xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

先生も人間、されど

Eテレのミニアニメ「ミッフィーのぼうけん」で2019年2月10日に放送した「このおと なあに?」を視聴していた時に心に引っ掛かるものがありました。
どの動物がどのような鳴き声なのかを先生が問う授業中に、先生が動物のイラストを掲げる度にミッフィーが答えようと挙手をしますが、その度にキーキーと音が鳴ってしまうのです。「キーキー」をミッフィーが口で言ったと思った先生はミッフィーを注意します。発言は挙手をしてからするように、そしてこの動物(ウシ、ウマ、ヒツジ)の鳴き声は「キーキー」ではないと。
ミッフィーが挙手の動きをする度に音が鳴る事から、キーキー音の原因は椅子であるとクラスの子が発見します。すると先生はその音を授業に取り入れるべくミッフィーに問う質問をネズミにし、皆で歌を歌いながら楽しく動物の鳴き声を学習したのでした、という内容だったのですが、エンディング曲を聞きながら私はある事に気が付いてしまったのです。
先生はミッフィーに謝罪していないと。

5分というミニアニメの尺では謝罪の場面までは入れられなかったのだろうとは思うのですが、キーキー音は学校の備品である椅子の不備であるにも関わらず、先生はミッフィーを濡れ衣で三度も咎めたのです。キーキー音の原因を突き止めた子にはお礼を言ったのに。

以下の記事には「大人(先生)は信頼できる存在であると、親は子どもに伝えて欲しい」とありました。

子どもだけじゃない! 親も注意すべき「小1ギャップ」とは?
https://dot.asahi.com/dot/2019021400069.html

 入学までに子どもに身につけさせたいのは、「大人に対する信頼感」です。

 親は、「大人は困ったときには手を差し伸べてくれる存在」「困ったときは助けを求めていい存在」だと、子どもにしっかり伝えてほしいのです。

Eテレミッフィーのぼうけん」の「このおと なあに?」の回の先生のセリフは以下の通りです。

先生「ウシがどんな風に鳴くか分かる人?」
ミッフィー「はーい」(キィ)
先生「答えを先に言わないで。分かったら手を挙げるの」
ミッフィー「あの、言ってません」
先生「それにウシの鳴き声は『キーキー』じゃなくて…」
ダン「はい、『モー』です」
先生「その通りよ。ウシは『モー』」
グランティ「モー(低い)モモモモモモモモー♪(ふざける)」
先生「分かったわ、グランティ。じゃあ次。ウマはどんな風に鳴くか分かる人は?」
(キィ)ミッフィーが挙手
あれ、と気付いたミッフィーが何度も腕を動かすので更にキィキィ鳴る
先生「ミッフィー、ウマは『キーキー』鳴かないわ。ウマは…はい、メラニー
メラニー「ヒヒーン」
先生「よく出来ました。それでは、ヒツジはどんな風に鳴くか、誰か分かる?」
(キィ)ミッフィーが挙手
先生「ミッフィー、ヒツジはキーキー鳴かないわ。答えを言う前に、ちゃんと手を挙げて」
ミッフィー「先生、私、ちゃんと手を挙げているのに、ほら」

ミッフィーは毎回きちんと手を挙げていました。キーキー音は椅子の歪みのせいだと、ミッフィーはここでようやく先生に訴えます。
しかもクラスの他の子(ダン)のおかげで原因が判明した時には

ダン「キーキー鳴ってるのは、この椅子だ」
先生「ああ、成る程。確かにそうだわ」
メラニー「凄いわダン」
グランティ「良かった良かった」
ダン「それ程でも」
先生「ありがとう、ダン。…はぁ(ため息)
   何故キーキーいうのかは分かったけど、やっぱりこの音、気になるわ。なるべく動かないようにね、ミッフィー
(キィ)ミッフィーが挙手をしようとしたのか動いたので音が鳴る
ミッフィー「…ごめんなさい、ネズミみたいにじっとしています」

と、ミッフィーが謝罪しています。椅子の交換が急に出来ないとはいえ、子どもであるミッフィーに大人の対応を求めたのです。しかもミッフィーに挙手をするなという事ですから、ある意味で授業に参加するなという事でもあります。
先生の勘違いでミッフィー咎めたのならば
「あら、椅子が鳴っていたのね。先生ったら勘違いしていたわ。ごめんなさいね、ミッフィー
の一言があっても良かったと思うのです。

世の中には逮捕される教師も存在しますが、幸いな事にこれまで私の担任になった方は、おおむね良い先生ばかりでした。しかし小学4年生の時のある出来事だけは私は納得がいっておらず、今なおモヤモヤしています。
先生がある女子児童を叱ったのですが、それは先生の勘違いが原因だったのです。それを子どもたちに指摘されると
「紛らわしい事をした方が悪い!」
と逆ギレをしたのでした。
李下に冠を正さず。確かにそうかも知れませんが、しかし、それを小学4年生に求めるか、と。

五歳の我が娘も一丁前な発言をするようになりました。時には耳に痛い正論を言ってきます。正論は時に人をイラつかせるもので、小学4年生ともなれば知恵もつき言い回しにも嫌味が入り、先生もイライラしたのでしょう。子どものくせに、という意識もあるので尚更です。
先生も人間なのですからイライラするのは仕方がないと今なら思います。しかし自分の勘違いが発端だとしたら、イライラする気持ちを児童にはぶつけないで欲しかった。
先生も人間なのですからイライラするのは仕方がありません。それでも自らに非があると後ろめたく思ったならば、子ども相手であろうと謝罪をして欲しかった。
「先生の勘違いだった。ゴメンな」
この一言を先生が泣いてしまった彼女に言ってくれていれば、私の小学4年生らしい正義感が発動しなくて済んだのに(黒歴史なので割愛)。


最近、生徒がお気に入りかそうでないかで対応に差をつける教師のマンガを読みました。


陰キャ」と「陽キャ」生徒への対応がまったく違う中学校教師の理不尽 思い出を描いた漫画に共感の声
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/amp/1901/23/news091.html%3Fusqp%3Dmq331AQECAEoAQ%253D%253D


学校が社会に羽ばたく為の練習をする場所であるならば、社会に出た時に直面する理不尽へも対抗できるよう、学校でも理不尽な事への免疫をつけるべきなのかも知れません。
先に挙げた「ミッフィーのぼうけん」では、ウシの鳴き声の答えをちゃかしたグランティを先生は注意しませんでした。ミッフィーのクラスにはミッフィーよりも年上の子(メラニー)もいるので、ミッフィーの学校は複式学級のようです。ふざけた子(グランティ)は年下なので、先生の指導も緩やかなようですが、挙手の前に答えを言った(と勘違いした)だけでミッフィーを注意した先生は、ミッフィーにだけ厳しいように私には思えました。
それはちょうど挙げた記事のマンガで、水玉模様の柄の糊を持っていただけで「はしたない」「無地の持ってきなさい」と注意された生徒がいるのに、プリクラを持ち込んでいた生徒を「こらぁ~気をつけなよ」としか注意しなかった先生のような理不尽さと似ているように思いました。

「先生も人間なのだから好き嫌いがある」などと言われては、先生に好かれなかった子どもは自分に自信を持つ事も出来ず、学校生活が辛くなってしまいます。私は、せめて学校だけは子どもたちは平等に扱われる場所であって欲しいのです。
運動会で手を繋いで全員一等でゴール、とは求めません。成績の優劣を明確にすは事は努力すれば変化が起きるかも知れないと子ども自身が気付く為に必要な事だと思っています。そうではなく精神的な面で、学校は子どもの誰もが安心して過ごせる場所であって欲しいと思っています。役所や病院の窓口が多くの利用者にとって平等であるように。

教師は子どもたちを教え導く存在です。子どもたちには授業を行いつつ、大人としての見本も示して欲しいのです。子どもが何か不始末をしでかした時に誤魔化すのではなく、謝罪ができる人間になる為には、それまでに子どもが見てきた大人が行動の基準になるのではないでしょうか。日中の子どもたちと多くの時間を過ごす先生には、そのモデルになって頂きたいのです。
そうは言うものの、私も子どもからの理不尽な要求にはたびたびイライラしますし、声を荒らげてしまった事もあります。自分を差し置いて教師にだけ冷静な行動を求めるのはそれこそ理不尽かとは思いますが、教育のプロフェッショナルとして「大人は困ったときには手を差し伸べてくれる存在」「困ったときは助けを求めていい存在」が親以外にもいるのだと、子どもに思わせて頂きたいと願っています。