xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

特別扱いは恥ずかしい

「#NoBagForMe(ノーバッグフォーミー)=私は袋は要りません」という動きが広がっているそうです。これは購入した生理用品をレジで店員に紙袋、または不透明な袋に入れられる事を断る運動なのだそうです。
そうしたムーブメントがある事は少し前から知っていましたが、まさか大手新聞の夕刊とは言え、1面まで飾る程の動きになっているとは思いもよりませんでした。


朝日も日経も1面で取り上げた「#NoBagForMe」運動って何?
https://www.news-postseven.com/archives/20191125_1494732.html?DETAIL

〈生理のこと、隠す? 隠さない? #袋いらない「気兼ねなく話そう」〉
〈女性の生理 広がる理解「隠さない」パッケージ 社内セミナー、男性も〉

 それぞれ11月13日付の朝日新聞夕刊、11月16日付日経新聞夕刊の1面トップの見出しである。

 わずか数日の間に、全国紙の1面に「生理」の話題が立て続けに上がるとは、前代未聞。

「生理」は生理現象、妊娠可能な年齢の女性には必ずあるもの。だからこそ変に隠す事はおかしいとは私も思います。そして、購入する度に過剰包装される生理用品を見る度に、ここまでしなくても良いのになとは思っていました。
私が普段、生理用品を購入するドラッグストアのレジ係はいずれも女性でした。だからこそ私は学生の頃から何の気負いもなく生理用品を購入する事が出来ていました。
茶色の紙袋に入れられた上でその店のレジ袋(しかも特別版のレジ袋を用いる店もある)に入れられた生理用品を見る度に、同じ女同士でここまで隠すように包装する必要はあるのだろうかと思っていました。きっと私が持ち歩く道中で、通りがかった男性に中身が見られないようにとの配慮なのだろうとは思いましたが、結婚していそうな年齢の男性なら女性に生理がある事は知っている筈なので、私が生理用品を持ち歩く姿を見られても平気だと思っていました。そして生理を知らない男性ならば、それを生理用品だとは認識できないだろうので、どうせ気付くまいと思っていました。
(この時は成人男性で生理を理解していない人はいないと思っていたので、後に震災の避難所で生理用品を不謹慎と言い出す男性がいる事を知って驚きました)

私が中学三年生の頃、購買部の商品の中に小さな包みが幾つも並んでいるのを見た事がありました。細長いカゴの中に手の平サイズで1cm程度の厚みの包みが整然と納められており、その中の一つを手に取ると包装紙の中身はふかふかと柔らかい何かのようでした。それが何なのか分からなかった私は、その日の店員担当だった購買部(委員会のひとつでした)の同級生女子に中身を問いました。
すると彼女は「女の子がピンチになった時に使うものだよ」と教えてくれ、そこでようやく私はその包みが生理用ナプキンを一つ一つ可愛らしい包装紙で個包装したものなのだと理解しました。男子生徒にはその商品が何なのか分からないよう、購買部の女子たちで包装する事も委員会の仕事のひとつだったようです。
生理用ナプキンが購買部で販売されていた事、そして一枚単位で購入できるようになっていたとは、最終学年になるまで私は知りませんでした。それもこれも、わざわざ包装紙で包んでいたせいだと思います。なんて面倒くさい事を、とその時は思いました。
その後も購買部で慌てて生理用品を買う必要は私には無かったので、それを男子生徒もいる前で買う、という場面はまったく想像できませんでした。

転機が訪れたのは結婚後、引っ越しして初めて訪れたドラッグストアで生理用ナプキンを購入した時です。他よりも精算を待っている人が少ない列だったので並んだレジは、学生アルバイトとおぼしき若い男性が担当していました。その時の私の買い物かごの中身は特売の生理用ナプキンのみ。その時、齢30にして初めて生理用品を購入する気恥ずかしさを味わいました。
当時は子作りを始めた頃だったので、結婚指輪をしているアラサー女なのに生理の予定がある、つまり私が妊娠していない事をこの若い男性に知られる事がまず恥ずかしいと感じました(後日、妊娠検査薬をこの男性のレジで精算した時は恥ずかしくなかったどころか、たぶんドヤ顔をしていた)。
購入したのが特売の生理用ナプキンのみだったので、こんな安い物を使っているのか、と若い男性に知られる恥ずかしさが次にきて、特売品ばかり買うなんてケチだと思われただろうな、という後ろめたさも感じました。
精算が終わり、梱包の段になると生理用品はその男性の手によって茶色の紙袋に入れられました。店員なのだからその男性はその商品が何に使われる物なのかを知っている。だからこそ紙袋に包んでくれた訳なのですが、若い男性にそこまで気を使われた恥ずかしさと、そうさせてしまった申し訳なさを感じました。
いっそ、その店の通常レジ袋である半透明なレジ袋に生理用ナプキンを直接入れられた方が恥ずかしくなかっただろうと思います。そうすれば、この男性はそれが生理用品だと気付かなかった事になるからです。ところが実際には茶色の紙袋に入れられ、更に色付きの不透明なレジ袋に入れられて渡されました。
この梱包の仕方により男性レジ係は完全にそれを生理用品だと理解していた訳なので、私はあの若い男性にセクハラをしてしまったのではないだろうかという罪悪感にさいなまれながら帰途についたのでした。

購入した生理用品を紙袋に包むのは、男性に気付かれないようにという理由以外に、おそらく衛生的な考えもあっての事ではないかと思います。特に私が通った中学校の購買部での生理用ナプキンは必要な枚数が都度購入できるよう、一枚単位で包装されて販売されていました。購買部では市販で24枚入りなどになっているパックを開封して販売していたので、最初の誰かが買った後で次の購入者が現れるまでに、開封したパックの中にホコリが入らないよう、パックの中身全てを一斉に一枚一枚包装紙で包んでいたのだろうと思います。

ドラッグストアで若い男性のレジ係が私が購入する生理用ナプキンのバーコードを機械に読み取らせる為に生理用ナプキンのパックを掴んだ際、実を言えば私は一瞬、新しい衣類に水溜まりの飛沫が付いた時に似た感覚を味わいました。
汚ない、と思う程ではないにしろ、「私が使う生理用品を夫でない男性に触られてしまった」という抵抗感を私は抱いたのです。夫しか知らない私にとって、それは私の性的な部分に触れる二番目の男性に、ドラッグストアの男性レジ係が無造作に躍り出た瞬間でもありました(妊娠後はこんな些末な事など気にならなくなりました)。
購入したのは30枚入り生理用ナプキンパックの2つ入り。男性レジ係が掴んだ部分は一番の外側で、私の肌にあたる部分はそこから3重も下に包まれています。にもかかわらず、何となく心にひっかかりを感じてしまいました。商品の陳列などで他の男性店員にも触られていたかも知れないというのに、目の前でレジ係に業務を遂行されただけで若干の嫌悪感がよぎったのです。
様々な店舗で客が購入した生理用品を紙袋に包み、更にレジ袋に入れるのは、男性への目隠しという目的以外に、客が店から出て持ち歩く際の外気に触れないようにする為でもあったのかも知れません。雨や排気ガス、土埃などが生理用品の外装を汚さないよう紙袋に入れていたのではないでしょうか。
そう思うと生理用品を紙袋に包んでからレジ袋に入れるのは、私が思っていた以上に販売側は気を使っていた事になり、この風習は衛生観念に厳しい日本では当然のような気がしてきました。
例えば祝儀袋や香典袋などは、風呂敷や袱紗(ふくさ)に入れて持ち歩きます。包んでいる袋にはこちらの名前が書いてあり、特に祝儀袋は凝った水引も含めてそれ自体が贈り物なので形が崩れないよう、汚れないようにと袱紗に入れますが、最終的に渡したいのは中身の現金です。
資源を大切にする為に無駄な包装は慎むべきかとは思いますが、日本は玩具の外箱が汚損しただけで値段を割引く国です。生理用品は清潔にするべきものなのだから、外装も含めて衛生的に持ち帰って欲しいという願いがそこにあるのだろうと思いました。

自分が思っていた以上に他者は生理を特別なものと認識しているのだというギャップに違和感を覚え、恥ずべき、特別な事ではないと伝える為に「#NoBagForMe(ノーバッグフォーミー)=私は袋は要りません」という運動は起こっているのだろうと思います。
もしも私が生理用品を購入する時に精算と梱包を担当する店員が男性であるならば、無造作に普通のレジ袋に入れて貰いたいと思います。生理用品を購入したのだという、特別扱いをわざわざされたくはありません。特別扱いされるものではないから、というよりも、特別扱いをされると私の方が意識させられて恥ずかしいのです。したがって、結果的には私もこのムーブメントの一員と言えるのかも知れません。
しかし、袋に入れるかどうかを問う店員さんの方はもっと気を使って大変かも知れません。ならばいっそ生理用品は自動販売機で売れば、袋は客の負担で自由に用意できると思うのです。そうすれば痔の方に重宝されるらしい生理用ナプキンは、男性も手にしやすくなるのではないでしょうか。