xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

母を理想の女性にはさせない

「子ども部屋おじさん(おばさん)」、という言葉を近頃は頻繁に耳にするようになりました。成年年齢になっても実家を離れず親と同居し、未婚のまま、子どもの時に与えられた自室を大人になってからも使用し続ける人を指すようです。
ニートや中年引きこもりと異なるのは、「子ども部屋おじさん」はきちんと仕事を持っており、生活費をきちんと出している所です。しかし洗濯や掃除などの生活の面倒は子ども時代と同じように母親などに依存したままである事から、自立した大人とは言い難い微妙な存在であるようです。

収入があるのに結婚せず、実家暮らしをしている35歳から54歳までの人は全国で446万人もいるそうです。結婚は相手が必要なものなので、縁やタイミングによっては独身のまま、となる事もあるでしょう。
結婚しないのならば電気やガス、水道などの資源の無駄遣いをしない為にも、そして無駄な家賃を払わずに済むよう、親と同居のままでも特に問題はないように思います。そもそも、かつての時代はその環境に嫁が加わり、子が生まれ、親が死に、自分たちが年老い、成長した子に嫁が来て…と世代が入れ替わっていたのではないかと思います。
親世代と同居する事が当たり前だったこれまでの日本には、「子ども部屋おじさん」は普通に存在していたと思うのです。むしろそれが当たり前だったというのに、なぜ最近になってそうした方々を「子ども部屋おじさん」などと揶揄するようになったのでしょうか。

日本では結婚し、子どもをもって初めて一人前とみなされる風潮があるように思います。テレビ大阪のドラマ「面白南極料理人」の第5話「恐怖のこどもの日」では、子どものいない隊員は年齢を問わず、子どもの役を演じる事になりました。この第5話は役名で言えば金村隊長、俳優の田中要次さん(1963年生まれ)に赤ちゃんの役をさせるというトンデモな話でした。金村隊長は子どもを持った事がない=親になった経験がない=子どもの立場にしかなった事がない=何歳になっても「子ども」のまま、という事からそうなったようです。今現在の(ドラマの設定の)年齢で、若い順から子どもの役をさせるのではない所に私は何だかモヤモヤしてしまいました。
結婚をした事のない人の戸籍は何歳であっても「子」と表記されます。続柄が「子」ではなくなるのは、結婚した後で得られる「世帯主」「本人」「妻」という続柄を得た時だけです。結婚しなければ戸籍はずっと「子」と表記され、結婚しても子どもがいない人は「誰かの親」という肩書きは得られません。
子どもが幼稚園に入園してからの私は「○○ちゃんのママ」と呼ばれる事が多くなりました。家族単位で生きる文化の人間という生き物は、社会的に成功しない限り、誰の子か、誰の親か、という点が重要な判断材料となります。親になり、子が社会的に認知されるまでに成長しなければ、私たちはずっと「誰々の子」のままなのです。

株式会社クローバーフィールドという企業が、結婚して子どももいる社員が優遇されるように家族手当や住宅手当の導入を検討している、とツイートした事が話題になりました。

【結局のところ、いい歳していつまでも独身の人は信用しないし、既婚でも子どもがいるかどうかで信用度は異なるということなんです。

結婚以前に一人暮らし経験の有無も重要です。】

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【既婚か否か、子どもの有無で差別するようなことは実際にはありません。

ただ、本人の仕事や世の中への責任感など、どうしても差が出るんです。

自分一人が逃げ切ればOKの人と、子や孫の世代の安泰まで考えられる人が同じはずがないのです。】

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家族がいる人を応援します、と表現するならば受け入れやすくなる主張かと思いますが、結婚していない人、子どもがいない人は信用度や責任感が薄い、と書いてしまった事で炎上しているようです。
確かに男性は結婚したならば妻と子を自分の収入で食べさせていかねばならないとプレッシャーを感じ、仕事も簡単には辞められず、責任感が生まれるかも知れません。だからこそ重責を負わなければならなくなる結婚を面倒だと感じる男性が増え、未婚率が上がっているのだろうと思います。
「子ども部屋おじさん」の中には、様々な面倒事から目を背けている人もいるようです。


わが子を「子ども部屋オジさん」にさせる親の特徴
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190625-00206234-diamond-soci

 俊彦さんは実家を出ない理由をこう打ち明けてくれた。

 「結局、 母親以外の女性が面倒くさいんですかね。もちろん、彼女がいた時期もありますけど、彼女にはいろいろと気を遣わないといけないじゃないですか?例えば、デートの時は『どこに行きたい?』とか聞かないといけないし、メールとか電話とかを頻繁にしないといけなくて疲れてしまうんです。ところが母親だと、こちらが不機嫌でもほっといてくれるし、僕のことは全部分かってくれているから…」

「彼女」はよそのお家で育てられたお嬢さんなので、デートの時にも「どこに行きたい?」「食べたいものはある?」と意向をくんでやらねばならず、しかも頻繁に連絡をしてやらなければ機嫌を損ねさせるおそれがある。
それに対し「母親」は長く一緒にいる相手なので今さら気兼ねしなくても良く、自分が不機嫌な時にぞんざいな扱いをしても嫌われないという自信がある。
結婚の前段階で既にこの男性は女性との付き合いを面倒だと感じてしまったようです。ならば当然、その先に待ち受ける面倒事の塊のような結婚生活になど踏み込める訳がありません。
面倒事を回避したい、責任を持ちたくない、出来るだけ自分が楽な状態でいたい。そうした気持ちの結果が、親と同居のままで未婚、という「子ども部屋おじさん」を生み出したのかも知れません。
これが年老いた親の面倒は自分が看る、と覚悟を決めている子の場合なら話は変わりますが、単に面倒事を回避してきただけという人は、親も老いるという現実からも目を背けてしまっているのかも知れません。
嫁が来るのを待っている状態という訳ではなく、親が年老いた際には自分が面倒を看るという覚悟もなく、居心地のよい「子ども」という状態のぬかるみに甘えている「子ども部屋おじさん」は、親が死んだ時に初めて社会を経験するのかも知れません。それが仕事を持っている中で経験できる「社会」とは似て非なるものだと気が付くのは、実際に体験してみてからなのだろうと思います。
独身の頃の一人暮らしの経験の事にも株式会社クローバーフィールドという企業のツイートは触れています。一人暮らしならば自分の生活の面倒は自分でしなければならないので、この経験もまた社会的には重要なものとなるのでしょう。

私が死んだ時に、我が子が私の年金目当てではなく、単にどう処理したら良いか分からなかった結果、私の死体を放置するような「子ども部屋おじさん(おばさん)」にならないようにする為には、先に挙げた記事にもあったように、子ども部屋を玉手箱にしてしまわないようにしなければなりません。子どもが幼いうちは生活に不便がないよう、あれこれ親が先回りしますが、子が成長するに伴い、その世話から親は手を引く必要があります。特に息子には「性欲処理以外なら何でもやってくれ、自分を嫌わない便利な女」だと私を認識する前に、母親にだって気を遣わなければ嫌われる可能性があるのだという危機感を抱かせなければなりません。

うろ覚えですが、日本人男性の多くは女性のおっぱいに性的魅力を感じ、別の国の男性は女性のお尻や腰のラインに性的魅力を感じる人が多い、という調査結果があったように思います。おっぱい好きの中でも、巨乳が好きな男性というのはつまり、乳児の頃の、自分の頭部と同じ大きさの乳房を女性に求めているのだろうと思います。つまり、巨乳の女性とは母親の代理なのです。
女性とのお付き合いを面倒だと息子が思わないようにする為には、母親だって一人の女性なのだと認識させなければならないのかも知れません。生理の時には機嫌が悪くなり、出掛けたい場所や食べたい物へは自分の好みを主張するなど、男性にとって面倒だと感じる女の一面を息子に対しても見せる必要があるように思います。

結婚し、家族ができれば、多くの人はこれまでのような気ままな行動がとれなくなります。妻のご機嫌をとらなくてはならず、休日は子どもの相手をしなければならず自由な時間が無くなり、そして自分が汗水垂らして得てきた収入なのに「お小遣い」として妻に頭を下げて受け取らなければならない。結婚を忌避する男性の「結婚」とは、こうした不便さに囚われるイメージなのかも知れません。それを「不便」と拒否しないよう、時として自分を抑える事も当たり前だと思う育て方をすれば、我が子が「子ども部屋おじさん」と言われなくなる大人に出来るのでは、などと思いました。
息子の理想の女性は母ではなく、いつか出会う素敵なお嬢さんであって欲しいと願います。