xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

I was born.

オウム真理教の記事とアンパンマンの記事に共通するものを見つけました。


死刑執行…信者と面接して見えた「オウム事件」もう一つの現実
なぜ人々は信者と化したのか?

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56456


まずオウム真理教の記事から抜粋。

林郁夫は、慶応大学を卒業し心臓外科医として生きていくなかで、救えなかった多くの患者たちの姿を見て、「『死』については、なにもわかっていない」という思いに直面する。

そして「現代の科学が避けていたり、あるいはただ考えていても解けないような問題を解決してくれる法則があるはずだ、それを追求したい」という「人生のテーマ」を抱いて、オウム真理教に入信することとなる。

(中略)

また、高橋英俊は(中略)
手記のなかで「この時代のこの場所に、なぜ自分は存在しているのか。それが僕の知りたいところだった」「僕が『ここにいる』ということにどんな意味があるのか。どう考えてもその答えは見つからない。だが『意味がない』ということが答えだとすると、僕には耐え難いことだった」と述べ、こうした問いへの答えを見つけることが入信に至る大きな動機であったと述べている。

いずれにも共通しているのは、自分の日常や人生に対する疑問を抱き、答えの見つからない苦しさ、不安から逃れることが1つの動機となっていたことだ。

そして、自分で苦しみながら、自らの人生のなかで答えを掴み取ろうとするのではなく、教団に答えを求めたのである。

自分は何のために生まれてきたのか

何を成すために生を受けたのか

自分がこの場所に存在する意味とは何か

自分は生きる価値がある人間なのか

自分はこの世界に、居ても良いのだろうか

多くの人が生きる上で、こうした問いと向き合う事があるのではないかと思います。

そして気が付くのです。

アニメ「それいけ!アンパンマン」のテーマ曲「アンパンマンのマーチ」の歌詞で、既にこれらの問いが私たちに投げかけられていた事を。

ここからはこちらの記事から抜粋します。


大人たちが号泣したアンパンマンの「神映画」を知っていますか?

https://www.buzzfeed.com/jp/tsunehikonishimaki/anpan-movie?utm_term=.capwZD2GZ#.xj2DlN0wl

2006(年)に公開された「いのちの星のドーリィ」。
アンパンマンのマーチ」の歌詞にある「何のために生まれて 何をして生きるのか」という一節がテーマとして問われた名作です。

いのちの星によって命を得た人形のドーリィは「せっかく命をもらったんだもん、自分が好きなことだけして、自分のことだけ考えて、毎日楽しく生きればいいのよ!」と勝手気ままな行動でみんな困らせてしまいます。

やがて、ドーリィは、胸のいのちの星のほのおが小さくなっていることに気づきます。

「なにかが足りない気がするの。私は何のために生まれてきたんだろう」

日本という国でアンパンマンを見聞きしないで育つ子どもは果たしてどれくらいいるのだろう。
幼児がいる家庭ではしばしば、大人も一緒にアニメ「それいけ!アンパンマン」を視聴しているのではないかと思います。

 何が君の幸せ
 何をして喜ぶ
 解らないまま終わる
 そんなのは嫌だ!

有名な「アンパンマンのマーチ」の歌詞の一部ですが、テレビで流れるこちらの歌詞は実は2番。
これだけでも十分考察しがいがありますが、私の中でアンパンマンオウム真理教の記事が重なったのは次の歌詞です。

 何の為に生まれて
 何をして生きるのか
 答えられないなんて
 そんなのは嫌だ!

この1番の歌詞は子ども向けアニメとしては重すぎる事から主題歌に採用されず普段アニメで聞くことはありませんが、だからこそ初めて知った時には衝撃を受けました。

「何の為に生まれて、何をして生きるのか」

この問いを国民的幼児向けアニメである「アンパンマン」でするのかと。


オウム真理教に入信した若者同様、私自身も思春期の頃にこの問いにつまづき、自分なりの解を得て今に至りました。

そしてありきたりですが、我が子を産んだ瞬間に、また別の答えを得たのです。


第一子を産み終え、陣痛から解き放たれ我が子の産声をぼんやりと聞いていた時に、かちり、と
鎖が繋がるイメージが脳裏に浮かびました。

それは連綿と続いた生命の鎖の末端だった私の先に、新しいパーツがくっついた音です。

生命とはリレーのようなもの。

誰かが始め、現代にまで途切れる事なく続いてきた長い長いリレー。

親やそのまた親が繋いできた遺伝子を、私もまた子に繋ぐ。
自分たちは遺伝子を未来へと運ぶ入れ物なのだ。

そうした長い旅路の果てにどこに辿り着くのかは中継地点である私には見いだす事は出来ませんが、

私が生まれた理由はきっと

こうして生命の鎖を繋ぐ為


あなたと出会うために、私は生まれた

産後、分娩台の上で感じた感覚は、自分の意識が歴史の一部として世界に溶け込んだような、不思議なものでした。



一番多感な中学生の時に英語の授業で

I was born (私は生まれた)

という一文に出会います。

be動詞+過去分詞は受動態

つまり直訳すれば「私は生まれさせられた」

それは、何の為に?


多くの若者がこの問いにつまづき、その心の隙間を埋めてくれるのではないかと期待した一部がオウム真理教にのめり込んだ。

またここでアンパンマンの新作映画の記事より、脚本家の金春智子氏へのインタビュー部分を抜粋します。

――ロールパンナちゃんのセリフで「アンパンマンはすごいな。自分がなんのために生まれてきたのか知っている…」「(ロールパンナちゃんはなんのために生まれてきたの?という問いに)…わからない」というものがありましたね。

ロールパンナちゃんは物語でどのような役割を持っているのでしょうか?

金春:ロールパンナちゃんはとても重い運命を背負って生まれていて、他のキャラクターたちとは立ち位置が違います。

いつも孤独で、誰よりも「自分は何のために生まれてきたんだろう」と自分を見つめ続けているキャラクターであるように思います。

私たちはロールパンナちゃんのように問い続けなければならない

自身が存在する理由を

そしてまた、気付かなければならない

同じ電車に乗り合わせた隣の人もまた、遺伝子を未来へと運ぶ、レースの最中なのだという事を

その旅路を、誰かが勝手に途切れさせる事は許されない事なのだと


私は子どもたちに遺伝子を引き継ぎはしましたが、それは完全な私のコピーではない以上、私自身の遺伝子のレースもまた、まだ終わった訳ではありません。

私自身の遺伝子も、少しでも未来へ保存する。

自身も走りつつ、かつ、誰かがつまづいた時に支えるよう伴走する役目が誰しもにあると思うのです。


我が子がつまづいた時に、まずは私が、子らを支える杖となれますように。

そして、我が子が誰かを支えられる人になれますように。