xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

しつけと体罰

「三つ子の魂百まで」と言います。

「鉄は熱いうちに打て」とも言います。

ならば、社会のルールを教えるのは幼児のうちからであるべきなのでしょう。
ところが息子は私が何度も言葉で説明しても理解してくれず、同じ過ちを繰り返してしまい難儀しています。

我が家の二人いる子どものうちの下の子、2才の息子は、他の子が持っている玩具が欲しいと思うと無理矢理奪い取ったり、相手を叩いたりしてしまいます。また自分がお気に入りの玩具で遊んでいる時に他の子が近づくと、取られまいとして相手のみぞおち辺りを押すか玩具で叩くなど先制攻撃をしてしまいます。
自分よりも少し年上の子となら息子は普通に遊べるのですが、それは相手が息子の方が年下だからと何かと譲ってくれているからです。息子はそれを理解できていないので、自分に配慮しない相手が登場すると手が出てしまうようです。
欲しいものは欲しい、やりたい事はやりたいと自己主張が強い息子は、何度「最初にお友だちに『貸して』って聞いてみるんだよ、今はその子が使っているんだからね。お友だちが使っている時に、いきなり取ったら駄目だよ」と教えても、順番を待つ事が出来ません。

その日の幼稚園の未就園児教室でも、息子はやりたい放題でした。他の子が乗っている遊具を自分も使ってみたくなったようで、その子のところへ駆け寄り、腕を振り上げます。お友だちを叩こうとした息子の腕を追い付いた私が掴み、叩いてはいけない事、最初に「貸して」と言う事を教えますが、やりたい事を邪魔された息子は私を叩きながら泣き叫ぶばかり。落ち着くとしぶしぶ誰も使っていない遊具で息子は遊ぶのですが、また興味のあるものを見つけると、それを我が物にしようと使っている子を押し退けようとしたり、叩こうとしたりします。
他の保護者は何人かで集まりおしゃべりをするか、のんびりと自分の子どもと遊んでいるというのに、私は常に息子が他の子に危害を加えないかが心配で息子の後ろをついて回るばかりでした。
上の子である娘が2才だった頃にはお友だちの中に混ざれず、玩具も一方的に取られる方でした。それはそれでヤキモキしましたが、他害する事はなかったので、娘の時には私は穏やかな気持ちで未就園児教室に参加できていました。娘の時には今日も他の子と遊べなかったな、幼稚園に入園してから大丈夫かなと不安に思うばかりだったので、人の輪にどんどん自分から入っていく息子の事は当初は頼もしくさえ思っていました。ところが積極性が強い息子はぐいぐいいくあまり、加害者になるタイプだったのです。

息子が何かに興味を持つ、それを使っている子に駆け寄り、手をあげる。追い付いた私がその腕を止めるか、止めきれなかった場合にはその子と親御さんへ謝罪する。それを繰り返しています。
どうして息子は他の子のように遊べず、叩いてしまうのだろう。他害しようとする息子を止め、泣き叫ぶ我が子に叩かれ続けていると私にもストレスが溜まっていきます。
そんな事が何度もあり私もイラついてきた所で、今度は1才くらいの女の子の元へ息子は走り出しました。
息子はこれまでは自分と同じ、2才か3才くらいの男の子をターゲットにしていたので、息子に叩かれた相手の親御さんも表面上は「子ども同士の事ですから」と言ってくれていましたが、今度ばかりは流石にそうは行かなそうに思えました。何より我が家の上の子は、年上の男の子に追いかけ回された事が怖かったらしく、この未就園児教室に通えなくなってしまった事があったのです。よそのお家のお嬢さんに息子がそんな思いをさせる訳には参りません。

たぶん、止めようと思えば私は息子の腕を掴めたかと思います。しかし、その時に私の脳裏によぎったのは子犬のしつけのエピソードでした。
月齢の低い子犬ほどペット需要が高いせいで、早くから母犬やきょうだい犬と引き離されて育った子犬は噛んで噛まれての経験をしないまま育つので、噛む犬になってしまうというものでした。自分も噛まれる痛みを知らなければ、噛まれた相手の痛みを知る事は出来ないのだそうです。
何度説明しても理解してくれない息子にイラついていた私は、咄嗟に息子の頭部をパーで叩きました。息子が自分よりも小さな女の子に怪我と恐怖を与えるというのなら、親である私がそれを止めなければならない。また、叩いて痛みを教えなければ、息子は叩かれた相手の痛みを知る事は出来ないと思ったのです。
鉄を打つなら熱いうちに。
それも、出来れば3才までに。
その責務は産んだ私にこそある。

私に叩かれた勢いで息子は床に尻餅をつき、気のせいか辺りは一瞬静まりました。そして響き渡る息子の泣き声。
私たちの不穏な様子に気付いた周囲の親御さんらが、何事かと私たちに視線を移したのを感じました。え、叩いた? 叩いたねとヒソヒソされる声が聞こえました。「叱らない子育て」をよく耳にする昨今、親からの体罰も法律で禁止される時代に、尻餅をつかせる程の力で私は人前で2才の息子を叩きました。
叩いた以上、もう引っ込みはつきません。ならばもう、やる事は決まっています。泣きながら私にしがみつこうとする息子の両肩を掴み、
「叩かれたら痛いでしょ? だから叩いたら駄目なんだよ」
と教えました。息子は「謝ってきなさい」と言う私の言葉に従い、まだ息子の被害に遭ってはいなかった1才くらいの女の子に「ごめんなさい」と言いに行き、言い終わるやわんわん泣きながら私の元へ戻ってきたので、今度はしっかりと抱き締めました。
女の子の親御さんがきょとんとしたまま動かない女の子の元へ近よると「却ってすみません」と恐縮したように私に会釈し、そそくさと女の子を連れてその場を離れていきました。
子どもを虐待する危険な親だと思われたな、ここではもうママ友は出来なそうだなと落胆しましたが、息子が加害者にならずに済んだ事で安心もしました。
叩くのはいけないと教えながら息子を叩いた自分の矛盾に内心自嘲しながら、泣く息子を抱っこし、謝りに行けた事を誉めました。
男の子の特性なのか、ひとしきり泣いた後は何事もなかったかのように空いている遊具で遊びを再開した息子を見やると、孫を連れて来ていたのか、私の実母と同じくらいの年齢の女性から声をかけられました。
「何もあそこまでしなくても」
それは私も思いましたが、叩いてしまった以上はもう無かった事には出来なかったので、周囲にも聞こえるくらいの大きさの声で
「いえ、男の子が自分よりも年下の女の子を叩いたら駄目ですよ」
と、体罰にも理由があった事をせめてアピールしようとしました。近くにはいても全部を見ていた訳ではなかった周囲の保護者の方々は、私が息子を叩く前に子ども同士で何かあったのだと察知してくれたのか、心なしか私を見る目が柔らかくなりました。その後も何故か他のお婆さんやお爺さんから二三、声をかけて頂きました。年の功なのか、未熟な私のフォローをしなければと思って下さったのでしょう。あるいは、ある程度の体罰は普通の事だと思って子育てをしていた年齢の方々なので、私を「叱らない子育て」の今のママさん側ではなく、自分たち寄りの教育方針の人間だと思って下さったのかも知れません。
息子を叩いた事でママさん達とは距離をおかれたような気がしますが、上の世代の方々とは心なしか仲良くなれたので、その未就園児教室の次回開催時の顔の出し辛さはずいぶんと軽減されました。なお、その後も私は息子の後ろを追いかけ回っているせいもあり、その教室でのママ友は未だに出来ておりません。

保育士による園児へのあざが残る程の暴力、保育教諭から園児に対しての暴言など、幼稚園や保育園で幼児への不適切な対応があった事の報道が全国で立て続けにありました。
言葉で説明しても理解してくれない年齢の子どもを相手にしているのですから、先生方にも相当のストレスが溜まっていたのだろうと思いますし、これはもう身体に教えるしかないと思っての指導もきっとあったのだろうと思います。保育士さんたちは暴力をふるう園児から他の園児を守る事もしなければならないのですから、他害する子どもには教育的指導も致し方ないのかも知れません。
叩かれないと痛みを理解できない子もいる、という考え方こそが子どもの虐待に繋がるのだろうとは思います。あの一件以降も玩具や遊具の取り合いで息子は他害しようとするので、息子に私の思いは未だ届いていないようです。ならばあの場で息子を叩いた事は単に私のストレス発散にしかならず、無駄だったのかも知れないと後悔する時があります。
山口県下関市認可保育所での保育士から園児への行いは「子どもが危険なことをしているとき、しつけのために手やおしりをたたいた」という回答でした。しつけの為に園児を叩くのであれば、その部位は手やお尻なのです。ならば頭部を叩いた私のそれは教育的指導ではなく、私のストレス発散の為の暴力でしかなかった事になります。
上の子である娘が未就園児教室に参加した時には、おそらく年上の、身体の大きな男の子に追いかけ回され、娘はその教室にしばらく行けない程の恐怖を味わいました。あの時の娘の顔を思い出す度に、攻撃的な男児の親ならば、あの位はしなければ女児の親を納得させる事は出来なかったのではないかとも思うのです。

先日放送された「騎士竜戦隊リュウソウジャー」第19話「進撃のティラミーゴ」では、児童のルール違反を注意する熱心な教師から、ルールに違反する者を監禁する怪物(マイナソー)が生まれました。

「ルールを教える事は大切な事だ」

「でも子どもたちの為に、どうしてそれがいけない事なのかを教えてあげてくれ」

教師にそう言って立ち去るテレビの登場人物たちを見て、息子を叩いた私のしつけの仕方はやはり誤りであったのだろうなと後悔しています。
いくら言葉での説明が通じないからといっても、いずれ言葉が通じるように成長するのですから、私はそれまで根気強く相手を叩こうとする息子の腕を掴み続ければ良かったのです。
しつけは息子の為である筈なのに、私はどこか、周囲の保護者を納得させる為に息子に厳しくし過ぎてしまったのかも知れません。また、自分の中の攻撃衝動を押さえきれずに息子を叩いたという一面は否定できません。

「どうしてそれがいけない事なのか」を説明する為に、息子がしようとした「いけない事」を私が息子にしていては何の示しにもなりません。罰を与えるならば、体罰とは違う方法で与えるべきなのでしょう。
人間を育てるならば、人間らしい方法で教育するべきなのです。どちらかと言うと私は必要な体罰なら容認派ではありましたが、やはり体罰はいけない事なのだと認識を改めました。