xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

地獄の沙汰もあなた次第

おそらくこれを「地獄」と言うのは、夫に朝の出勤途中、ごみ袋をごみ捨て場まで運ぶ作業を依頼する妻を非難する男性の気持ちに通じるのではないかと思いました。


育児をするのは"地獄"か。男性同士の会話から生まれた父親の怒り
https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/fathers-battle

男「朝は新聞読みながら20分くらいトイレに籠るのが日課なんです」

僕「ゆっくりできていいですね〜。僕は朝は時間なくて」

男「起きるの遅いんですか?」

僕「いや、朝は妻が仕事でいないので、子どもたちのこととかあって時間が無いんですよ」

男「え!?それは地獄ですね」

僕「大変ですが地獄ではないですよ」

男「え、僕だったら絶対嫌です。地獄ですよ、それ〜。」

僕「いやいや、地獄なんてことはないですよ」

男「僕も子ども2人いますけど、そんなこと1回もしたことないですよ〜。奥さんヒドいですね〜」

僕「ヒドい?どこら辺が?」

男「だっておおしまさん仕事の前に大変じゃないですか〜」

僕「いや、妻も仕事ですから同じですよ。ヒドいとかやめてくださいよ」

男「失礼しました。でも僕だったら地獄です」

僕「じゃあ男さんの奥様は地獄にいたんですね」

男「え??」

僕「あ、すいません。でも地獄だっておっしゃるので」

男「そんなつもりはないですよ」

僕「え、でも矛盾してないですか?男さんが思う地獄を奥様は過ごしてこられたわけですよね?」

男「妻には地獄じゃないですよ。僕が稼いでいるんですから」

僕「男さんが稼いでいることと、朝の家事育児の大変さ自体はあまり関係ないと思いますよ」

男「関係ありますよ〜」

僕「ん〜、ちょっとよくわかりませんが…」

妻として、母として、何か言わねばと思わされる記事でした。しかし結婚前の自分を思い出すと、出勤前の時間に自分以外の事で患わされるのは嫌だという気持ちもまた、理解できました。

記事の「僕」の「じゃあ男さんの奥様は地獄にいたんですね」という発言には、子どもたちの母として「よくぞ言ってくれた!」と拍手喝采の気持ちです。
「僕」が、妻が安心して朝に家を不在にできる程に育児もしっかり担当している男性だからこそ、自分たち夫婦で決めた暮らしである「僕」の朝の家事育児を「地獄」と言われて不愉快になり、言い返したくなったのでしょう。あるいは頑張っている自分の妻を「ヒドい」と言われ不愉快になったのではないかと思います。可愛い我が子との暮らしが「地獄」と言われれば私も苛立ちます。
朝の子どもたちの世話が「地獄」なら、なぜ子どもを作った。そんな事は容易に予想できた事ではないか。「地獄」と感じる程に子どもの世話は嫌な仕事なのか。それを「地獄」と言うのなら、ワンオペで育児をしている私はずっと地獄にいる事になってしまいます。
上の子の登園時間に追われ大変な事もありますが、育児のある生活を「地獄」と表現される程に劣悪な環境だと思った事はありません。子どもを望んだのなら当たり前の環境です。

一人の意見で男性を語る訳にはいきませんが、「妻には地獄じゃないですよ」という発言からも、女にとっては育児にまつわる大変さは苦痛ではないと思っているのかも知れません。多くの男性は「可愛い子どもと自宅で過ごせるなんて主婦は気楽で良いよな」と考えているのではないかと思います。しかしそう思いつつ、この男性は「僕」=男の育児は「地獄」だと言う。女の仕事をやらされるなんて可哀想に、という気持ちだったのでしょう。朝の家事育児の大変さに男も女もないのですから、それを投稿者(僕)はおかしいと声をあげて下さいました。
「僕」と「男さん」の感覚にはズレがあるのです。

「僕」は3児の父で共働き、妻は「僕」よりも早く家を出なければならない仕事をしているか、夜勤などで朝はいないといった働き方をしている。だからこそ「僕」の家庭では家事育児は「僕」もしっかり担当している。
「男さん」は2児の父。「僕が稼いでいるんですから」という発言から推察するに妻は専業主婦か、パートタイマーなのでしょう。あるいは正社員でも収入が「男さん」に届かないせいで、「稼いでいる」とは夫から思われていない立場といったところでしょうか。
パートの仕事と言ってもシフトが様々にあるので時間の追われ具合はその日のシフトによって異なるかと思いますので、ひとまず「男さん」の妻は専業主婦だと仮定します。

この「僕」と「男さん」の感覚のズレは、記事にある通り、育児の当事者か傍観者かという事から生じているのではないかと思います。
「僕」の家では、妻は朝は仕事で不在なので「僕」が子どもたちの世話や家事をを一手に担う。対して「男さん」の家では「男さん」が朝に新聞を読みながらトイレに20分も籠っていられる事からも、家の中の事は妻が全て担当している(「起きるの遅いんですか?」発言から推測される、実はこの男性が家族がまだ寝静まっている早朝にトイレで新聞タイムをしている可能性は除外します)。
「男さん」からしてみれば、出勤前に妻がすべき仕事を「僕」は押し付けられ、自分の時間が取れない事を「地獄(=大変、不便)」だと感じ、「僕」は子どもの世話を「地獄(=あり得ない程の劣悪な環境)」だと「男さん」が言うから、「男さん」の妻は地獄にいたのですねと言ったのでしょう。
「僕」にとって家事育児の分担は、妻も働いているのだから当然の事だと思っていますが、「男さん」にとって家事育児は妻がすべきことだと思っているので、「僕」が妻のすべき事をやらされているのは自由のない、「地獄」のような大変な生活だと思われたのだろうと思います。

確かに時間に追われない専業主婦にとっては、子どもたちが遅刻さえしなければ朝の家事などどうとでもなりますし、仮に子どもたちが遅刻しても先生に謝罪するだけで済みます。だから「男さん」は、自分の妻にとっては朝の家事や子どもの世話は「地獄(=大変)」だとは思えないのだろうと思います。おまけに女にとってはその大変さも喜びであろうと思っている節があります。
しかし、これから職場という戦場に赴かなければならない男性たちは、出勤前にメンタルを整えなければなりません。アスリートのルーティン程ではないにしろ、仕事モードの自分に切り換える何かが必要なのだと思います。だからこそ「男さん」は新聞を読みながら20分もトイレ(静かで一人になれる場所)に籠り、私の夫は「今日はあのワイシャツが良い」と、私が用意しておいたワイシャツを変更する時があるのだろうと思うのです。夫はその日の仕事内容によって、着たいシャツが異なるようです。そして仕事鞄を持ち上げると顔つきが変わります。
独身時代の私は出勤前にテレビでぼんやりニュースを見ながらお茶を飲む時間を必要としましたし、髪形が決まると仕事への意欲が変わりました。子どもたちの世話に追われ、そうしたルーティンの時間が取れない「僕」の事を「男さん」は哀れみ、「地獄」と表現したのではないかと思います。

朝の家事育児が大変なのは、自分の妻を見ていて「男さん」も知っているのです。しかし自分は育児の傍観者なので、ああ大変そうだなと思っても妻の手助けはしない。「男さん」にとって育児は女性がするものなのです。なのに「僕」の妻は朝の家事育児を「僕」に押し付けて、さっさと仕事に行ってしまっている。育児を夫に押し付けるだなんて、「僕」の妻はなんと無責任な女なのだろう。そんな風に感じたのでしょう。

「男さん」の語彙力のなさが問題をこじらせただけで、この二人の男性はお互いに朝の家事育児の話をしているのに、言わんとしている事がそれぞれ異なっていたのではないかと思いました。

女性にとって朝のごみ捨ては、どうせ出勤途中に集積所があるのだからアナタついでに捨ててきて、という軽い気持ちで依頼するものだと思います。これを「あり得ない」と非難する男性の声を聞いた時に、なぜ男性はそう思うのか考えた事があります。
夫の通勤ルートにごみ集積所があるのならば、専業主婦の妻がわざわざご近所さんに見られても恥ずかしくない程度に身なりを整え、靴を履いて外出する無駄な時間を省くためにも、夫がごみ袋を運搬すれば良いのです。
しかし男性にとって通勤途中のごみ捨てという行為は、せっかく戦闘モードに整えた自分をごみ袋によって台無しにされてしまうらしいのです。ごみ袋とは生活の象徴です。戦闘スタイルの自分が生活感だだ漏れのごみ袋を持って歩く。通勤途中の男性が生活ごみを持つと、せっかく上げたモチベーションが下がってしまい、ごみを捨てた後も再び仕事モードへの気持ちの切り替えが難しいのだそうです。
女性にとってごみを運搬するだけの作業は、家事をあまり分担していない男性にとってその日の朝のルーティンを台無しにしてしまう最悪の行為にあたるのだそうです。

女はマルチタスクだそうで、何かの作業をしながら他の事を幾つか同時に考える事も可能ですが、だからこそ物事が中途半端にもなってしまいます。男はシングルタスクだと言われ、何かをしながら子どもの相手をするのには不向きらしいですが、山積みの仕事を効率よくこなせるという特徴があるそうです。
男が仕事モードに切り替える為に使うべき貴重な朝の時間を「僕」は家事育児に消費される。夫にその時間を与えられない「僕」の奥さんはヒドい女だ。「男さん」はそう言いたかったのではないかと思いました。

夫婦で共働きを選択したならば、男性は「僕」程ではないにしろ、家事育児も当事者意識をもって、しっかり担当すべきだと思います。共働きなのに妻にだけ家事育児を押し付けていては、確かに「地獄」になってしまいます。
朝の家事育児自体は地獄ではありません。それを「地獄」にするのはパートナーからの言葉ひとつのような気がします。

「お前が家の中の事は全部やってくれるから、俺は安心して仕事に集中できる」

家事に育児に仕事にと頑張っているワーキングマザーを取り上げたテレビ番組を見て引け目に感じてしまい、私は育児しかやってない、と夫にぼやいた時に、私の夫は専業主婦の私をそう労ってくれました。だからこそ「あなたが稼いできてくれるから、私は生活に不安がありません」とこちらも夫に口にします。

家事育児という地獄も、仕事をするという地獄も、それを労ってくれる相手がいれば「地獄」では無くなるのです。
分担すれば苦労が軽減する訳ではない。「僕」の家庭ではきっとお互いに、相手の頑張りをリスペクトし合っているのではないかと想像します。
「男さん」にとっての「僕」の「地獄」は、「僕」にとっては妻との連帯意識によって地獄ではないのだろうと思います。自分も頑張っているが、妻も頑張っている。だこらこそ「僕」には、朝の家事育児を男の自分がする事への不満はないのでしょう。
家事育児、そして仕事が「地獄」かどうかは、きっとパートナー次第でいくらでも変わるのではないでしょうか。