xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

子育ては「自分育て」

またしても痛ましい虐待のニュースが報じられました。


哺乳瓶ねじ込み乳児の顎骨折る 傷害容疑で24歳父逮捕 徳島・阿南市
https://www.topics.or.jp/articles/-/151760

 哺乳瓶で乳児の娘にけがを負わせたとして、徳島県警捜査1課と阿南署は19日、傷害の疑いで、阿南市日開野町の父親(24)を逮捕した。

 逮捕容疑は、4日午後10時ごろ、自宅居間で生後5カ月の娘に哺乳瓶で授乳中、瓶を口にねじ込んだり、瓶の底を数回手で叩いたりして上顎の骨を折り、約2週間のけがを負わせたとしている。

痛ましい傷害事件ですが、この事件は私のイメージする虐待とは少し違うような気がしました。
私の思う「虐待」とは叩く蹴るなどの暴力、食事を与えない、精神的に追い詰めるなどですが、この事件はやろうと思って行ったのではなく、瞬間的にかっとなってしまっただけなのだろうなと感じました。勿論それは「かっとなって殴った」と同じ事と言えますが、私にはこの父親は直前までは一生懸命赤ちゃんのお世話をしていたのではないかと思うのです。おそらく赤ちゃんがミルクを拒否したのではないでしょうか。
「何で飲まないんだよ!」
飲ませなければならないのに赤ちゃんがミルクを飲んでくれない。哺乳瓶を口に入れさえすれば諦めて飲むのではないか。そんな期待がこの24歳の父親にあったのではないでしょうか。ただその力加減を誤っただけで。

子育ては思い通りにならない事が沢山あります。せっかく作った食事を食べてくれない、寝て欲しいタイミングで寝てくれない、夜中に起きる、起きて欲しい時間に機嫌よく起きてくれない、トイレに行くよう事前に言っているのに行かないで遊び続けお漏らし、壁に落書き、本の破損、予定していた旅行が子どもの不機嫌によりスケジュール変更、玩具を買った後で「本当はあっちの玩具が良かった」…その度に私の自制心が問われます。

望んで産んだ子どもがいつだって可愛い訳ではない事は「魔の2歳児、悪魔の3歳児」という言葉からもよく分かると思います。親も人間なので思う通りにならない事にはイライラする瞬間は多々ありますが、そこを多くの親はぐっと堪えているだけなのだと思います。

このニュースにヤフーでは以下のコメントが投稿されているのが目に留まりました。

「そもそも虐待を引き起こすのは癇癪持ちだからと思う。
癇癪持ちは子育てすると児童虐待をする、教師や監督になれば体罰をする、会社の社長や上司になればパワハラを引き起こす、車を運転すると煽り運転を引き起こす。
癇癪持ちを野放しにしたら危険。」


「子育ては、思い通りにならない事ばかり。だからこそ大人力を問われると思う。どこの親もイライラする瞬間は、必ず有るけど愛情で乗り越えているのに。自制出来ない様な子供が親になるから虐待が減らない。」


「精神的に子供な人が親になってはダメ。」


「もちろん人によるけど、子供が子供をもうけるとこういうことになるのかと。
大人になりきれてない大人が虐待をするニュースを聞くたびに、成人年齢が引き下げになることに不安を感じるのは私だけだろうか。」


「最近、自分の思い通りにいかないことに耐性の無い人間が増えた。
他人との関わりが薄い社会がこの手の人種を増やしているのだろうと思う。」



誰でも最初は子育ての初心者です。特に子ども好きだった訳ではありませんが、思い描いていた育児とはほど遠い現実を目の当たりにした時、こんなにも子どもとは思い通りにならないものなのかと私も愕然とした事があります。そして同時に自分の親や祖父母が、よくぞここまで私を育ててくれたものだと自身の過去の我儘を思い返して申し訳なさと敬服の念を抱きました。

最近で我が子が面倒くさいなと思ったのはEテレおかあさんといっしょ」で「黒ネコダンス」という猫が踊る曲を見た時でした。イラストの中の黒い猫をやたらと怖がる娘を前に実家で飼っていた今は亡き黒猫の愛らしさを思い出し、かつ猫雑誌で仕入れた知識を教えようと「黒猫は人懐っこい子が多いんだよ」と話しかけましたが私の言葉には一切聞く耳を持たず
「私は水色の猫が良い! 水色の猫を真ん中にして!」
などと怒りながら娘が言い放ったのです。
(イラストは黒猫がメインですが色とりどりの猫がおり、水色の猫もいる)

テレビ画面のイラストを変えろとか無茶を言うな、主役は黒猫だ、そもそも水色の猫など現実にはいない、などという気持ちをぐっと堪え
「本当に水色が好きねー。ところでランドセルは、やっぱり水色にするの?」
と話の流れを変えた次第です。
(娘は水色ランドセル希望)


子育ては自分育てと聞いた事があります。きっと多くの理不尽に直面し怒りを我慢する事で親は心の許容量を増やしているのだと思います。育児は自制心を養う、いわば人間力の修業なのかも知れません。
これまでの虐待事件で赤ちゃんを揺さぶられっ子症候群にしてしまい逮捕された人も、最中には必死に泣き止ませようと
「何で泣くんだよ!(近所迷惑になってしまうという焦燥感)」
という気持ちだったのかも知れません。
今回の哺乳瓶による赤ちゃんの上顎の骨折も
「何で飲まないんだよ!(栄養を摂らせなければならないという使命感)」
が高じたものだったのではないかと私は推測します。もちろん赤ちゃんにとってはただの暴力で、思い通りにならない事を力任せに解決しようとした悪手ですが。

何かの記事で、授業の一環で一対一で高校生に小学生の相手を任せたら高校生が泣き出してしまった。こんなに小さい子を預けられてもきょうだいのいない自分には接し方が分からない、という理由からだった、という内容を読んだ事があります。
殆どの母親が赤ちゃんを産んだ時には同じ心境になるでしょう。それを知識と責任感でひたすらカバーしているのです。
今回の事件の加害者は女性よりも更に子どもと接する時間が短いであろう男性で、しかも自身の子ではなかったそうです。自分の子ですら投げ出したくなる人もいるのですから、ストレスに耐えられなくなったのも無理もなかったのかも知れません。

幼児の虐待事件を知ると胸が苦しくなります。自分もいつだって紙一重なのだと自覚する時があるからです。
保育者の心に余裕があれば虐待の件数は減らせるかもしれないと私は期待します。赤ちゃんがミルクを拒否した時に「コイツ飲まねーわ」という愚痴に「うちもそう」と共感してくれる存在がいれば、24歳の父親の精神的負担も減っていたかも知れません。そして「お前にも食欲の無い時はあるだろう? 様子をみよう」と言ってくれる先輩がいれば、きっと事件は何も起こらなかった。
子育てを「孤育て」にしている事が虐待を生むのだろうと思います。


誰でも生まれた時は要求ばかりの赤ちゃんで、子どもの時には癇癪を起こしていた人だって少なくないと思います。その状態から様々な社会経験を経て私たちは大人になり、成長とともに自制心を養い、理不尽を要求する我が子の相手をしています。しかしどんなに自制心を養ったつもりでも、イライラする場面など幾らでもあります。私が我が子にイラだちをぶつけ怪我を負わせずにいられるのはきっと、周囲に相談や愚痴を聞いてくれる人がいるからに他なりません。

我が子にはこれから先、反抗期だって待ち構えています。理不尽な要求に対する努力が報われるのは、我が子が大人になった時かも知れません。その努力が報われる保証もありませんが、今はその時を夢見て、良き親であり続けたいと思います。