xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

【クックルン感想】使命か家族か

つい先日までは将棋の加藤一二三(ひふみ)九段が登場するなど、いつものドタバタゆるゆる楽しい子ども向け料理番組だった筈のEテレゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン」がクライマックスに向けて物語が進むにつれ、あまりのシリアスさに子どもが観ている横でハラハラしながら視聴しました。
しかも途中で赤、黄、緑のクックルンそれぞれをピックアップした総集編が入り、しかも翌週にはそれが再放送された為、物語がどう進むのか焦らしに焦らされた2019年2月でした。

最後に別れはありますが、物語が大団円に終わって本当に良かったです。今週は再放送の週なのでネタバレしてしまいますが、途中、マロンが3人でごはんを食べるエンディング曲に泣かされ、マロンの決断に胸が締め付けられ、アズキとサクラママが卵焼きを一緒に作る流れに涙があふれ、アズキが一人で卵焼きを作っていたエンディング曲でこんな頃もあったなとまた泣き、クックルン3人が料理を作る場面ではこれが最後かと思うと胸が一杯になりました。

今回は大団円を迎える少し前の話について書いていきます。


シアワ星という惑星の住人が凶暴化してしまい、元の姿に戻ってもらおうと奮闘した先代クックルン。一人が食卓に変身し、もう一人が料理を作り住人たちに食べてもらい、それでシアワ星の人々は正気を保つ事が出来るようになったが、変身能力のあるクックルンが食卓の姿を保っていなければ、人々はまた凶暴化してしまう事が判明した。
もう凶暴化したくないと思ったシアワ星の住人たちはクックルンの一人に、食卓の姿のまま固定する薬品をかけてしまう。
食卓に変身したままにされてしまったクックルンは主人公(現クックルン)の父で、料理を作っていたクックルンは主人公の母だった。夫を人間の姿に戻すべく先代クックルンこと主人公の母は食卓となった夫を抱えてシアワ星を後にした為、再び訪れたシアワ星で住人から「ヒーローなのにこの星を見捨てた」と責められる。
先代クックルンは人々を幸せにするという使命より、家族を優先させたのだ。

クックルン(子ども向け料理番組)とはこんなにも重い話だったのかと息を呑みました。

夫を人間の姿に戻す方法を求めて様々な星を探索する為に主人公の母は留守がちだったのだが、子どもたちは母が頻繁に長期間留守にする理由を知らなかった。
ずっと父が不在だったが故に主人公の弟は父と直に触れあった記憶が無く、父が人間の姿に戻れた時も、抱きつきに行った主人公とは異なり、父から「おいで」と言われても弟はモジモジしてすぐには動けなかった。
食卓の姿に固定されてしまった父は、ずっと子どもたちの前でも家具として沈黙していた(食卓のままでも喋る事は可能だった)。両親が不在の中で育つ子どもたちを前に、ただの食卓で居続ける心苦しさはいかばかりだったのか。
子どもたちに寂しい思いをさせているとは自覚しつつも、シアワ星の住人を見捨てた罪悪感や、夫を人間の姿に戻す方法の模索をずっと一人で抱え込んでいた母。しかも自分のような思いを子どもたちにさせたくないと考え、ヒーローではなく普通の小学生として育てようとしていたのに、地球に帰還したら娘も息子もクックルンになっていたという悩みも新たに加わる。
アニメパートは絵柄が可愛く、実写パートは子どもたちや衣装も可愛く、ゆるいストーリーと呑気なセリフで基本コメディ路線な「クックルン」故にその辺りの事はさらりと流されましたが、自分がサクラママだったならば果たして重圧に耐えきれるだろうかと考えてしまいました。そもそも私には動けない夫(食卓)を抱えてシアワ星を脱出する決断が出来ていたでしょうか。

「困っている星をとるか、家族をとるか。結局私は家族をとった。トムさんの言う通り、ヒーロー失格なの。だからアズキたちにはこんな辛い目に遭わせたくなかったの。ヒーローは決して楽しくない。苦しいんだよ。だから…トムさんごめん、私は家族を一番に考えちゃう、駄目なヒーローなの」

サクラママのこのセリフに私は、過労死してしまうサラリーマンの姿が脳裏によぎりました。
帰宅が午前様になる事もしばしばあり、場合によっては会社に泊まり込んで徹夜をする人もいる。睡眠時間を削り、体調が悪くても出社してしまう。滅私奉公が美徳とされ、自ら無給で業務に励んでしまう、サービス残業を良しとする風潮が今なおこの社会には残っているように思います。
先代クックルンがシアワ星の住人に求められた事は人間を辞める事でした。人間らしさを捨て、ヒーローとして永遠に食卓で居続けるという自己犠牲を求められたのです。これは過労死するような働き方をさせられているサラリーマンと同じではないでしょうか。
私がサクラママだったならば、食卓にされてしまった夫をどうする事も出来ずにシアワ星で料理を作り続けていただろうと思います。あるいは夫を残して子どもたちが待つ地球に帰還し、家族を離ればなれにさせていたでしょう。現状を変えるには大きなエネルギーが必要ですが、その決断を下せず、夫は食卓の姿のまま、夫の事も子どもたちの事も心配しながらヒーローの使命を全うし続け、過労死していたかも知れません。

先代クックルンは自分たちが消耗する事を良しとせず、ヒーローにあるまじき選択をしました。ヒーローとしての使命を捨て、シアワ星の住人がこれからどうなるかよりも、家族を優先させたのです。
激務のサラリーマンに例えるならば、引き継ぎをせずに退職するか、繁忙期に有給休暇を取得したようなものでしょうか。最大の違いはサラリーマンは他にも何人もいるのに対し、ヒーローは自分たちだけだという事です。ヒーローが使命を捨てるなど、普通は出来るものではありません。

食卓の姿のままとなってしまった夫を連れて宇宙船に飛び乗ったサクラママこと先代クックルンの決断は正しかったのでしょうか。固定された食卓の姿から元の姿に戻す薬を入手するまでの間、夫にはシアワ星で聖なる食卓でいて貰っていても変わらなかったのかも知れません。どのみち地球でも身を隠すために、ただの家具であり続けたのですから。
しかし地球には幼い娘と息子が残されていました。どこで食卓になっていようと食卓は食卓ですが、ヒーローの使命を全うしシアワ星の山の頂上で聖なる食卓でいるよりも、子どもたちが過ごす自宅の居間の食卓でいた方が、話す事も自分から触れる事の出来ない姿であっても、シアワ星の住人への罪悪感を抱えながらも、きっと幸福だったのではないかと思います。

ヒーローとしては失格の決断も、家族としては正しかったと信じ、私はサクラママの選択を支持します。そもそもクックルン視点で視聴している故に、自分たちで奇病の原因を突き止めようとしない他力本願なシアワ星の住人の方に反感を抱いてしまっている為かも知れませんが。

その行動を選ぶ為にはとてつもない決意が必要だった事は想像に難くありません。ヒーローに責任があるように、私も会社員でしたから、サラリーマンにも責任がある事は分かります。しかしそれは、人間性を犠牲にしてまで優先させるものではないのだと今なら言えます。
どうか自殺を考えるまでに追い詰められているサラリーマンの方に、この先代クックルンの選択を知って頂ければと思いました。
ヒーローやサラリーマンの代わりはいても、家族にとっては、あなたの代わりはいないのです。