xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

局地戦の撤退は負けじゃない

「自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。」(@matsu_bouzu)

農業アイドル「愛の葉Girls」の元メンバー・大本萌景さん(当時16歳)が自殺した問題を受けてダウンタウン松本人志さんがTwitterに投稿した一文で、賛否両論が起きています。

松本氏は他にもフジテレビ系「ワイドナショー」(2018年10月14日放送)で
「ついついかばってしまいがちなんやけど、僕は『やっぱり死んだら負けや』ということをもっとみんなが言わないと。死んだらみんながかばってくれるっていう風潮がすごく嫌なんですよ」
と発言したそうです。

死んではいけないんだよ、と言いたいのだなという事は分かります。
ですが「勝ち負けとかじゃなくて、そうする事でしか楽になれないと本人が思ってしまったんだから、もう言ってくれるな」という気持ちにもなるのです。
松本氏のツイートに違和感を覚え、それでも一理あるとする方の記事を見つけました。そして被害者が自殺しただけではいじめは終わらないのだと、私はこの記事で知りました。


松本人志の「死んだら負け」論 不登校新聞編集長が抱く違和感〈dot.〉

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181017-00000065-sasahi-life


 2005年10月11日、佑美さんは「生きるのに疲れました。本当にごめんなさい」と書き残して亡くなっています。

 しかし佑美さんの死後、「いなくなってせいせいした」と話す生徒や、佑美さんの使っていた机に「see you, the end」と落書きされていた、ということがあったそうです。

 つまり佑美さんは亡くなってからもいじめを受け続けたのです。

一般的に日本の文化では、人は亡くなったら「仏様」になります。良い人も悪い人も亡くなれば「カミサマ」。
それは亡くなった人はもう手が届かない、次元を越えた存在になるからで、だからこそイジメを苦にした自殺は、加害者に対して行える、被害者からの最大の復讐なのだと思っていました。

私もこれまでの人生において何がしかの嫌がらせを受けた事があります。そんな時にふと、私が当て付けに自殺でもしてやれば相手は自分がしでかした事の大きさに気付いて反省するだろうか、と淡い期待を抱いた事があります。
遺書に○○さんにこんな事をされた、それがどのように苦痛だったかを書けば相手の悪事が白日のもとに晒され、○○さんが社会から制裁を受けるだろうと。あるいは○○さん自身が、私に対しとんでもない事をしてしまっていたのだと気付き反省してくれるだろうかと。

自殺は周囲への最大の当て付け。
自分はこれくらい大変だったのだという世間へのアピール。
同時に自分を、これ以上の攻撃から身を守る最大の防御。
私はそう思っていたので、若年者のイジメを苦にした自殺のニュースを知る度に
「加害者の名前をちゃんと遺書にしたためて、最後の最後に特大の反撃をしたんだろうな」と思っていました。

しかしイジメ問題においての「被害者の自殺」は決してキメ技にはならないらしく、先に挙げた記事では被害者が死亡したのにも関わらず、更に加害者からのイジメ行為は続行されたようでした。被害者の自殺は、ただ被害者本人がイジメを認識できなくなっただけで、ついには本来頼るべき学校、裁判所までもが加害者側に回ったと記事にあります。
被害者が自殺を図ってもイジメが終わらなかった例は、この一件だけに止まらないようです。


【海外発!Breaking News】娘が自殺を図った後も続くネットいじめ 両親は涙と怒り(米)<動画あり>

https://www.google.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/14015035/


カリフォルニア州ユカイパのメサ・ビュー中学校に通っていたロザリー・アヴィラさん(13歳)は、長いあいだ学校でいじめを受けていた。彼女はいじめ行為をした生徒の名前などが書かれた日記を遺しており、「今日は自分の歯のことをからかわれて“醜い”と言われた」とも綴っていたそうだ。

中学校はロザリーさんのいじめ被害を把握しており、ロザリーさんも何度もカウンセリングを受けていた。しかし何の対応もしない学校側に絶望したのか、11月末にロザリーさんは自宅寝室で首を吊って自殺を図った。部屋には「パパ、ママ、ごめんね。大好きだよ。ママ、私のこんな姿を見せてしまってごめんなさい」と遺書があったという。

ところが病院に搬送され、生命維持装置を装着しているロザリーさんへのいじめはまだ続いた。メディアで報道されたロザリーさんの写真を無断使用した何者かによって「ねぇママ、今度は私をベッドで寝かせるのではなく、お墓の中に入れてね」という文字とともに、深く掘られた墓場を指差すロザリーさんの合成写真がSNSに投稿されたのだ。

被害者がイジメを苦にして自殺を図ってもなお、加害者は反省するどころか、その攻撃の手をやめない。ロザリーさんの合成写真を作成した何者かは学校関係者ではなく、ニュースで知り面白がって便乗した第三者なのかも知れませんが、本来無関係だったその人もまた加害者側に回った。
先に挙げた日本の例では、学校は生徒にとったイジメアンケートの不都合なもの、全体の8割を破棄し、遺書を「手紙」と言い換え軽視し、イジメは無かったと主張。裁判所はそうした学校側の主張を支持し「イジメは無かった」と判決したそうです。
適切な対応をとらなかった学校側の落ち度を認めれば責任が追求され損害賠償問題になる。だからこそ学校側はイジメを無かった事にしたかったのだろうと思います。
被害者の自殺は学校側にとって甚だ迷惑でしかなく、イジメ問題を解決させるのではなく隠蔽の方向にに走った。それはもしかしたら「これから」が無い被害者より、「これから」が有る加害者を庇いたかったからなのかも知れません。
最大多数の最大幸福。
一人の亡くなった被害者よりも、多数のイジメ加害者及び教師、教育委員会に連なる人々の人生を守る方を学校側は選んだのではないかと。

ダウンタウン松本人志さんが番組で話した発言、
「ついついかばってしまいがちなんやけど、僕は『やっぱり死んだら負けや』ということをもっとみんなが言わないと。死んだらみんながかばってくれるっていう風潮がすごく嫌なんですよ」
は、もしかしたら
「自殺したら周囲は同情してあなたの事を擁護してくれると思っただろう? マスコミなんかの報道の仕方はそんな風潮だのもね。でもそんなのは幻想だよ。あなたが死んだって、あなたが庇ってくれないかなと期待した人からはやっぱり庇ってなんて貰えないからね。いま死んだらこれまで頑張ってきた事も全部意味がなくなるよ。だから生きてないといけないんだよ」
という意味だったのかも知れません。

自殺を同情してくれるのは関係の無い第三者
加害者は何の反省もしない。むしろ武勇伝のネタにするかも知れない。
自責の念にかられるのは、あなたが頼らなかった、隠れたあなたの味方だった人だけ。
イジメで辛かった時にあなたが庇ってくれないかなと願った人は、あなたが自殺した後だって、やっぱり庇ってはくれないよ。何故ならその人には「これから」が有るから。その人は今後もその集団の中で生き抜いていかなければならないから。
あなたの自殺が報道されたらあなたの写真がメディアに出回り、あなたのプライバシーは何も無くなるよ。顔と名前と年齢と経歴、場合によっては卒業文集や自宅の場所まで全部世間に晒され、もっとオモチャにされるよ。
だから、あなたが死んだら、単にあなたの一人負けなだけなんだよ。
松本氏の発言を受けてまとめた記事を読んでから、あの「死んだら負け」発言はそういう意味だったのかなと思うようになりました。


しかし、それでもなお、辛い現実から逃れる為に自殺を選択する人は今後も無くならないのではないかと思います。
自殺を試みる人は、もう戦う事が困難になったので、不戦敗になっても良いから早くリングから降りたいだけなのだと思います。そして、そう願う人は今後も続くだろうと思います。
だからこそ自殺まで考えている人に教えるべきは、上手に負けて退場する方法なのだと思うのです。

「負け方」にも様々なものがあります。正面から向き合ってK.O.される大きな負けや、試合の流れを読んで、この打者が打席に入った時にはストライクゾーンにボールを投げない小さな負け、あるいはあえて戦わない不戦敗など。

人生は戦いの連続かも知れませんが、ひとつの大きな戦争も結局はその都度その都度の局地戦です。最終的な勝利のために撤退戦をしなければならない時もあるでしょう。毎回毎回勝っていては疲れてしまいます。
人生においての勝利とは、今際の際に「まぁまぁ悪くない人生だったな」と思える事だとどこかで聞いた事があります。局地戦で何回か負けようと、最終的に勝利すればそれは勝ち戦になるのです。

つまりは勝ち目の無い階級のリングから降り、別の階級のリーグに移る事を恥だと思わない風潮を作れば良いと思います。
イジメられているならクラスを変えて貰う、あるいは学校を変える。職場の環境が辛いなら転職や労働局に訴える。それは「負け」ではないのだと。
戦うばかりではなく、時には逃げる事も必要なのだと。

以前に投稿した記事で、「HUGっと!プリキュア」の主人公、野乃はな は、前に通っていた学校でイジメに遭っていた事を書きました。前向きで一生懸命な主人公ですが、作中で主人公はイジメとは戦わず、転校という形で撤退戦を行い、結果素敵な仲間たちに出会いました。
2018年9月9日放送の第31話「時よ、すすめ!メモリアルキュアクロック誕生!」の回では、以前の学校の友人であり、主人公がイジメられる原因になった人物が登場しました。そもそもその人物がイジメられているのを主人公が庇ったせいで、イジメの標的が主人公にされたのです。
その人物はインターネットに挙げた画像に楽しげに写る主人公を見て謝罪を決意し、転校した主人公に会いに来ました。
その人物は主人公の楽しそうな様子を知って、今なら許されるタイミングだろうと踏んでの来訪だったのかなとも思えましたが、顔を会わせるなり逃げるなど、その謝罪を主人公はすんなり受け入れはしませんでした。

辛い事があるなら逃げても良い。
いつも正面から戦わなければならない理由など無い。
逃げる事は負けではないし、恥でもない。
でもそこで自殺したら本当に負けになってしまう。
負けるくらいなら逃げましょう。

【死んだら負け】
私もこの言葉に賛同します。