそも妊娠している女子学生に正社員の内定を出す企業があるとも思えません。それは、子どもは企業にとってリスクに思えるからです。子どもを理由に他の社員と同じように働けない人材は、企業にとって荷物でしかないのではないでしょうか。
家事育児は女性がするもの、という常識の社会において、男性は父親になっても生活が変わる事が少ない一方、女性が母親になるという事は、とてつもない重荷を背負う事になるのです。幼児のいる男性が飲み会に出るのに特に何も言われないのに対して、子どもがいる女性が飲み会に参加すると「子どもはどうしたのか?」と問われる例などは、容易に想像できるかと思います。
その重さは、覚悟の上で背負い、収入を夫任せにしていられる私ですら、二時間、幼稚園の先生に任せられる事になっただけで舞い上がる程なのです。仕事を持っている女性にはそれよりも重く感じられ、収入が無い未婚の、新卒就活中の女性には抱えきれなくなっても仕方がないのではないでしょうか。

新卒で入社できなくとも、25才あたりの若いうちであれば第二新卒という扱いを受けられる事もあるでしょう。しかし、それは独身・子無しである事が前提なのだろうと思います。40代までの女性の入社希望者が既婚者であれば、いつ産休育休を申請してくるか分からないリスクを企業は負います。子どもがいれば、それなりの配慮が社会通念上、求められると企業側は考える為、特に女性は願った職種には雇用がされにくくなるように私には思えるのです。
新卒で入社出来なければ、雇用される機会が二度と得られない職種や企業はあると思います。今回報道された事件は、新卒一括採用に重きを置く雇用慣行の弊害、産休育休を申請する従業員をリスクと考える企業の風潮、または自らをそのように(誤)判断してしまう社会土壌の影響、性教育の不十分さから招いた事態、母親が家事育児をする事が普通と考える社会常識、いずれもが絡み合って起きたものなのだろうと思います。

別の報道によると、彼女が産婦人科を初めて受診した時には、既に妊娠22週を過ぎており、人工妊娠中絶は認められない状態だったそうです。もはや産むしかなかった状況で頼りにすべき、子どもの父親にも自分の親にも相談できなかった彼女の孤独を思うと、彼女だけを責める気には私はなれません。ただただ、あの日、二時間の自由時間を得てふわふわ舞い上がった自分が申し訳なくなります。

子どもがいて窮屈を感じる事があっても、子どもがいたからこその幸せもまた、間違いなくあるのです。彼女が誰かを頼れていたならば、得られる幸せもあったのだろうになと思うと、誰を責めたらよいのかも分からず、気持ちが乱れます。

手の届く範囲

先日放送された「ヒーリングっど プリキュア」についての話です。
第30話「キャラがバラバラ?動物園の休日」にて動物園に来た主人公たち。そこで主人公たちは孝太という小学生くらいの男の子に出会い、広い動物園の中を案内して貰う事になります。一行は途中で孝太の父親と合流するのですが、その父親とは主人公たちの担任の先生でした。
本当ならば孝太は自分の友人と一緒にこの動物園に来る予定でしたが、喧嘩をしてしまい、自分たちだけで来たとの事でした。そのまま主人公たちは先生親子と一緒に園内をまわります。すると孝太の友人親子も動物園に来ていて鉢合わせをしました。しかし喧嘩をしている子どもたちはお互いに気まずかったのか、孝太は友人とは合流する事なく、主人公たちを連れてその場を離れます。

男性だって子どもと二人で出かけるべし、という昨今の流れを組み込んだのか、先生親子と、孝太の友人親子のどちらもが父と子の組み合わせでした。もし片方の親子の組み合わせが女親であった場合、意地悪な人がその場面を目撃すれば不倫だなんだと面白おかしく吹聴するかも知れないので、誤解をされない為にも、どちらも父親が連れて来ている事にしたのかも知れません。
しかしこの父親は、今作プリキュアの敵であるビョーゲンズらが登場した時に、女親ではおそらくしないであろう行動に出ます。

「お父さんは残っている人を助けてくる。お前は先に行って待ってろ」

主人公の担任の先生は息子と動物園の出口近くにまで避難して来ると、息子を置いて園内に引き返してしまいます。
責任感が強いのは良い事なのだろうとは思いますが、何故そこで息子を放置してまで他の人の安否を確認しに行ってしまうのでしょうか。今年放送の作品の中でも私は似たような描写を幾つか拝見しました。「ウルトラマンZ」ではナツカワハルキの父親は怪獣災害発生時に他の人を助けに主人公の元を離れて災害現場に向かい、亡くなっています。NHKのドラマ「天使にリクエストを~人生最後の願い~」では、江口洋介さん演じる主人公、島田修悟は、息子の野球の試合の帰りに知り合いの異常な様子を目撃し、自分の子から離れて知り合いを追いかけ、その知り合いが所持していた拳銃を取り上げようと揉み合いになった時に引き金が引かれてしまい、追いかけて来ていた息子があろうことか銃弾の犠牲になってしまいました。
島田はその時の自分の行動理由を「息子に格好良い父親の姿を見せたかった」為だとこぼします。島田は刑事(マル暴)で、ナツカワハルキの父親は消防士。市民の安全を守る仕事をしており、その訓練も受けているので、彼らが家族以外の人々の安否を気にしてしまうのは職業柄、仕方がないのかも知れません。
しかし「ヒーリングっど プリキュア」の主人公たちの担任の先生は細身で、腕力に長けているような印象ではありません。その先生が逃げ遅れた人がいないか園内を見て回ったところで、救助する側や施設管理者側から見れば、その先生こそが「逃げ遅れた人」でしかないのです。怪物が現れたと一般人が知る前に主人公たちは先生親子と分かれた為、先生サイドから見れば自分の教え子たちが無事に避難できたのかも心配だったのかも知れませんが、女親の私からすれば、こんな非常事態だからこそ親は息子の傍にいるべきだと思うのです。
ビョーゲンズの幹部が孝太をメガビョーゲン(怪物)にしようとする展開に持っていく為には父親である先生が息子の元から少し離れる必要があったので、そうせざるを得なかったのかも知れませんが、結果的に怪物になるのはちょうど息子の元に戻ってきて息子を庇った先生の方なので、先生はあのまま孝太と一緒に逃げていれば良かったのにと私は思ってしまうのです。
これが女親であった場合、事態が収まるまで息子から離れる事はしないでしょう。自分の生徒が心配でも、自分の息子が何よりも優先されるべきものだからです。たとえ動物園の出口が目の前で、そこまで息子と避難してきていても、怪物が暴れていては動物園の外ならば安全とは限らないのですから。

「守りたい人を全員守れる訳じゃない。助ける為に手を伸ばそうにも、手の長さには限界がありますしね」

ウルトラマンZ」のナツカワハルキの父親は、誰かを守ろうとした時に、同時に別の誰かは守れないと分かった時にどうするかと問われた際に、このように答えました。

「だから手が届く範囲で自分の信じる正義を、守ると決めた人を全力で守る」

人間の手が届く範囲なんて限られている。だからこそ自分の子から手を離さない。その行動のせいで他の誰かは守れなくても、守ると決めた人、親であれば自分の子を守るのが使命なのです。
もしかしたら男性は、自分の「手が届く範囲」を過大評価しているのかも知れません。それは「男であるならばこうするべき」という育てられ方をしてきた弊害とも言えるのではないでしょうか。だからこそ男としてのあるべき姿を、男親として息子に見せたかったのでしょう。
「天使にリクエストを~人生最後の願い~」の島田修悟は、周囲は何事も起きていない日常だったので、息子を置いて不審な行動をとっていた知人を追いかけました。「ウルトラマンZ」のナツカワハルキの父親は、妻が息子と一緒だったからこそ息子の事は妻に任せて人命救助に向かいました。
ならば「ヒーリングっど プリキュア」の孝太の父親は、非常事態の最中に孝太の事を頼める人がいなかったのですから、自分の生徒を見捨てる事になったとしても、孝太の傍にいるべきだったのです。せめて孝太の友人、秀一の父親と合流できていれば孝太を秀一の父親に任せて園内に戻る事も自然だったでしょう。しかしここで大きな問題が発生します。
動物園の出口までもうすぐだからと一人で先に行くよう自分の父親に言われた孝太は、転んでいた秀一を発見します。あろうことか秀一の父親の姿はそこにありませんでした。
・・・秀一の父親は、息子を置いて自分だけ先に逃げた!!?

喧嘩していた孝太と秀一を仲直りさせる流れにしたいのは分かります。分かりますが、別にそこに秀一の父親がいたって良くはないでしょうか?
いや、秀一の父親が一緒にいたなら転んでいる秀一を助け起こすのは父親がやるだろうから友情の流れにもっていけなかったのでストーリーの都合でそうせざるを得なかったのでしょうが、作中で秀一は孝太よりも足が遅いと判明するので、これではまるで秀一の父親は、足の遅い息子を放置して自分だけ先に逃げたかのように思えてなりませんでした。
自分の息子の手を引いて避難する事は、十分に「手が届く範囲」です。秀一の父親はその使命を全力で守り、息子と手を繋いで避難していれば良かったのにと心から思います。
好意的に解釈すれば秀一が転んでいたのは、まっすぐ進めば出口に行けるまでの場所だったので、秀一の父親もまた、息子と一緒にそこまで避難してから園内に取り残されている人がいないか確認する為に秀一と別行動をとったのかも知れません。しかしそうであったとしても、「手の届く範囲」の判断を誤っている事には違いないのです。
天候が荒れている時に濁流を見に行って流されるのも男性が多い印象ですし、台風の時に田んぼの様子を見に行って犠牲になるのも男性が多い印象を私はもっています。その理由は「男だから」という責任感によるものなのかも知れませんが、「女だからこうあるべし」という考えは女性差別だというのならば、「男だからこうあるべし」という考え方からも私たちはそろそろ解放されても良い頃合なのではないでしょうか。

男なら 誰かの為に強くなれ
女もそうさ 見てるだけじゃはじまらない

ウルトラマンネクサス」でもそう歌われているように、女だって守られているばかりでは駄目なのです。一般的に男性は女性よりも体力があり、身長が高い分、その腕も長いです。だからこそ女性よりも無理が出来ると過信する傾向にあるのかも知れませんが、男だからと何もかも抱え込まずに、自分の社会的な立場を理解し、手の届く範囲の見極めをするべきなのではないでしょうか。


「ヒーリングっど プリキュア」第30話は、他にも引っ掛かる場面がありました。ビョーゲンズが現れたと察知した主人公たちは、「今日はここで失礼します」と、慌ただしく先生親子と分かれます。
昼食を終え、今度はどの動物を見に行こうかという矢先での事だったので、いきなり別行動をとった主人公たちの事を先生親子、特に息子の孝太はどう思ったでしょうか。孝太はささいな事がきっかけで友人である秀一と喧嘩をしてしまい、その事を気にしていました。自分の意識していない言動で気分を害させてしまい、それで主人公たちは別行動をとるようになってしまったのではないかと思ってもおかしくはありません。
幸いにもそうした心理描写を挟む余裕は時間的に無かったのか孝太が自責の念にとらわれる事はありませんでしたが、ビョーゲンズが現れて早くお手当てに行かなければと焦る主人公たちの気持ちも分かりますが、もう少し、友人と喧嘩してナーバスになっている孝太の事を気にかける言い回しには出来なかったのかなと思うのです。

いま一番子どもに視せたいアニメ

Eテレ「グレーテルのかまど」で放送された「“おジャ魔女どれみ”の愛(いと)しのトゥルビヨン」の回をきっかけに、私と娘はすっかり「おジャ魔女どれみ」が大好きになりました。
私はセーラームーン世代だったので「おジャ魔女どれみ」は知っていても視聴した事がありませんでした。また娘は「キラキラ☆プリキュア アラモード」からプリキュアに入った子だったので、スイーツ作りという共通点から物語にぐいぐい引き込まれました。

おジャ魔女どれみ」は1999年から2003年に、いわゆるニチアサ(日曜日の朝)で放送されたアニメなのですが、絵柄の可愛らしさから小さい子ども向けかなと思いきや、その描写の細かさに驚いてしまいました。
例えば、枯れた植物の原因を探す為に他校を見て歩きたい時に、その学校の先生に校内探索の許可をとる場面がありました。物語においてこのような場面が入る事は、特にアニメにおいては普通なかなか無いものかと思います。自分が所属していない団体が保有する土地や建物に入る時には、子どもと言えどこうした手続きを踏まなければならない。そこをきちんと描いていた事に驚きました。
また、別世界から来た女の子を学校に通わせたい時に、仲間の二人をその子の仮の両親に変身させ、役所に入学の手続きに行く場面がありました。便利な魔法があるのですから、魔法を使って周囲の人間の記憶を書き換えれば話は早い筈です。しかし魔法を使うポイントは私が想像するよりも一段階前のあたりで、問題を解決するには自分たちの努力やアイデアの方が優先されているような印象でした。
他にも、「プリキュア」であればプリキュアに変身後はプリキュアメンバー同士としか一緒にいる場面が殆ど無いのに対し、「おジャ魔女」では他にも仲良しの友人がいる事にも私は驚きました。特に女子は一度グループに所属すると、他のグループの子とはなかなか一緒にはいられないような印象を私は持っています。この友人は自分たち以外にも仲の良い友人がいる。それを受け入れてくれる友人関係というものは、とても羨ましく思いました。グループ以外の子とも仲良くしていて良いのだという姿勢は、イジメの防止にも繋がるのではないでしょうか。

恋とまではいかなくても、気になる異性がいる事をふざけて茶化す者もなく、周囲は温かく見守る姿勢も素晴らしいと思いました。また教師の恋愛を肯定的に描いていた点も私は好意を抱きました。主人公の担任の女性教師が彼氏の為にダイエットを決意する場面などは、教師も人間なのだと、テレビ放送時に視聴していた子どもたちに良い影響を与えたのではないでしょうか。

シリーズの中には赤ちゃんのお世話がメインになるものもありました。風邪をひき、鼻が詰まって赤ちゃんが息苦しそうにしていた時に、自分の母親から教わった方法で主人公は赤ちゃんの鼻詰まりを解消させます。その方法とは、お世話をする人が赤ちゃんの鼻の穴に吸い付き、口で鼻水を吸い取るものでした。
私の娘が赤ちゃんだった時に、私がもたもたしている間に私の実母が私の娘の鼻水を吸い取った事がありました。
「大人が吸い取ってやればいい」と言われても、自分の口に我が子とはいえ他の人間の鼻水を入れる事に私は躊躇してしまったのです。自分が産んだ子どもにも私はすぐに出来なかったのに、主人公はそれをやってのけました。うんちの処理は手を洗えば済む話ですが、他の人間の鼻水を口に入れるというのは、なかなかハードルの高い行為です。私は先に実行した実母の姿を見て出来るようになりましたが、話を聞いただけでやってのけた主人公は本当に凄いと思います。
このアニメを観て育った子どもたちが大人になり、自分の子を前にしてあの場面を思い出した時に、主人公の「ママになる」という覚悟の大きさに改めて気付かされるのだろうなと思います。他にも育児で大切なポイントを色々学べるので、育児の教材のようにも使えるかも知れません。
なお、主人公が鼻水を吸い取る場面の時に、私は娘に「今は鼻水吸い取り機があるから、それを使う人も多いけど、私もあなたたちの鼻水をすすったわよ」と自慢しておきました。

個人的に秀逸だと思ったのは、私立中学への進学か、友人と一緒の公立中学への進学かを悩む女の子のエピソードです。主人公とは幼稚園の頃からの友人で、一緒に魔女見習いにもなった仲である彼女は、他の魔女見習いの子たちと違って小学校卒業後も地元に残る為、彼女だけは主人公と一緒の公立中学へも通えます。
高校であれば、成績によって進路が分かれる事に諦めもつくでしょう。しかし中学受験をしてまで別の中学に進学する事は、人によっては「裏切り」と捉えるかも知れません。それを恐れて彼女は主人公に本当の気持ちを言えずにいたのですが、それでも、自分自身の夢の為に私立中学へ進学する事を主人公に告白します。自分の本当の気持ちがなかなか言えなかった彼女の大きな成長に、心が震えました。

4年間、新キャラを迎えながらも同じキャラクターを中心にして物語を紡いだアニメだからこそ、登場人物の深い掘り下げも出来たのでしょう。魔女見習いでありながら、魔法で何でも解決できる訳ではないストーリーは本当に素晴らしいと思いました。
主人公たちが一年を過ごす間にテレビ視聴者も一年を過ごし、春には同じように学年が上がっていきます。視聴者にとって主人公たちは、世界は違えど本当の友人のように思えた事でしょう。
一年続けば良い方で、半年で終わるものや、場合によっては13話程度で一旦区切ってしまうアニメもあります。こういう「特別な友人」が持てるようなアニメが私の子どもたちにもあれば良いなとつくづく思いました。

いっそ産婦人科診療をゼロにして

出産費用ゼロを目指す、という話が上った事があります。


岸田氏の「出産費用ゼロ」関心集めるも... 「出産より養育費」「焼け石に水」と冷静な声、ネットで続出
https://www.j-cast.com/2020/09/10394037.html

 自民党総裁選に出馬している岸田文雄政調会長が出産費用の実質無償化をめざす考えを述べ、2020年9月9日から10日にかけて「出産費用ゼロ」というワードがツイッターのトレンド入りを果たした。菅義偉官房長官の「不妊治療の保険適用」発言に続き、ネット世論の大きな関心を集めた形だ。しかし、個々のツイートをみると「支援が必要なのは出産より養育費」といった意見が多い。

多くの人が「支援が必要なのは出産より養育費」と感じているように、私も分娩時の費用を無償にするよりは、産んでからの支援を長く手厚くして欲しいと願う一人です。
しかし世の中には、分娩費用どころか妊婦健康診断の費用の用意も不安になる女性がいる事は間違いないのではないでしょうか。下記の記事では妊娠健診費用の助成の事を挙げていますが、こうした助成を知らない女性は少なくないのかも知れません。実際に私は第一子を妊娠した段階では母子手帳をどこで発行して貰えるのかを知りませんでしたし(病院の受付で教えて貰った)、妊娠健診費用助成は、母子手帳を受け取った時に役所の方から一緒に渡された冊子で初めてその存在を知りました。


知らないなんてもったいない!妊娠から子育てまでもらえる給付金まとめ
https://anna-media.jp/archives/340916

妊娠したらすぐに市町村へ届け出ておきたいのが『妊娠健診費用助成』。こちらは、『妊婦健診(妊娠健康検査)』を受ける費用を市町村が助成してくれる制度です。

(中略)

そこで、『妊娠健診費用助成』を活用すれば、「妊婦健診の受診票」を持って各自治体と委託契約を結んだ医療機関で健診を受けることで、一定額を助成してもらえます。

妊娠は病気では無いので保険が適用されず、全額自己負担となります。従って、妊娠したかもしれない時に病院に行く時には、財布の中身には余裕をもって出発しなければなりません。
私が第一子を妊娠した時には初めに小さな婦人科(元は産婦人科だったが東日本大震災で設備が壊れただとかで産科が続けられなくなっていた)でお世話になってから里帰り出産用に実家近くの総合病院に転院したのですが、第一子妊娠中に妊娠糖尿病になったので、内科医と小児科医も出産に立ち合う、という話すら出た事がありました。結果的にそこまで大事にはなりませんでしたが、そうした経緯があったので第二子を妊娠した時には最初から大きな総合病院にかかる事にしました。すると第二子の時には初診時に初診料の他に、紹介状なしで大病院を受診した時の特別な料金という事で5000円を上乗せされて請求されたのです。
これは平成27年(2015年)5月に成立した医療保険制度改革法によるものだそうで、ただでさえ妊娠確認の受診で保険が適用されない所に5000円(病院によってはそれ以上の金額設定になっている事もあるらしい)を上乗せされたので、私は面食らってしまいました。
大病院でなければ5000円の加算はされないにしても、どこか痛むわけでも無い状態での受診は、お金に余裕が無い方には厳しいものがあるかと思います。人によっては保険適用で3割負担だと思っていても、その費用も出せないと受診をためらってしまったのか、陣痛が来て初めて受診する妊婦もいると以前テレビの特集で知りました。
妊娠は十月十日(とつきとおか)という程、長期間に及びます。初めて妊娠した時には出産まで何回病院に足を運ぶ事になるのか見通しも立てられず、妊娠健診費用助成を知らなければ、出産までいかほどの請求を受けるのか、その金額を恐れて病院から足が遠退く人もいるのではないかと思うのです。

陣痛が来て初めて産院に駆け込む未受診妊婦の事を鈴ノ木ユウ氏の漫画「コウノドリ」(MORNING KC)では「野良妊婦」と呼ぶ場面があります。
未受診妊婦の頻度は、妊婦さん全体のうち0.25〜0.5%だと下記の記事にありました。

コウノドリ漫画1巻【第1話】産婦人科医が解説
https://note.com/tommy_note_page/n/n93500718cfeb


漫画に登場した未受診妊婦が何故どこの産婦人科にもかからず未受診のままでいたのかと言うと、経済的な事が理由でした。
借金があり、家賃も滞納。保険料が未払いなので役所には行きづらく、誰にも相談できない。貢いだ男には逃げられ、堕ろすお金もない。更には自分の親とも連絡が取れない。
私がこの状況に置かれたならば、出産してもきっと子どもを育てる事も出来ないので、階段から落ちて事故を装ったか、わざと冷たい川に入っていたかも知れません。

妊娠は望まなくても成立する事があります。自分に自由に受診できるだけのお金が手元になければ、野良妊婦になる道を選ぶ女性が出てくる事は想像に難くありません。未成年者の妊娠に周囲が気付くのが遅れて堕胎できる週数を過ぎてしまっていた、というのも、妊娠を認められずに逃避していた、親に怒られまいと本人が隠していた事もありますが、堕胎に莫大な費用がかかると思い込んで誰にも相談できずにいたからでもあるのではないでしょうか。

厚生労働省不妊治療に公的保険を適用するため、具体策の検討に入ったそうです。国も、子どもを望む夫婦も、どちらも赤ちゃんの誕生を望んでいるのです。
ならばいっそ、ただでさえ女性が受診する時にかなりの敷居の高さを感じる産婦人科は、他の診療科とは一線を画し、どのような理由であっても34才までは初回の受診は無料としてはいかがでしょうか。また、妊娠健診費用の助成の対象とならないNSTノンストレステスト)検査などの費用も自己負担ゼロにするべきではないかと思います。
妊娠が目出度い人は喜んで産婦人科を訪れます。妊娠6週の段階から受診した私は予定日も超過したせいで14回の妊婦健診無料チケットでは全く足りず、後期の受診は思いがけない出費となってしまいました。しかし、妊娠をお目出度い事だと感じない人にとっては、そもそもの出足が鈍ってしまうのではないかと思うのです。そうした方々が少しでも産婦人科に行きやすくなるように、初回の受診を自己負担ゼロにするのです。
女性が体調がおかしいと感じた時に、34才までなら無料だからと真っ先に婦人科を受診するようになれば、いざ子どもが欲しいと思った時に自分が不妊治療が必要な状態だとその段階で発覚するよりも、早い段階から治療が始められる事もあるのではないでしょうか。そしてその方が結果的に治療費は安価に抑えられるのではないでしょうか。

産婦人科への受診の敷居の高さは、男性には理解しにくいものがあるかと思います。だからこそ、若い女性の誰でも心安く受診できるような助成が欲しいと願います。
中学3年生になったら学校での健康診断のように、女子生徒は先生引率で全員が婦人科検診に行く事を組み込んだら「あの子は産婦人科に行った事がある」などと女子同士での誹謗中傷も無くなり、将来の不妊に繋がる症状の早期発見も叶うのではないかなと、アラフォー女は思うのです。
また、その時に学校や家庭での教育では手が届かない、低用量ピルやアフターピルの存在、出産費用を用意できそうにない人には事前申請で出産費用を助成してくれる制度、特別養子縁組の制度の説明を産婦人科で受けられれば、いざ何事かが起きた時に少しでも不安を和らげる事が出来るのではと思います。素人の浅知恵で書き散らしますが、産科には母親教室などを開く部屋が既にあるかと思うので、あとは人員の余裕の問題でしょうか。教師に教わるよりも看護師さんや助産師さん、ソーシャルワーカーさんに教わった方が正しい知識を得られ、10代前半でも妊娠出産を自分事として捉えられるかなと思います。

子どもが増える為には、女性が安心して暮らせる社会にならなければなりません。子どもが欲しいと願う人、今は子どもを望んでいない人、どちらにも安心が必要です。
子どもの将来の学費が足りるかどうかも悩ましい問題ですが、もっと切迫した悩みを抱えてしまいそうな若い女性に、いま現在でも沢山の助成がある事実を、まずは周知したら良いのになと思いました。

誰かに頼るということ

上の子どもが小学生になり、私は小学校PTAママになりました。さっそく役割として朝の交通指導という名の横断歩道での旗持ちをする事となり、参加してきた時の出来事です。
その日は雨天で、ある低学年の女の子が私の担当する横断歩道の赤信号で止まった時に、大人でも傘をさし続けようか迷う小雨になりました。あと5分も歩けば学校に到着というタイミングでもあったので、信号で立ち止まった事を契機にその女の子は折り畳み傘を閉じようとしました。低学年なので畳めるかなと心配して見ていたところ、その子は私に傘を差し出して来ました。

「…やって?」

女の子が私に折り畳み傘を閉じて欲しいと頼んできたので、私は横断旗をその子に持ってもらい、信号が変わらない間にその子の折り畳み傘を畳んでやりました。女の子らしい、縁取りにレースがあしらわれた可愛らしい傘でした。レースが少しかさばるので、綺麗に畳まなければスナップボタンが届かなそうな代物です。
以前、我が子と一緒に下校してきた子も上手に折り畳み傘を畳む事が出来ず苦戦し、私が畳み方を手伝ってやった事があるので、やはり小学校低学年の子には折り畳み傘の扱いは難しいのだろうと思います。私の子どもは自分で開け閉めが上手に出来ない事が嫌だからと、折り畳み傘を持ってくれません。そもそも入学当初は普通の傘ですら上手に閉じられず、私の子どもが手伝ってやった子も何人かいたそうです。
下校時に使用するならまだしも、本人が畳む事が出来もしないのに登校時に折り畳み傘を使わせるのは保護者としてどうなのかとは、実は内心で思いました。これまでその子は、もしかしたら学校の先生に折り畳み傘の閉じ方をお願いしていたのでしょうか。

その女の子と私には面識はありません。しかし○○小学校PTAと書かれた上着を着ていたので、彼女は私の事を学校の関係者だとは分かったのかも知れません。しかし、その程度で子どもだった頃の私や私の子どもは、初めて会った大人に同じように頼る事は出来たでしょうか。
聞けば入学して間もない時の雨の日、下駄箱前で何人かの一年生が傘が閉じられずに半べそをかいていたそうです。通り過ぎてゆく上級生や校門にいる先生にでもひと声かければ良いのに、自力で傘を閉じようとして、それが出来ず泣いていたので、同じ一年生だった私の子どもが傘を閉じるのを手伝ってやったそうです。
その一方で、あの女の子は、見知らぬ大人を上手に頼り、折り畳み傘を閉じて貰いました。
困った時に誰かに頼ろうとする事。自分からそのように働きかける事。これは世の中を渡っていく為に必要な能力なのではないでしょうか。

今回はたかが傘ですが、一年生にとっては普通の傘ですら上手に閉じる事は難しく、ただ傘が閉じられないだけで泣いてしまう子もいます。泣いていれば誰かが助けてくれる年齢なので、今はそれでも良いでしょう。私の子どもが声をかけなくても、登校時間が終わり校門にいた先生が校舎に戻ってくれば、きっと気が付いて問題を解決してくれた事と思います。
しかし、もっと成長し、人前では涙を簡単には流せなくなった頃に困難に直面した時、人はどうすれば良いのでしょうか。ただ黙って助けを待っていても、周囲からその人は困っているように見えなければ、誰も声をかけてはくれないでしょう。
何かに行き詰まった時に自分だけで抱え込まず、周囲に助けを求める事は決して恥ではありません。しかし、そうは言うものの、誰に言えば良いのか困る場面に直面する事は私にもこの先にきっとあるでしょう。

誰かに頼ろうと考えられるという事は、自分はその人に受け入れて貰える自信があるとも言えると思います。あの女の子は、私が学校関係者だと見越した上で私に折り畳み傘を畳むよう頼んできたと思うのです。私ならば、自分の依頼を無下にしないという自信があったのでしょう。
それは「自分は愛されている」という自己肯定感から成せる行為だと思います。
自力で畳めもしない年齢の子どもに折り畳み傘を持たせたその子の保護者も、自分の子どもならば上手にやっていけるだろうと信じて送り出したのかも知れません。それはとてつもない信頼感の成せる技だと言えはいないでしょうか。
それに対して私は我が子に、入学前に傘を閉じる練習をさせました。これからは親である私は昇降口まで付いてはいけません。我が子が困らないよう傘の閉じ方の練習を積んだおかげで、我が子は困っていた他の子に手を差し出す事は出来ました。しかし、練習させていない困難に我が子が直面した時には、どうなるでしょうか。
私は私の子どもの力を信じず、良かれと思った行為のせいで逆に成長を阻害してしまったのかも知れません。

何か困った事が起きたならば、自分だけで抱え込まず、周囲の人に相談する。この経験をして事態が良い方向に進んだ事のある子どもは、きっと本当の意味で強い人になれるのではないでしょうか。ならば私たち大人は、そうした経験を子どもたちに沢山させる必要があるように思います。
子どもたちに何か困った事が起きた時に安心して頼れる「近所のおばさん」になりたい。ボトムの裾は雨で濡れてしまいましたが、沢山の「おはよう」の声に癒されて気持ちも晴れやかに、そんな風に思ったPTA活動でした。