xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

給食を完食したって世界の飢餓は解決しない

給食を食べ残そうとした児童に向かい
「アフリカでは食べたくても食べられない子どもが居るんだぞ」
と完食を促す教師は今なお存在するのでしょうか。私もかつてはこの教師よりの人間でした。日本のいち地方の給食の残飯程度が世界の飢餓問題に何ら影響しないだろうとは子供心に思っていましたが、出された給食をさっさと食べろとは思っていました。

私の給食のネガティブな思い出といえば、ソフト麺がなかなかほぐれず食べにくかった事、食器類の運搬が重くて大変だった事、たった一度きりの伝説的にまずいメニューがあった事(むしろ今でも同級会でネタになるので楽しい思い出かも知れない)、そしていつまでも食べ終わらず、給食居残りをさせられていた子に苛立っていた事です。
私が通った小学校では給食の時間の後に昼休み、そして掃除の時間と続き、その後で五時間目の授業という流れでした。給食と昼休みの時間の間に食べ終わる事が出来なかった子は、掃除の時間になって机を教室の後ろに下げられ机同士の間隔を狭くされた間で埃まみれの空気の中で、いつまでもいつまでも給食と格闘していました。
女子でありながら男子に混じっておかわりまでしていた自分には、何故そんな屈辱的な扱いをされても食べないでいられるのかが理解できず、その位さっさと食べろよといつも思っていました。食べれば良いだけなのですから、もたもたせずに口を動かして欲しかった。そうすれば私たちも思いっきり掃き掃除が出来るのです。私が手伝えば10秒で食べ終わる。そんな量をちまちま食べている様子を見る事は本当に嫌でした。

もし嫌いなおかずが出たせいで食指が動かないのだとしたら、苦手なものは最初にさっさと食べ終えるタイプの私には、嫌いなおかずを最後にとっておく食べ方の非効率的さに苛立ちましたし、私には少し物足りなく感じる量の給食を、まさか食べきれない人がいるなどとは思いもしなかった為、掃除の時間の邪魔でしかない給食居残り人には本当に苛立って仕方ありませんでした。
最悪だった思い出は給食居残り人が私たちの掃除中に吐いた事です。清掃は学年縦割りの班で行なう事になっており、その時の私の班の掃除担当箇所は私よりも上級生の教室でした。上級生が私の目の前で嘔吐し、嫌なものを見せられた事と掃除の仕事を増やされた事で私はその人を心の底から怨みました。
五年生にもなって食べられないものがあるとかみっともない。
給食のおばさんが朝から一生懸命作ったものなのに勿体ない。
吐くくらい嫌なら吐く前に先生に言え。
そもそも何故これしきの量が食べられない。

給食を食べきれない子の気持ちが本当に分からなかった私は、それから十数年後に自分の子どもに対し、あの時の教師と同じ指導をしました。そして吐かれました。
既に書いた気がするのですが、私は娘に早く成長して欲しいあまり食べ残しを許しませんでした。食事を残されるという事は作り手である私の存在否定のようにも思えた為、娘には出された食事は残さず食べるよう強要したのです。もちろん用意していたのは幼児食のレシピ本に記載されている、年齢に則した分量です。
これ位の量は食べて欲しい。
食べなければ大きくなれない。
大きくなる為には食べるべきだ。
そうして娘を食べろ食べろと追い詰め、結果、夜中に布団の中で嘔吐されました。

無理に食べさせる事を止めた為か娘にとって食事はストレスにはならなくなったようですが、幼稚園のクラスの中で娘は身長順に並ぶと常に先頭か二番目です。生まれ月の影響が大きい筈の幼児の年齢で、秋冬生まれどころか早生まれの子にも身長を抜かれてしまっている事は少々気がかりですが、にこにこ笑いながら食べて健康でいてくれている事に救われています。
ちなみに私の身長は30代日本人女性の平均値である158センチです(総務省「国民健康・栄養調査」より)。春生まれのためか小学校低学年あたりまでは男女合わせた中でも一番の高身長でした。よく食べるわりにはBMIローレル指数)はふつう~やせ範囲で、燃費が悪いタイプした。

さて、そんな娘の今後の事で気がかりなのが小学校に入学してからの給食です。食の細い娘の担任教師がかつての私のような人物だった場合、娘は給食が原因で不登校になること確実です。夫は小学生時代、給食が嫌で学校を抜け出し、校門目の前の自宅で昼食を摂ってから午後の授業に出席していたらしいのですが、そのような事はもう許される時代ではない筈です。
そんな不安な中でこのような記事を見つけました。


学校給食は「残すな」より「食べ残せ」が正しい

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181106-00247115-toyo-bus_all

川﨑市立看護短期大学の西端泉教授によると、基礎代謝量(体を動かさなくても消費するエネルギー量)だけをとっても、同じ年齢、性別、体格で最大20%程度の個人差があるそうです。しかも、この基礎代謝量の個人差を生じさせる遺伝子がすでに特定されているそうです。つまり、基礎代謝量は遺伝子レベルでほぼ決まっているのです。

 これに活動代謝量(体を動かすことで消費するエネルギー量)を加味すれば、同じ学年の子どもでも代謝量はさらに大きく違ってきます。しかも、同じ子であっても、その日の活動量、体調、精神状態などによって代謝量は大きく変化します。ですから、一律に食べる量を決めることなどやってはいけないことなのです。「給食の量はその学年の子にふさわしい量になっているのだから残してはいけない」などと言って強制する先生もいますが、これは上記の事情を無視した暴論と言わざるをえません。

(中略)

 子どもたちに給食の完食を強制するなどまったくナンセンスです。子どもが無理に完食することで難民や貧困の人たちが救われるわけではありません。その子が食べ残すことが、まるで難民や貧困の人たちを苦しめることでもあるかのように脅すのはやめるべきです。

そして記事では食べ過ぎこそが健康を害する、少しの量にしてもらう勇気、食べ残す勇気が必要と閉められています。

基礎代謝量は遺伝子レベルでほぼ決まっている」
成人男性3日分のカロリーもあるボリュームの料理を大食いチャレンジとして芸能人が食べきる様子を放送するテレビ番組がありますが、よく食べる方の私でもあの料理を完食する事は難しいと思います。少食な娘にとっての「年齢に則した分量」は、もしかしたら私にとっての大食いチャレンジレベルの分量に感じられていたのかも知れません。だからこそ白米数口で食事を終えても娘の場合は栄養失調などにならなかったのだろうかと思い至りました。
子どもには食べむらがあっても仕方ありません。一食一食に目くじらを立てず、数日間のトータルで帳尻が合えばそれで良いのだと思うようになりました。

幼稚園児の娘は朝食時は8枚切りの食パン一枚が食べられる限界ですが、幸いながら幼稚園の先生の指導のおかげで給食を完食する日々が多くなりました。「完食」と言っても娘の分は最初から半分の分量にした給食が渡されています。お友だちと同じタイミングで食べ終えられるので、娘は給食の時間も楽しくなったようです。それどころか「今日は○○くんより先に食べ終わった」と自慢してくるようになり、自己肯定感が増したように感じられます。給食も教育の場なのだとしみじみと思いました。
給食は元々、家が貧しくてお弁当を持って来られない子どもの為に始められた事だったそうです。そんな栄養不足の子どもを減らすために実施された給食も、飽食の時代になると今度は残飯問題に悩まされるようになります。食べ物となった命に感謝、作り手の方々への感謝、もったいない精神を養う為に残飯を減らす事も大切ですが、大人になってからも給食の嫌な記憶に囚われている方々の記事を読んで、その子の健康と健全な精神育成の方が残飯削減よりももっと大切なのではないかと思うようになりました。

お腹いっぱい食べるよりも、ほどほどの量の方が健康を保つ。
基礎代謝量は遺伝子レベルでほぼ決まっている」ので、「一律に食べる量を決めることなどやってはいけない」
虐待で食事を与えられない家庭の子にとって、給食は命綱だと聞きます。しかし日本の殆どの子どもにとって給食が栄養補給の役割を果たす目的は薄くなってきているのではないかと思います。
足りない栄養素があるならば他の食品から補える時代になりましたので、好き嫌いをなくす指導ももはや時代遅れなのかも知れません。
「みんなちがって みんないい」という有名な詩があるように、必要な子にはどんどん食べさせ、少なくして欲しい子には希望の通りにする。欠食を補う時代から、個性を認める時代へ給食の意識も変える時が来たのかもしれないと思うようになりました。

私は学校給食がとても好きでした。給食センターは小学校に併設されており、全て公立育ちだった私は幼稚園から中学まで同じ給食センターにお世話になりました。設備内にある大きな調理器具の珍しさにわくわくし、炊きたてのご飯の匂いと調理の湯気がいまだ立ち込める受け取り口に来ると、メニューを知っている筈なのに今日の給食は何だろうと浮き足立ちました。給食当番でお鍋などを返却しに行く時に「ごちそうさまでした」と言うと、センターの人たちがニコニコしながら出迎えてくれました。
私にとって良い思い出が沢山詰まっている学校給食。だからこそ、それは娘にとっても楽しいものであって欲しいと願うのです。