xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

理解より共感

相手を理解する、という事は並大抵の事ではありません。そもそも同じ体験をしても感じ方が人によって異なるのですから、自分は相手を理解出来ていると思う事は傲慢なのかも知れません。大事なのは理解する事ではなく、寄り添う事なのかも知れないと思いました。


「子どもが泣きやまない!」救急コールをした母親は、育児放棄だった!?〜救急医療の現場から#10
https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=28234&utm_source=headlines.yahoo&utm_medium=referral

「子どもが泣きやまないと救急コールがありました。子どもの状態は悪そうではないのですが、母親の言動が気になるので搬送したいのですが」とのホットラインだった。救命士が「母親は平然としているように見えて、一面、イライラした雰囲気があり、養育不安がありそうです」とつけ加えた。

(中略)

来院した父親に別室で、「転居によるストレス過多でお母さんがめいって、育児が適切にできない状況のようです。
いわゆる消極的ネグレクト(育児放棄)と診断していいかもしれません。このような場合をマルトリートメント(子どもへの不適切なかかわり)とも呼び、本物のネグレクトに進展しないように支援が早々に必要になります」と説明した。父親は納得して、「もっと自分も妻の気持ちを考えてあげなくては…」と反省しきりであった。

専業主婦の妻が十分な育児ができず、消極的ネグレクト状態になっている。その時に「もっと自分も妻の気持ちを考えてあげなくては…」と言える夫はどれくらいいるのだろうかと、ふと思いました。
夫自身も転勤で慣れない仕事と新しい人間関係に疲れている時に、自宅で可愛い我が子に十分な世話が出来ない専業主婦の妻。「専業のくせに何をやってるんだ」と思う夫の方が多いのではないでしょうか。
そう思うのは、ちょうど別の記事で夫の何気ない一言にカチンときた特集を読んだせいだと思います。


「妊婦はいいな」だと…?! 私がブチ切れた 夫の一言
https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=24049

「おれのオカンは~」
「それぐらい作れよ」
「この子たちの母親だろ?」
「妊婦はいいな」

私は夫にこのような扱いをされた事は無いのですが、記事になるという事は、世の中には夫からずいぶんな扱いを受けている妻は少なくないのかも知れません。
もしこうした発言を平然とできる男性が冒頭の記事の夫だったならば、マルトリートメント(子どもへの不適切なかかわり)状態から本格的にネグレクトに進展してしまっていた可能性があります。

どんなに育児が大変だと訴えても、皆がやっている事、母親なら出来て当たり前だと妻からの訴えをまともに取り合わない夫もいるかと思いますが、それは育児の「何が」「どのように」大変なのかが、体験していない人には理解できないからなのだろうと思います。

体験者と非体験者との間には埋まらない溝や温度差が生じる事がある、という記事を読みました。

ママの不在時に娘がけいれん…オキエイコさんが描く、大変さを乗り越えて“父親にしてもらう“夫たちの子育て
https://trilltrill.jp/articles/1148552

一歳の自分の第一子が40度の発熱の時に自分の地元で行われる祭の為に自宅を離れてしまった男性の話です。その後、赤ちゃんは痙攣を起こし救急搬送、1週間の入院を医師から告げられるも祭の手伝いがあるからと、その男性は一度病院に来たものの自分の実家にとんぼ返りして3日間自宅を不在にしてしまいます(祭の役に当たっている訳でもないのに)。
赤ちゃんは高熱の度に痙攣を起こす体質になってしまったようで、漫画の視点である母親は重度の痙攣の時には救急車、軽度の時には自宅で様子を見るなどと赤ちゃんの痙攣の様子にどんどん慣れていきます。
その日も子どもは熱を出しており、子どもを夫に任せて看病に必要な物を買いに女性は出掛けます。すると帰宅途中に夫から着信、嫌な予感は的中し、子どもは痙攣を起こしたそうです。
女性が帰宅した時には痙攣はもう収まっており軽度だったので自宅処置で十分だと女性は思ったそうですが、初めて目の当たりにした夫は即、救急車を呼んだとの事。
軽症だった事に加え、子どもの痙攣の姿を目にしていないせいか他人事の感覚で落ち着いている自分に対し、待合室で隣に座る夫は震えている事に女性は気が付きます。子どもの初めての時の激しい痙攣(要入院)の時には祭に行ってしまっていた人と同一人物な筈なのに、今回はこんな軽症にも関わらず不安で震えている。
そして女性は思い至ります。子どもの初めての痙攣の時の夫は丁度、今の自分のような他人事の感覚だったのではないかと。
痙攣を起こした我が子よりも実家の祭の方が大事だったから夫は祭に行ったのではなく、事の深刻さを理解できなかった為に自分の日常(地元の祭)に戻っただけなのではないかと。

百聞は一見にしかずと言います。どんなに話を聞いても、目の当たりにしなければピンとこない事も世の中には沢山あるでしょう。育児未経験者の中には、自宅で可愛い赤ちゃんの世話をする事が苦痛の訳がない、それに比べたら行きたくもない会社で会いたくもない人たちと、やりたくもない仕事をしている自分の方がずっと大変だと思っている人もいると思います。ところが実際にはストレスを抱え精神的に追い詰められている人がいるほど育児も大変な仕事です。経験しなければ、トイレにすら安息の地がない育児の息苦しさは私にも分かりませんでした。

私の夫は子どもが一歳を過ぎるまで、子どもと二人での留守番が出来ませんでした。私の散髪は妊娠後期に行って以来、二年近く開きました。散髪に行けるようになったのは夫が赤ちゃんの世話を3時間は一人でこなせる自信がついてからでしたが、それでも心配のあまり1時間程度で私が帰宅すると夫はずいぶんと疲れた顔をしていました。おむつ交換もミルクも必要なかった筈でしたが、とにかく精神的に疲れたのだそうです。
我が子のお世話は私には日常でしたが、初めて一人で任された夫には歩き始めたばかりで目を離せば後頭部から床に転ぶ子どもの世話は荷が重かったようです。
もともと夫は育児を楽な仕事だとは軽視していないのか、仕事で疲れて帰宅した時に部屋の中が散らかっていても「専業主婦のくせに」などといった事を私は夫から言われた事がありません。
私の帰宅により子どもを任せられる人が出来たと安心した夫は、お役御免と昼寝をしてしまいました。緊張し通しで、よほど疲れたのでしょう。

私は私で夫と同じ会社で働いていた事からどの部署の業務内容もおおよそ分かる為、夫の帰宅の遅さに「何でもっと早く帰って来れないの」「また飲んできたの?」などとは決して言いません。「どうせならあと一時間遅く帰ってきて」は言いましたが。
早く帰宅出来ないのは役職上当然だし、男の会社付き合いの酒飲みは女のママ友との付き合い以上に、業務に関係のある事だからです(女のママ友付き合いは育児という業務に影響する事がある)。
夫が誰と酒を飲み、その人の今の役職はあれだから…と夫の社内の人間関係が分かるので、夫が飲んで帰ると連絡してきた日はむしろ夕食を用意する仕事がひとつ減ったと私は喜んでいます。これは同じ会社で働いていた経験がなせるものですが、そうでなければ私は子どもの寝かしつけ中に帰宅し、それまでの努力を無にする夫に怒鳴り付けていただろうと思います。夫は夫で、飲みたくもない相手との酒が本当は嫌いなのに。

相手が大変だ、辛いと言ってきた時には本当に大変で辛いのです。
自分の経験を元に相手の大変さや辛さを過小評価してはなりません。自分がもっと大変な目に遭った事があったとしても、その体験を語ったところで目の前の相手の大変さが軽減される訳ではありませんし、比較してどちらが大変かを競い合っても意味はありません。
大変さを理解して貰えなくても、分かろうと寄り添ってくれるだけで心が軽くなる事はあると思います。

私は育児が苦痛だとは思った事はありませんでした。育児はこういうもの、産んだ以上は責任を果たさねばと奮起していただけでしたが、実は自分は結構な仕事をしていたのかも知れない。子どもと一時間、二人きりでいただけで精神的に疲れ果て昼寝をしてしまった夫の背中は、私の日常がいかに大変な役割を果たしているのかを示しているようでした。
「○○(子どもの名)を見ててくれてありがとう」
夫に言った言葉は、そのまま自分にも当てはまりました。
何事も起こらせず、安全に子どもを過ごさせる事の大変さ。それを日常的にこなしている自分は何と凄いのだろう。
そう思った瞬間に何だか心が軽くなったのは、二年ぶりの散髪で髪が軽くなったせいだけではないと思います。

もし誰にも理解してもらえない辛さがある時は、自分で自分に共感するのも手かと思います。
「あなたはよく頑張っているよ」と。