xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

いっそ産婦人科診療をゼロにして

出産費用ゼロを目指す、という話が上った事があります。


岸田氏の「出産費用ゼロ」関心集めるも... 「出産より養育費」「焼け石に水」と冷静な声、ネットで続出
https://www.j-cast.com/2020/09/10394037.html

 自民党総裁選に出馬している岸田文雄政調会長が出産費用の実質無償化をめざす考えを述べ、2020年9月9日から10日にかけて「出産費用ゼロ」というワードがツイッターのトレンド入りを果たした。菅義偉官房長官の「不妊治療の保険適用」発言に続き、ネット世論の大きな関心を集めた形だ。しかし、個々のツイートをみると「支援が必要なのは出産より養育費」といった意見が多い。

多くの人が「支援が必要なのは出産より養育費」と感じているように、私も分娩時の費用を無償にするよりは、産んでからの支援を長く手厚くして欲しいと願う一人です。
しかし世の中には、分娩費用どころか妊婦健康診断の費用の用意も不安になる女性がいる事は間違いないのではないでしょうか。下記の記事では妊娠健診費用の助成の事を挙げていますが、こうした助成を知らない女性は少なくないのかも知れません。実際に私は第一子を妊娠した段階では母子手帳をどこで発行して貰えるのかを知りませんでしたし(病院の受付で教えて貰った)、妊娠健診費用助成は、母子手帳を受け取った時に役所の方から一緒に渡された冊子で初めてその存在を知りました。


知らないなんてもったいない!妊娠から子育てまでもらえる給付金まとめ
https://anna-media.jp/archives/340916

妊娠したらすぐに市町村へ届け出ておきたいのが『妊娠健診費用助成』。こちらは、『妊婦健診(妊娠健康検査)』を受ける費用を市町村が助成してくれる制度です。

(中略)

そこで、『妊娠健診費用助成』を活用すれば、「妊婦健診の受診票」を持って各自治体と委託契約を結んだ医療機関で健診を受けることで、一定額を助成してもらえます。

妊娠は病気では無いので保険が適用されず、全額自己負担となります。従って、妊娠したかもしれない時に病院に行く時には、財布の中身には余裕をもって出発しなければなりません。
私が第一子を妊娠した時には初めに小さな婦人科(元は産婦人科だったが東日本大震災で設備が壊れただとかで産科が続けられなくなっていた)でお世話になってから里帰り出産用に実家近くの総合病院に転院したのですが、第一子妊娠中に妊娠糖尿病になったので、内科医と小児科医も出産に立ち合う、という話すら出た事がありました。結果的にそこまで大事にはなりませんでしたが、そうした経緯があったので第二子を妊娠した時には最初から大きな総合病院にかかる事にしました。すると第二子の時には初診時に初診料の他に、紹介状なしで大病院を受診した時の特別な料金という事で5000円を上乗せされて請求されたのです。
これは平成27年(2015年)5月に成立した医療保険制度改革法によるものだそうで、ただでさえ妊娠確認の受診で保険が適用されない所に5000円(病院によってはそれ以上の金額設定になっている事もあるらしい)を上乗せされたので、私は面食らってしまいました。
大病院でなければ5000円の加算はされないにしても、どこか痛むわけでも無い状態での受診は、お金に余裕が無い方には厳しいものがあるかと思います。人によっては保険適用で3割負担だと思っていても、その費用も出せないと受診をためらってしまったのか、陣痛が来て初めて受診する妊婦もいると以前テレビの特集で知りました。
妊娠は十月十日(とつきとおか)という程、長期間に及びます。初めて妊娠した時には出産まで何回病院に足を運ぶ事になるのか見通しも立てられず、妊娠健診費用助成を知らなければ、出産までいかほどの請求を受けるのか、その金額を恐れて病院から足が遠退く人もいるのではないかと思うのです。

陣痛が来て初めて産院に駆け込む未受診妊婦の事を鈴ノ木ユウ氏の漫画「コウノドリ」(MORNING KC)では「野良妊婦」と呼ぶ場面があります。
未受診妊婦の頻度は、妊婦さん全体のうち0.25〜0.5%だと下記の記事にありました。

コウノドリ漫画1巻【第1話】産婦人科医が解説
https://note.com/tommy_note_page/n/n93500718cfeb


漫画に登場した未受診妊婦が何故どこの産婦人科にもかからず未受診のままでいたのかと言うと、経済的な事が理由でした。
借金があり、家賃も滞納。保険料が未払いなので役所には行きづらく、誰にも相談できない。貢いだ男には逃げられ、堕ろすお金もない。更には自分の親とも連絡が取れない。
私がこの状況に置かれたならば、出産してもきっと子どもを育てる事も出来ないので、階段から落ちて事故を装ったか、わざと冷たい川に入っていたかも知れません。

妊娠は望まなくても成立する事があります。自分に自由に受診できるだけのお金が手元になければ、野良妊婦になる道を選ぶ女性が出てくる事は想像に難くありません。未成年者の妊娠に周囲が気付くのが遅れて堕胎できる週数を過ぎてしまっていた、というのも、妊娠を認められずに逃避していた、親に怒られまいと本人が隠していた事もありますが、堕胎に莫大な費用がかかると思い込んで誰にも相談できずにいたからでもあるのではないでしょうか。

厚生労働省不妊治療に公的保険を適用するため、具体策の検討に入ったそうです。国も、子どもを望む夫婦も、どちらも赤ちゃんの誕生を望んでいるのです。
ならばいっそ、ただでさえ女性が受診する時にかなりの敷居の高さを感じる産婦人科は、他の診療科とは一線を画し、どのような理由であっても34才までは初回の受診は無料としてはいかがでしょうか。また、妊娠健診費用の助成の対象とならないNSTノンストレステスト)検査などの費用も自己負担ゼロにするべきではないかと思います。
妊娠が目出度い人は喜んで産婦人科を訪れます。妊娠6週の段階から受診した私は予定日も超過したせいで14回の妊婦健診無料チケットでは全く足りず、後期の受診は思いがけない出費となってしまいました。しかし、妊娠をお目出度い事だと感じない人にとっては、そもそもの出足が鈍ってしまうのではないかと思うのです。そうした方々が少しでも産婦人科に行きやすくなるように、初回の受診を自己負担ゼロにするのです。
女性が体調がおかしいと感じた時に、34才までなら無料だからと真っ先に婦人科を受診するようになれば、いざ子どもが欲しいと思った時に自分が不妊治療が必要な状態だとその段階で発覚するよりも、早い段階から治療が始められる事もあるのではないでしょうか。そしてその方が結果的に治療費は安価に抑えられるのではないでしょうか。

産婦人科への受診の敷居の高さは、男性には理解しにくいものがあるかと思います。だからこそ、若い女性の誰でも心安く受診できるような助成が欲しいと願います。
中学3年生になったら学校での健康診断のように、女子生徒は先生引率で全員が婦人科検診に行く事を組み込んだら「あの子は産婦人科に行った事がある」などと女子同士での誹謗中傷も無くなり、将来の不妊に繋がる症状の早期発見も叶うのではないかなと、アラフォー女は思うのです。
また、その時に学校や家庭での教育では手が届かない、低用量ピルやアフターピルの存在、出産費用を用意できそうにない人には事前申請で出産費用を助成してくれる制度、特別養子縁組の制度の説明を産婦人科で受けられれば、いざ何事かが起きた時に少しでも不安を和らげる事が出来るのではと思います。素人の浅知恵で書き散らしますが、産科には母親教室などを開く部屋が既にあるかと思うので、あとは人員の余裕の問題でしょうか。教師に教わるよりも看護師さんや助産師さん、ソーシャルワーカーさんに教わった方が正しい知識を得られ、10代前半でも妊娠出産を自分事として捉えられるかなと思います。

子どもが増える為には、女性が安心して暮らせる社会にならなければなりません。子どもが欲しいと願う人、今は子どもを望んでいない人、どちらにも安心が必要です。
子どもの将来の学費が足りるかどうかも悩ましい問題ですが、もっと切迫した悩みを抱えてしまいそうな若い女性に、いま現在でも沢山の助成がある事実を、まずは周知したら良いのになと思いました。

誰かに頼るということ

上の子どもが小学生になり、私は小学校PTAママになりました。さっそく役割として朝の交通指導という名の横断歩道での旗持ちをする事となり、参加してきた時の出来事です。
その日は雨天で、ある低学年の女の子が私の担当する横断歩道の赤信号で止まった時に、大人でも傘をさし続けようか迷う小雨になりました。あと5分も歩けば学校に到着というタイミングでもあったので、信号で立ち止まった事を契機にその女の子は折り畳み傘を閉じようとしました。低学年なので畳めるかなと心配して見ていたところ、その子は私に傘を差し出して来ました。

「…やって?」

女の子が私に折り畳み傘を閉じて欲しいと頼んできたので、私は横断旗をその子に持ってもらい、信号が変わらない間にその子の折り畳み傘を畳んでやりました。女の子らしい、縁取りにレースがあしらわれた可愛らしい傘でした。レースが少しかさばるので、綺麗に畳まなければスナップボタンが届かなそうな代物です。
以前、我が子と一緒に下校してきた子も上手に折り畳み傘を畳む事が出来ず苦戦し、私が畳み方を手伝ってやった事があるので、やはり小学校低学年の子には折り畳み傘の扱いは難しいのだろうと思います。私の子どもは自分で開け閉めが上手に出来ない事が嫌だからと、折り畳み傘を持ってくれません。そもそも入学当初は普通の傘ですら上手に閉じられず、私の子どもが手伝ってやった子も何人かいたそうです。
下校時に使用するならまだしも、本人が畳む事が出来もしないのに登校時に折り畳み傘を使わせるのは保護者としてどうなのかとは、実は内心で思いました。これまでその子は、もしかしたら学校の先生に折り畳み傘の閉じ方をお願いしていたのでしょうか。

その女の子と私には面識はありません。しかし○○小学校PTAと書かれた上着を着ていたので、彼女は私の事を学校の関係者だとは分かったのかも知れません。しかし、その程度で子どもだった頃の私や私の子どもは、初めて会った大人に同じように頼る事は出来たでしょうか。
聞けば入学して間もない時の雨の日、下駄箱前で何人かの一年生が傘が閉じられずに半べそをかいていたそうです。通り過ぎてゆく上級生や校門にいる先生にでもひと声かければ良いのに、自力で傘を閉じようとして、それが出来ず泣いていたので、同じ一年生だった私の子どもが傘を閉じるのを手伝ってやったそうです。
その一方で、あの女の子は、見知らぬ大人を上手に頼り、折り畳み傘を閉じて貰いました。
困った時に誰かに頼ろうとする事。自分からそのように働きかける事。これは世の中を渡っていく為に必要な能力なのではないでしょうか。

今回はたかが傘ですが、一年生にとっては普通の傘ですら上手に閉じる事は難しく、ただ傘が閉じられないだけで泣いてしまう子もいます。泣いていれば誰かが助けてくれる年齢なので、今はそれでも良いでしょう。私の子どもが声をかけなくても、登校時間が終わり校門にいた先生が校舎に戻ってくれば、きっと気が付いて問題を解決してくれた事と思います。
しかし、もっと成長し、人前では涙を簡単には流せなくなった頃に困難に直面した時、人はどうすれば良いのでしょうか。ただ黙って助けを待っていても、周囲からその人は困っているように見えなければ、誰も声をかけてはくれないでしょう。
何かに行き詰まった時に自分だけで抱え込まず、周囲に助けを求める事は決して恥ではありません。しかし、そうは言うものの、誰に言えば良いのか困る場面に直面する事は私にもこの先にきっとあるでしょう。

誰かに頼ろうと考えられるという事は、自分はその人に受け入れて貰える自信があるとも言えると思います。あの女の子は、私が学校関係者だと見越した上で私に折り畳み傘を畳むよう頼んできたと思うのです。私ならば、自分の依頼を無下にしないという自信があったのでしょう。
それは「自分は愛されている」という自己肯定感から成せる行為だと思います。
自力で畳めもしない年齢の子どもに折り畳み傘を持たせたその子の保護者も、自分の子どもならば上手にやっていけるだろうと信じて送り出したのかも知れません。それはとてつもない信頼感の成せる技だと言えはしないでしょうか。
それに対して私は我が子に、入学前に傘を閉じる練習をさせました。これからは親である私は昇降口まで付いてはいけません。我が子が困らないよう傘の閉じ方の練習を積んだおかげで、我が子は困っていた他の子に手を差し出す事は出来ました。しかし、練習させていない困難に我が子が直面した時には、どうなるでしょうか。
私は私の子どもの力を信じず、良かれと思った行為のせいで逆に成長を阻害してしまったのかも知れません。

何か困った事が起きたならば、自分だけで抱え込まず、周囲の人に相談する。この経験をして事態が良い方向に進んだ事のある子どもは、きっと本当の意味で強い人になれるのではないでしょうか。ならば私たち大人は、そうした経験を子どもたちに沢山させる必要があるように思います。
子どもたちに何か困った事が起きた時に安心して頼れる「近所のおばさん」になりたい。ボトムの裾は雨で濡れてしまいましたが、沢山の「おはよう」の声に癒されて気持ちも晴れやかに、そんな風に思ったPTA活動でした。

個人の自由と種の存続

「本当、このお母さんヒステリックだよな」

夫がそう批評したのは、ジブリ映画「借りぐらしのアリエッティ」に登場する、主人公アリエッティのお母さんでした。
インターネットでも【アリエッティ】と検索すべく文字入力すると、その後に【お母さん 嫌い】という言葉が続いて出てくる程、世間でもアリエッティのお母さんに対する評価は良くないようです。

「でもアリエッティのお父さんは、こんなお母さんでも良いと思って一緒になった訳だよね?」

子どもも一緒に「アリエッティ」を視聴していたので、アリエッティのお母さんの肩を持つべく私が夫に反論すると

「他に相手がいなかったからだろう」

と夫は言いました。
確かに作中では主人公一家が他の仲間はどうしているのか不安がる場面や、「滅びゆく種族」だと人間に言われる場面があり、小人たちはその数を減らしていました。
ならばアリエッティのお父さんが、このお母さんを伴侶に選んだのは、やはり種の存続の為の選択肢が他に無かったからなのでしょうか。

最近読んだ婚活のネット記事では、「結婚願望はあるのだけれど、良い相手がいない」という人物が登場しました。アリエッティたち「滅びゆく種族」と異なり、私たち人類の世界人口は70億人に到達しているそうです。その中で結婚適齢期の未婚の男女がどれくらいいるのかは定かではありませんが、借りぐらしの小人たちよりはずっと多いだろうと思います。アリエッティのお父さんは、出会った女性の小人がアリエッティのお母さんだけだったので、ヒステリックだろうと何だろうと種の存続の為に一緒になるしかなかったのかも知れません。その一方で婚活に悩む人々は選択肢が多すぎて、かえって相手を選びにくくなっているのでしょう。

タイトルは失念してしまいましたが、以前私が視聴した諸外国の世情を紹介するテレビ番組では、10代の花嫁が「結婚は一族の為」と言い切り、スタジオから感嘆の声があがりました。スタジオにいる観客は20代から30代程度の女性が多い印象だったので、現代日本の感覚ではここは「え~」という非難の声が上がるかと思ったのですが、予想に反して観客席やゲストの芸能人席からの声は「おおー」だった事に私は驚いてしまいました。もちろんテレビ番組には脚本があり、VTRの合間に入る聴衆の声は操作されているものだと聞いた事があるので、なおのことです。その番組では「個人の自由」よりも「一族の繁栄」の為に結婚する事を肯定していたようでした。
生きる為に生きる。種を存続させる為に生き物は繁殖を繰り返す。しかし人類はこの地球上に既に70億人にも膨れ上がり、今さら種の存続などを理念にする必要はなさそうです。サラリーマン家庭が増え、継がなければならない伝統、守らなければならない土地という考え方が薄れてきたような今の日本では、「一族の繁栄」を目的とした政略結婚の件数は少なくなり、自由恋愛による結婚が多くを占めているような印象を私は持っています。だからこそ明確な「結婚しなければならない理由」が薄まり、結婚に対して多少は個人の自由意思が認められるようになってきたのではないでしょうか。

アリエッティは、作中に登場したスピラーと今後結ばれるという予想があるそうです。スピラーが作中でアリエッティに一目惚れしたような描写があるせいでしょう。それとも、アリエッティに近い世代の小人が他に登場しなかったからでしょうか。小人は数を減らしているのですから、他の仲間たちとアリエッティ一家が合流してもアリエッティの同世代の数は少ないと思われるので、どのみち伴侶の選択肢はそれほど多くは無いだろうと思われます。
翻って、私自身はどうだったのだろうかとふと考えました。私たち夫婦の始まりは今では普通となった恋愛結婚と言うよりも、少なくとも私自身には、自分の条件にそこそこ合う相手からの申し出だったので夫からのプロポーズを受け入れた、という形で始まりました。他にも可能性のある相手はいたのかも知れませんが、その時には他に私に求婚してくる男性がいなかったので、言葉は悪いですが夫で手を打ったようなものでした。
もしかしたら私は、結婚がしたくて夫と結婚したのかも知れません。田舎では、いつまでも未婚のままでは少々体裁が悪い為、機会があれば結婚してしまいたかったのは事実です。また、親に私の子どもの顔を見せなければとも思っていました。私や夫の一族に莫大な資産が有るわけではありませんが、家やお墓などを引き継ぐ存在を親世代は欲していたようで、特に下の子である息子の誕生を夫の母は大層喜びました。きっと私の両親も、自分たちの孫が生まれた事で少なからず安心したのではないでしょうか。
私自身も子どもは欲しかったのですが、その理由の根源は何だったのだろうかと考えてしまいます。純粋に私の生きた証である遺伝子を後世に遺したかったからなのか、親から私たちが引き継ぐものを更に引き継ぐ存在の必要性を感じていたのか、それとも、結婚したからには子どもをもうけなければならないという社会からの圧力だったのか。

そもそも結婚制度とは、妻と子を守る為に出来たものだと聞いた事があります。そして、子どもをもうけようと思うからこそ、婚活は余計に難航するのではないでしょうか。
TBSドラマ「私の家政夫ナギサさん」では、最終的に28才の女性主人公は50才の家政夫と結婚をし、最終回放送後に『Twitterの検索スペースに「ナギサさん」と入れると関連で「気持ち悪い」というワードがいっときはサジェストとして表示されるなど、受け付けられなかった』視聴者が少なからずいたそうです。


「わたナギ」の結婚オチに賛否、「気持ち悪い」の声があがった理由
https://joshi-spa.jp/1029474?cx_clicks_art_mdl=1_title


二人の結婚という終わり方に何故否定的な意見が出たのか。それは、結婚したならば子どもを作る、あるいは性的な行為をするだろうと多くの人が予想したからではないでしょうか。
これから「わたナギ」は二人の結婚生活を描く特別編の放送を予定しています。その予告を私は観ていないのですが、そこに二人の子どもは登場するのでしょうか。
「わたナギ」作中でトライアル結婚の時に子どもの事はちらりと話題にあがりました。女性が28才で男性が50才であれば、男性不妊の話も頭に過りますが、妊娠はさほど難しい話ではないように思います。しかし、この二人は「子どもをもうける事」が結婚の目的では無いようだったので、私個人としてはこの夫婦は子どもは作らない道を選ぶのではないかなと予想しています。そもそも二人を繋いだのは性愛ではなく、「一緒にいたい」という気持ちからだったのですから。

その人と一緒に生きたいと思ったから結婚した。「結婚」は女性が子どもを安心して生み育てる為の制度という側面があるので、性行為を含む性愛での結び付きもあるでしょう。しかし様々な目的や思惑があっても、結婚とは最終的に、その人と協力して暮らしていきたいと思えば、それで良いのではないでしょうか。
結婚と恋愛は別だとよく言われている通り、私たち夫婦に恋愛のようなドキドキ感は特にありませんが、それなりに上手くやれているように思います。
アリエッティの両親は、もしかしたら「子孫を残さなければならない」という悲壮感や使命感から一緒になったのだとしても、狩りが上手なお父さんと、家作りが上手なお母さんで、利害の一致という、何だかんだで歯車が噛み合った夫婦になっているのではないかと思うのです。

結婚したら子どもを作らなければならない訳ではありません。子どもがいないならば、いないなりに夫婦で穏やかに暮らしている人たちは大勢いると思います。
結婚したら配偶者の介護をしなければならない訳ではありません。病める時も健やかなる時も共にいると一般的な結婚式では誓いますが、介護が必要になったならばプロにお任せ出来る時代になりました。
アリエッティたちのような種の存続や、一族の繁栄の使命を背負っていた訳ではありませんでしたが、私は結婚して子どもをもうけました。でもそれはたまたま奇跡が重なっただけで、子どもがいなければ夫と二人でそれなりに暮らしていたのではないかと思います。そう思えるのは、私たちの関係が少なくとも私の方は恋愛から始まったものでは無かったので、最初から取り繕うことなく素の状態を私は夫に見せていたからです。アリエッティのお母さんのように時にはヒステリックな発言もしたように思いますが、夫がめげずにいてくれるので、私たちの夫婦関係は続いています。

婚活は将来の子どもの事を考えるからこそ余計に難しくなるのだろうと思います。現代日本のサラリーマン世帯が大半を占める一般的な家庭における相続など、アリエッティたちの種の存続の使命に比べれば、まだ替えはきくでしょう。
肩の荷をおろし、協力しあって暮らしていける関係を現代では「結婚」と言うのではないでしょうか。人類は70億人もいるのですから、種の存続はいっそ他の人に任せてしまい、収入、容姿、年齢などといった子育てする為に有利な条件が整った「結婚相手として良い相手」ではなく、「お互い肩肘張らずに暮らせる相手」という同居人探し視点で結婚相手を探すのも手ではないかなと思いました。
もちろん、それが分かる程に深いお付き合いが出来るようになるまでが一番難しいのでしょうが。

私の一部

子どもの小学校から配布されたプリントに、「早寝早起き朝うんち」という標語が記載されていました。
私が子どもだった時分には、最後の部分は「朝ごはん」だったかのように思うのですが、今では異なるようです。何故「朝ごはん」部分が「朝うんち」に変わったのかというと、食事と排泄は一連の活動だからで、朝ごはんを食べると腸が活発に動き、排泄が促されるからなのだそうです。

ごはんと排泄で私が真っ先に思い出すのはNHKドラマ「伝説のお母さん」です。最終話にて、子どもを産んでからの自分は沢山の事が出来るようになったと主人公が魔王に叫ぶのですが、その中の1つに「自分が食事中でも子どものうんちオムツの交換が出来る」というものがありました。
我が家の子どもはいずれもオムツを卒業しましたが、下の子は多くの場合、食事中に排便を催します。下の子はまだ背が届かず便器に一人で座れない為、私も自分の食事を中断して子どもの排泄に付き合います。排泄が上手に出来たか見守り、本人にも拭かせますが、仕上げに私が子どものおしりを拭いてから二人で食卓に戻ります。
自分が食事中だからといって幼児の排泄を我慢させる事は出来ませんし、せっかく子どもに排便の感覚が来たのですから、それを拒否する謂れはありません。
大人と同じうんちを出すようになった我が子のうんちを間近で見守り、トイレットペーパーでおしりを拭いて、すぐに自分の食事に戻る事など造作もありません。
赤ちゃんを育てて私が思ったのは、人間は筒が複雑になっただけの物でしかなく、誰もがうんち製造機なのです。
生きる事は食べる事、そして「出す」事なのです。

しかし「伝説のお母さん」では、主人公の夫は「うんちオムツ換えるの、男には無理」と断言していました。自分が食事中でなくても、そもそも男はうんちの付いたオムツは対応できないと言うのです。
思えば私の夫も子どものオムツ交換は苦手でした。おしっこだけの時にはおっかなびっくり、うんちもある時には大量のおしりふきを消費したり、機会の殆どにおいては途中で降参し、私と選手交替をしたりしていました。
これまで読んできた様々なネット記事によると、一般的に男性は赤ちゃんのうんちの付いたオムツ交換を苦手とする方が多いようです。


育児に協力的な夫、それでも“うんち”が片付けられず妻は怒り…子育ての悩みは十人十色
https://otonanswer.jp/post/65509/

「夫は基本的に、育児なら何でもやれるのですが唯一、子どものうんちが片付けられないのです。片付けている最中に気持ち悪くなるようで、それでも我慢して片付けているといよいよ催して、トイレに駆け込んで吐いてしまいます。そんなに苦しいのなら、うんちの片付けは私がやればいいだけの話なので特に問題はないのですが…」

どうして世の多くの男性は、我が子のうんちが苦手なのでしょうか。
逆に、どうして母親は赤ちゃんのうんちオムツ交換が出来るのでしょうか。

もちろん母親の中にも嫌々交換している人はいると思いますし、「自分しかやる人がいないのだから」という義務感で動いている人もいるかと思います。
私も確かに「私(母親)がやらなくて誰がやる」という気持ちはありましたが、赤ちゃんのドロドロうんち時代にも、程よい固さのうんちになってからも、特に苦は感じていません。むしろ出ない方が心配になるので、子どものうんち処理中は「ああ今日も良い量のうんちが出たな」と、満足感すら抱きます。

父親が我が子のうんちオムツの交換が苦手なのに対して、母親は自身の食事中でも対応が出来る。この違いはもしかしたら母親は、子どもが「自分から独立した存在」だとまだ認識しきれていないからなのかも知れません。

第一子を産んで里帰り中、寝不足の私が実母が用意してくれた食事を摂りながら、実母に抱っこされている我が子を見た時に
「私、今どうやってこの子に栄養を送っているのだろう」
と考えた事があります。その少し前まではへその緒を通じて私は子どもに栄養を届けていましたが、もうそれは断ち切られているのです。自分の内臓が自分の身体の外で動いているなんてと、本当に不思議な感覚を味わいました。

また、我が子が新生児の頃に私は子どもの爪切りに失敗し、指先の皮膚の一部まで爪と一緒に切ってしまった事があるのですが、我が子の指先でぷくっと膨らんだ血液を見た時に
「何で血が出ているのに(私は)痛くないのだろう」
と本気で考えた事があります。
子どもを自分から独立した存在だと思えず、子どもの指が切れたのだから、私に痛みが来るものだと本気で思い込んでいたのです。

子どもが「自分自身」、あるいは「自身の延長」だと思えば、うんちオムツの交換など造作もありません。
父親にとって赤ちゃんは最初から自分とは別の存在なので、自分ではない誰かのうんちを触る事に抵抗があるのでしょう。
乳児のうんちはヨーグルトの匂いで、その原料は母乳やミルクです。自分の分泌物、自分が与えた物が赤ちゃんのうんちの材料になる為、母親は父親に比べるとうんち処理の抵抗感が薄いのではないかと思います。また子どもが成長してからも、子どものうんちの材料は自分が用意した食事である事が多いので、それまでの慣れも加わり、やはり母親には抵抗感は薄いままなのではないでしょうか。

幼児虐待の報道で「内縁の夫」が加害者だったという話はよく耳にしますが、実は幼児虐待事件における加害者の多くは幼児の実の母なのだそうです。これもきっと、子どもを自分の延長(あるいは所有物)だと思っているからこそ、遠慮がなくなっているからなのかも知れません。

まだ自分のおしりを上手に拭けない我が家の下の子ですが、先日とうとう
「おかーさんはトイレから出てて」
と言うようになりました。
これまでは「ドア閉めて一緒に居て」と私がトイレから離れようとするのを防いでいたというのに、もはや母は便座にさえ自分を座らせてくれれば用済みだと言うのです。その成長が嬉しくもあり、寂しくもあり。
上の子の小学校はもう二学期が始まりましたが、もうすぐ下の子の幼稚園の夏休みも終わりです。どんどん成長し、私から離れていく子どもたちを見ると、排泄もオムツにするしかなかった赤ちゃんの頃が懐かしく感じます。

誤飲事故について

私が生まれ育ったのは電車が数時間に一本という田舎です。その為、午前7時台の電車に乗れなければ、次は午前10時台の電車を待つしかなくなります。
私は高校生の頃に自転車通学でしたが、少し遠方の同級生は電車通学をしていました。その同級生が遅刻してきた事があるのですが、その理由が「警察の取り調べを受けたから」だった事があり、そんな事を下記の記事を読んで思い出しました。


祖父がペットボトルに移した緑の液体 お茶と間違え持参…孫に飲ませて気管挿管する事態に
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20200727-OYTET50014/

 2歳8か月児。祖父が、緑茶のラベルが貼られたままのペットボトルにワックス剥離剤の原液を入れ、冷蔵庫に保管していた。ワックス剥離剤の液の色は緑色で、緑茶と言われてもわからない色調であった。その日、祖父自身が、そのペットボトルを「お茶」と勘違いして公園に持参。当日は気温が高く、午後0時半ごろ、祖母が、お茶と思ってワックス剥離剤を本児に与えたところ、一口飲んですぐに吐き出した。その後、口の中を痛がったため、30分後に医療機関を受診し、入院した。のどの奥のはれがひどくなったため気管挿管。食道や胃にはびらんが認められ、17日間入院した。

気管挿管の事を私は新型コロナ関連でどのような物か知りましたが、鎌のような形状におののいてしまいました。あのような物を2歳の子どもに挿入しなければならなくなるとは、ワックス剥離剤の誤飲は何と恐ろしいのでしょう。

私がこの記事を読んだ時に思い出した高校の同級生の話でも、家族がペットボトルに通常飲み物にはしない物を入れ、それを誤って飲んでしまい体調を崩して医療機関にかかったので、原因の調査の為に誤飲事故の翌日早朝から警察が来たという事でした。
同級生は警察からの質問を受けながら午前7時台の電車が走る音を聞き「遅刻だ…」と嘆き、誤飲の原因を作った誰かを恨んだそうです。ちなみに同級生の一件では彼女の祖父本人が原因を作り、当の本人が誤飲をしたという事でした。

人はたぶん、ちょっと余った何かを保管しようとした時に、近くにある何かで代用しようと思い付くのだろうと思います。それが液体であったならば、手軽なペットボトルに入れておこうと思っても不思議ではありません。私の母も希釈済みの植物の栄養剤の余りをペットボトルに保管する事があります。その栄養剤は薄い青色なので飲料水と間違える事は今のところありませんが、もし元々のペットボトルのラベルを剥がさずに再利用していたならば中身は確認しにくいですし、「冷暗所に保存だから」と冷蔵庫に保管したならば勘違いしてしまう家族も出てくるでしょう。

そんな事故が起こらないように、もしかしたら洗濯用などの液体洗剤の詰め替えパウチはボトルの容量よりも少なくなっているのかも知れません。
値札しか見ずに、詰め替えパウチを本体ボトルを買うよりも安いからと積極的に購入していた私ですが、ある時ふと内容量を比較して価格に愕然とした事があります。

子どもでなくても誤飲の事故は恐ろしいです。我が家では下の子どもも自分で冷蔵庫から飲み物を選ぶようになってきたので、食べられるもの以外は絶対に冷蔵庫には入れないようにしていますが、そうなると食べ物ではありますが開封済みの原液めんつゆの保管場所に悩んでしまいます。上の子はジュースを殆ど欲しがらない子でしたが、下の子は炭酸飲料にも早い時期からデビューし、喉が渇くとジュースを欲しがってしまいます。
子どもは、めんつゆボトルはジュースのペットボトルと蓋の形状が違うと気付いているのか、今のところ、めんつゆをジュースだと勘違いする事はないようですが、だからと言って誤ってこぼさないとも限りません。誤飲事故も心配ですが、掃除の手間が増える可能性も、実は内心不安です。

預けろと言ったり預けるなと言ったり

先日会った知人の一歳のお子さんのあまりの可愛さに、私の「三人目の子がいたら」妄想の頻度が上がりました。そのくらい一歳の子どもという存在は愛らしいものです。
そんな子どもに何故、という事件が発生しました。

預かった1歳児にやけど 容疑で男2人逮捕
https://www.iza.ne.jp/smp/kiji/events/news/200804/evt20080400410002-s1.html

  知人女性の長男(1)にやけどをさせたとして、大阪府警捜査1課は3日、傷害容疑で、堺市西区浜寺南町の会社員、丸本翔真容疑者(21)と同区鳳中町の無職、温井秀斗容疑者(23)を逮捕した。
5月12日午前5~7時ごろ、大阪市内のマンションの一室で、知人の20代女性の長男にやけどをさせたとしている。長男は顔や腹、足などに複数のやけどをしていたが命に別条はない。

よくある虐待のパターンと似ていますが、今回は同居していた内縁の夫、という訳ではなく、二人の男性が逮捕されており、逮捕された男性二人は母親の友人だったそうです。このニュースがヤフーに掲載された際には、知人男性に一歳の子どもを預けた母親を責めるコメントが幾つも投稿されていました。
曰く、
「よくも一歳の子を身内以外に預けられるな。」

「なぜ他人に1歳児を預けて仕事に出かけるのか。」

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事件が発生したのは午前5時~7時という事なので、母親は夜間に働きに出る為に子どもの世話を知人男性に任せたのだろうと思います。誰もいない家に一歳児を放置しておく訳にはいかないと母親は思ったので、知人男性らを頼ったのではないでしょうか。報道によると男性らは既に何回か子どもの面倒をみていたそうです。
大人であれば子どもの面倒くらい見られるだろうという甘い誤算が母親にあった事は否めませんが、それでも、子どもを一人きりで放置させてはならないという使命感がそこにはあったのではないかと思います。

その一方でこのような事件もありました。


16時間放置し3ヵ月の乳児が死亡…母親の「悲痛な生活環境」
https://friday.kodansha.co.jp/article/125122

前日の夕方から外出していた自称アルバイトの坂元愛容疑者(30)は、7月23日の朝9時半ごろ、東京・台東区の自宅マンションに戻り驚愕した。生後3ヵ月の娘が息をしていないのだ。坂元容疑者はあわてて119播通報。女児は病院に搬送されたが、まもなく死亡が確認された。

こちらは赤ちゃんを一晩一人きりにしておき、朝に母親が帰宅したら、赤ちゃんが亡くなってしまっていたというニュースでした。こちらの報道に対しては「なぜ誰にも預けなかったのか」というコメントが多く投稿されていたかと思います。

子どもを自宅に一人きりにしておく事は虐待に繋がりますが、そうしなければならない事情がある人もいます。報道によると、こちらの母親も生活費を稼ぐ為に外出していたそうです。
新型コロナ対策で急遽休校が決定した時に明らかになったのは、学校という、子どもを日中「預かってくれる」施設が無ければ、多くの母親は働けないという現実でした。誰かが子どもの世話をしなければならず、その誰かとは殆どの場合は母親が該当します。しかしシングルの場合には子どもの世話ばかりしていては稼ぎ手がいなくなってしまいます。誰かに預かって貰えなければ、子どもは自宅に一人きりにしておくしかありません。特に生後3ヶ月の子どもを預かってくれる施設は限られてしまうのではないでしょうか。
我が家の例で言えば、上の子が幼稚園年少の時の遠足の際に、当時5ヶ月だった下の子の預け先に難儀しました。下の子を産んで以降きちんと相手をしてやれなかった上の子の初めての遠足だったので、完全に上の子を優先したいと私は思いました。また、その行き先で赤ちゃんの授乳やオムツ換えが安心して出来るかを考えると、下の子を連れて行く事は難しいだろうとも思ったのです。その日は夫は仕事から抜けられず実家も頼れなかったので、保育施設の一時保育を利用しようと私は思い付きました。
しかし、下の子の新生児訪問の際にやって来た保健師さんから教えて頂いた保育園に問い合わせると、その施設では一時保育は子どもが10ヶ月になっていないと預けられないと断られてしまいました。インターネットで調べると、私が住んでいる自治体にある保育園やこども園は生後10ヶ月からが一時保育の対象年齢となっていました。それでも何とか企業型の保育施設を見つけ、事前に申し込みを済ませておき、上の子の遠足の集合時間前に預け、遠足解散後すぐに下の子の迎えに行きましたが、五時間程度の預かりで7000円の請求を受けました。

子どもを一人きりで自宅に放置するくらいならば誰かに預ければ良いのに、と簡単に思うかも知れませんが、預けたなら預けたなりに料金が発生するのです。そもそも生後3ヶ月の子ならば預かって貰える施設が限られてしまうのです。
先に挙げた大阪の事件では、母親は知人男性二人に一歳の子どもを預けました。これもきっと、正規の保育施設に夜間子どもを預ける事が出来なかった、あるいは出来ないと母親が思った、または料金が高額すぎて支払いが難しい(支払いをしたくない)と母親が思ったので、知人男性を頼ったのでしょう。

預けたなら預けたなりに責められ、預けなければ虐待だと言われる。仕事は日中のものだけでは無く、夜間に働かざるを得ない人々もいます。夜の仕事に就く事が悪いと言うならば、そうした仕事の存在を求める人もいる社会にも問題はある筈です。いつでも安心して幼い子どもを預けられる施設が充実している訳でもないこの社会において、シングルで子どもを育てる事はとても難しい事だと思います。シングルで子どもを育てようと思う事がそもそも間違いだと言う人もいるかも知れませんが、私だって夫に万が一の事があれば突然シングルマザーになる訳なので、シングルである事を責めるのは土台がおかしいのです。

そもそもシングルでなく、夫がいて専業主婦をしている女性でも、子どもから一時的に離れなければ産後うつになってしまう事もあります。これまであった多くの実母からの乳幼児への虐待事件は、一時保育の機会があればその件数はだいぶ少なかったのではないかと思います。
乳幼児への虐待事件が起きずに済むよう誰でもいつでも子どもを預けられる一時保育の施設が必要なのに、夜間も授乳やオムツ換えが必要な生後10ヶ月未満の時には昼間でだって簡単に子どもを預かっては貰えないのです。
これは、母親ならば愛情で全てカバー出来るだろうという誤解が未だ解けていないせいではないかと思います。

東京・台東区の一件では、赤ちゃんは16時間放置しただけで亡くなってしまう事に衝撃を受けた人もいるのではないでしょうか。亡くなった生後3ヶ月の子どもの死因は乳幼児突然死症候群SIDS)だったのかも知れませんし、寝返りをうっての窒息死だったのかも知れません。今回の件では原因は未だ分かりませんが、我が子がそうならないように今夜も多くの親御さんは自身の睡眠時間などを削って育児に奮闘しているのでしょう。

子どもを保育施設に預けても愛情不足だと言う人々がいなくなり、誰でもいつでも安心して子どもの事を任せられる施設が各地にあれば。
「赤ちゃんは皆で育てるの」
女児アニメの「プリキュア」にて主人公はこのように言いました。
この「皆」とは社会の事であり、家族や地域の人々だけでなく、保育施設も含めての事だと思います。
母親だけでなく、「皆」で赤ちゃんを育てる事が普通になれば、大阪で起きた知人男性による虐待事件の時にも、知人男性に子どもを預けて働きに出ていた母親が責められる謂れはいないのにと胸が痛みます。

新しい生活様式での良かった点

コロナ禍において、様々な変化が私たちの生活に訪れました。今年度は我が家の上の子が小学一年生になったのですが、子どもたち自身は生活様式の変化をどのように感じているのでしょうか。

先日行われた我が子の授業参観では、保護者は密にならないよう二校時~四校時の間の、いずれか一つに来校するようにとの通達がありました。保護者のスケジュールにもよりますが、見たい科目の授業を見に行ける形式はとても良いと思いました。あるママさんは校舎の上から順に、二校時目に三階に教室のある一番上の子、三校時目に二階にいる真ん中の子、四校時目に一階で一年生の末の子の授業を見たのだそうです。もしかしたらこの小学校は以前からそうした形式だったのかも知れませんが、在校生を複数もつ方が1コマ1コマじっくりと授業を見られるこの取り組みは今後も続けて頂きたいと思いました。

また本来ならPTA総会が授業参観の後にあったらしいのですが、保護者の退校時間がまちまちになるからか、その日は総会資料が教室の後ろに置かれていました。保護者は我が子の名前が書かれている封筒を持ち帰り、帰宅してから読むというスタイルです。誰の保護者が来たのか足跡が残るので、先生も管理しやすかったのではないでしょうか。体育館に椅子を用意するなどといった会場作りも必要なかったので、誰もが楽だったのではないかと思います。

授業参観の際には普段の子どもの様子が見られるからと、休み時間から行く事を勧めていた記事を以前読んだ事がありました。そこで私が見ようとした授業の前の休み時間が始まる時には子どもの教室の廊下にいるようにしたのですが、我が子の隣の教室から手を繋いでトイレに行こうとした女子児童二人に対し、そのクラスの担任の先生が「本当にトイレに行きたいのはどっち? 一人で行こうね」と指導する場面に行き合いました。
コロナウイルス感染予防の為に、児童には休み時間には自分の席で読書をしたりお絵描きをしたりする過ごし方が推奨されているようで、おしゃべりしている子たちも互いに距離をとるよう先生に言われていました。学校で集団感染させないよう先生方が苦心されている事が分かった他、今の子どもたちは休み時間に一人でいる事が「おかしい事」ではないと認識されていると分かりました。


子どもが仲間外れになってしまったら…。親ができる3つのこと
https://esse-online.jp/life/221788?cx_clicks_art_mdl=4_title

という記事がありましたが、これならば学校内で「仲間外れ」という事案は発生しにくいのではないかと少し安心しました。顔を寄せ合ってのひそひそ話が禁止という事は、少なくとも校内においては誰かの陰口も言えない筈です。

我が子に聞いたところ、給食は班になって机を向かい合わせにする事もなく、授業の時の向きのままで黙々と食べるのだそうです。丁度このタイミングで一年生になった子どもたちは、もしかしたら「小学校とは、こうして食べるもの」と思っている子もいるのかも知れません。
少食で食べる事が遅い我が子は、話しかける事も話しかけられる事もない為、自分の給食とじっくり向き合えるので、本人なりに「いっぱい食べた」「今日はひとつしか残さなかった(牛乳だけ、など残したのはメニューのうちの一種類という意味)」と自慢してくる程度には食べてきているようです。

私自身はと言うと、下の子どもの幼稚園送迎の時にマスクで顔を隠せるので身支度が楽になりました。また挨拶だけの関係の保護者さんの横を通る時の自分の表情作りも楽になりました。どうせマスクで相手からは見えないのだから、頑張って口角を上げなくても良いのですから。
余談ですが、マスクで顔が隠れているのに、入園からたった一週間程度しか通えず登園自粛期間となったにも関わらず、どの子の保護者が迎えに来たのか瞬時に分かる幼稚園の年少組先生の記憶力には脱帽です。

行事はなくなり、コロナの時代を生きる子どもたちは学校の楽しい面を知る機会が少なくなってしまっているのかも知れません。大変な事もありますが、それでも、もしかしたら誰かにとっては少しだけ生きやすい時代になったとも言えるのではないでしょうか。
保護者アンケートにて、自宅にWi-Fi環境の有無を答える機会がありました。再度の休校を見越して、リモート授業の可能性を教育委員会が模索しているようです。私立学校などではコロナ休校中に既にリモートでの授業が行われたとニュース等で知りましたが、公立の我が子の学校ではあの期間は担任の先生が持ってきて下さった問題集を行うのみでした。しかし、どうしても子どもの面倒を見られる人がいない低学年の児童は事前申請の上で登校できる事になっていました。休校期間中に行われた家庭訪問の際に、学校が再開してからの授業で、授業内容を既に学んでいる子が多ければ先生が楽になるだろうと、そうした子たちは学校で授業の先取りをしているのか質問した事があります。すると、在宅してくれている児童に不公平になるので、登校している子たちも先生が近くにいながら指導は受けておらず、内心では「鉛筆の持ち方を直させたい」「書き順が違うと教えたい」と先生もヤキモキしていたのだそうです。
しかしリモート授業の準備が進めば、登校する子は教室で、リモート授業を受ける環境がある子は自宅で一緒に同じ授業が受けられるかも知れません。これはコロナウイルス感染予防の為ではありますが、事情があって登校できなくなってしまった児童生徒も、安心できる場所で授業を受ける事が出来るというメリットがあるかと思います。

リモートワークになった方は、自宅でのお仕事は別の大変さを生んだかも知れませんが、通勤の大変さが軽減された方も多いのではないでしょうか。
少しずつ、出来るだけ多くの人にとって「前よりはちょっと楽になった」、そんな風に思えるように社会が変化していければ良いなと思います。