xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

一汁三菜、毎日違う献立という呪縛

私は子どもの頃に「毎日30品目食べましょう」と言われて育ちました。30種類の食物を摂取せよというのは1985年に厚生労働省が作った「健康づくりのための食生活指針」で提唱された栄養目標だったそうです。ところが現在ではその文言は削除され、「主食、主菜、副菜を基本に食事のバランスをよく」との表現になっています。
子どもの食事を用意する時にいつも頭にちらつくのはこの「30品目」でした。今日はたった10品目しか食べさせられなかった、もっと色々食べさせなくては…と気に病む日も少なくありません。
娘は食が細く、まずは食事は完食する事を目標としていたので、それこそ「食べてくれるもの」ばかりに食品が片寄り、その度に理想の食生活とは程遠い育児に落ち込んだ事もあります。
しかしこの「30品目」とは、どうやら栄養素の面から提唱された基準ではないらしいと下記で紹介しているサイトで読みました。発ガン性物質が含まれている食物ばかりを摂取していれば一気に体内に悪い成分が蓄積されてしまう。従ってそのリスクを分散させる為に食べる品目をバラバラにさせようとして「30品目」と制定したらしいというのです。

(「1日30品目を食べよう」は16年も前に削除されていた!誤った栄養素信仰の落とし穴と、30品目食べても健康になれないワケ より
https://macrobiotic-daisuki.jp/eiyou-matigai-kenkou-22487.html


美容の為にモデルさんなどはスーパーフードと呼ばれる、様々な栄養素が豊富に含まれる食品を食べているとメディアで紹介されているのを目にします。スーパーフードという言葉を最初に耳にした時は、一般人や地方在住の者ではなかなか手に入れる事の出来ない、あるいは調理の難しい特殊な食物の事かと私は思ったのですが、ブロッコリーやアーモンドもそれに該当するそうです。更に日本独自のジャパニーズスーパーフードの基準では味噌や醤油、納豆、緑茶、昆布、海苔、ひじき、梅干、枝豆、大豆や小豆なども「スーパーフード」と呼んで良いのだそう。
(一般社団法人日本スーパーフード協会のサイトより
http://www.superfoods.or.jp/スーパーフードとは-2/)


つまり娘が納豆と白米だけしか食べなかったとしても、それを2品目とカウントするのではなく、納豆と白米に含まれる栄養素で考えれば、結構満遍なく栄養を摂取している事になるのです。何しろ納豆には5大栄養素全てが含まれているらしいのですから。
(株式会社ヤマダフーズのサイトより
http://www.yamadafoods.co.jp/library/nutrient/


「30品目」の呪縛の次は「一汁三菜」という和食の基本が襲いかかってきます。汁物一品とおかず三品。これが料理が得意とは言えない私にはなかなか荷が重い事でした。せめて夫の食事は一汁三菜を守ろうと頑張っている所ですが、副菜は2日続けて同じもの、という事もしばしばあります。主菜のレパートリーもそれほど無い私は、毎日の献立を考える事に日々追われています。
そんな折に下記の記事を読んで目から鱗が落ちました。


ドイツに行った日本人「毎日イモでつらい」、日本在住ドイツ人「毎日違う料理で疲れる」 日独の食文化は真逆?

https://otonanswer.jp/post/8677/


ドイツに行った友人が「毎日ジャガイモとソーセージとザワークラウトとビールしかなくつらかった」と話していたとの投稿がSNS上になされました。しかし、このユーザーが、毎日鮭弁当を食べている日本在住のドイツ人にその理由を聞いたところ「日本人は毎日違うもの食べてて疲れる」との回答が。「毎日同じもので育つと違うものにストレスを感じるんだなーって新しい気付きでした!ほんまに裏表!」とツイートすると「これが文化の違いというやつか」「多様な食文化にどっぷりと浸り過ぎなのかもしれません」などと共感する声が上がりました。

「毎日違うものを食べると疲れる」!?

献立は毎日違うものであるべき、何故なら栄養が偏ってしまうから、と考えていた私には思いもよらない意見でした。
そう言えばフランス人の朝食もクロワッサンとカフェオレだけ、という話も聞いた事があります。


フランス人の朝は何から始まる?パリジェンヌたちの朝ごはん

http://suhada.avene.co.jp/france/3286


先日、フランス人の友人が、東京に出張に行き、びっくりしたことを話してくれました。「テレビコマーシャルで朝食スープの画像を見たよ。朝からスープ!? 絶対にありえない!」と。朝食はフランス語では、petit dejeune(プティデジョネ)。小さな昼食の意味です。パリの家庭では、朝からサラダやスープ、卵料理はありえないのです。


日本の食育では「朝食はしっかり食べましょう」と教えられます。そして和食の基本は一汁三菜。更に毎日30品目の摂取ともなれば、様々な食物を摂取するべく献立は毎日毎日変えるべきだと思い込んでいました。何故なら学校給食の献立が毎日異なっていたからです。私の中での「食事とはこうあるべき」の基準はプロの栄養士さんが工夫に工夫を重ねた学校給食でした。

栄養さえ摂れていれば献立にさほど変化はいらないのかも知れない。日本は外国の料理もどんどん取り入れてしまうので豊かな食文化を持っていますが、かつては季節ごとに採れる野菜は限られ、保存技術も発達していない中で暮らしていました。明治大正昭和初期にだって30品目どころか一汁三菜だって食べていない人が大半だったでしょう。それでも先祖はそんな食生活で生きてきました。
子どもに離乳食を始めた頃は「あれも食べさせなくては、これもまだ試していない」と焦り、幼児食になってからは「今日は10品目しか食べさせられなかった」と落ち込む日もありましたが、これは豊かになった食生活の弊害だったのかも知れません。
栄養のバランスさえとれていれば、毎日の食事もそんなに難しく考える必要は無かったのかも知れません。何故ならドイツはジャガイモとソーセージの食事が殆どで、フランスは朝から卵なんて食べないというのだから。


家事のレベルを下げよう、という記事があります。

「手作り=愛情」は呪い 日本の家事レベル下げよう
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20180531/biz/00m/010/031000c?inb=ys

 日本のように、女性が毎食「愛情を込めて手作り」「一汁三菜」という風変わりなことをやっている国の方が、実は世界では珍しいのです。手のかかるキャラ弁などはさらに珍奇な風習ともいえます。国によってはランチバッグにりんごとクッキーをいれて「ハイ、できあがり」です。家事のレベルを落としたからといって、女性が罪悪感を持つ必要はまったくないのです。

(中略)

 TBSの大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」では、女性がタダで家事をすることを「愛情の搾取だ」と訴えるシーンが話題になりました。家事に「愛情」の意味を与えようとする言説がありますが、実のところ、単なる労働です。

私も家事に手間隙かける事を「愛情」だと思い込んでいるのだと思います。しかし家事を単なる労働のひとつと考えれば、手間隙かける作業はブラック企業サービス残業と変わりないのかも知れません。
丁寧にやれば時間は幾らでもかかるものですが、案外家族はそんなに熱心に家事をやれとは要求していないのかも知れません。生の里芋を何回も煮こぼさせる手間をかけようとも、冷凍の里芋を使って時間短縮しても、家族は違いに気が付かない可能性もあります。

そうは言うものの子どもに食事を与えない事が育児放棄(ネグレクト)と呼ばれるように、手軽でかつ同じ献立が続く事もまた、子どもへの無関心=育児放棄のような気がして気が引けます。
ならばその分を子どもと遊ぶ、子どもに本を読む、子どもの話を聞く方に時間を振り分ければ少しは罪悪感が減るかも知れません。
そもそも家庭料理の献立は同じパターンの繰り返しでも良いのかも知れません。外食の時は様々なメニューを食べられるが、家庭での食事はこういうもの、という考えが主流になれば世の中の育児へのストレスもひとつ減るかも知れません。
「一汁一三菜」も「毎日30品目」も健康な生活を送る事がそもそもの目的なのですから、ストレスの少ない生活を送る事もまた目的を達成させてくれるのではないでしょうか。


長々と書きましたが、白米に納豆だけで子どもが食事を終えても育児放棄じゃないんだよ、と私が誰かに言って貰いたいだけの内容でした。