xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

いつかの未来の為に

私には子どもが二人いて、下の子は3才になりました。下の子は今年4月に幼稚園に入園予定で、育児としては大きな節目を迎えます。それでも、子どもたちが赤ちゃんの頃を思い出すと、下記の記事の先輩ママさんのような方が身近にいたならどれだけ自分は救われただろうかと思い、この方の新米ママさんを想う優しさに感涙してしまいました。


2人目出産で大部屋に入院。初産のピカピカ新人ママに、自分のダラダラ育児っぷりをわざとアピールした理由
https://select.mamastar.jp/362288


作中の
「今でこそ子育ては程よい手抜きがとっても大事だってわかっているけれど」
「ピカピカの新人ママさんたちはそれを知るのはきっとこれから」
という部分で私は目頭が熱くなりました。
本当に、いま思うと何故あんなにも私は一人目育児の時に肩肘を張っていたのだろうかと思うのです。どのくらい張っていたのかというと、入院していた7日の間、一度も産院で入浴をしなかった程でした。
入浴と言っても一ヶ月健診が終わるまではどのみち自宅でもシャワーしか浴びられないのですが、そのシャワーを一度も浴びずに私は退院しました。
その産院ではシャワー室の扉に予約表が貼付されており、各自で希望の時間帯の枠に記名して利用の予約をする事になっていました。シャワー利用中は勿論ナースステーションに赤ちゃんを預けます。

看護師さんたちも忙しそうだし、産後すぐと入院二日目あたりでホットタオルで清拭して貰えていたし、そもそも誘発出産だったので入院直前に自宅で入浴を済ませていたし、新生児はいつ泣き出すか分からないので予約した時間に赤ちゃんから離れられるとは限らないし、私は髪の量が多いので乾かすのに時間がかかり面倒くさいのと、次の人の予約時間まで食い込んだなら他の方に申し訳ないなという気持ちがありました。私は実母の匂いが好きだったので、我が子にも私の匂いに慣れて貰おうと思ったのもありますが、私が我が子から離れがたかったというのがおそらく最大の理由です。こんなにも小さな赤ちゃんを放置してまで自分の身支度などという、大したことの無い用事を優先する必要があるとは私には思えなかったのです。

二人目の子の時には上の子の時と同じ産院で出産したので、どこにどのような設備があるのかも知っており、オムツ交換や着替えをさせるのにも慣れていたので心身ともに余裕があった為、入院中にシャワーを浴びた上、これから頂くであろう出産祝いの返礼に同封する礼状を赤ちゃんが寝ている間に書き貯めておく事すらしました。この時に使用した便箋は入院セットと一緒に自前で持ち込んだものです。一人目の時の経験から、一番集中して手紙をしたためられるのは入院期間中に他ならないと分かっていた為です。
私も記事の方と同じように大部屋に入院したので、同室の初産ママの鬼気迫る様に老婆心が疼きました。そして、自分も一人目の時にはきっとこうだったのだろうなと切なくなったものです。しかし、それは本人が気付かなければ、誰がアドバイスした所でなかなか届くものでも無いと思ったので、私は記事のママさんのように新米ママさんのお手本になろうとはせず、あくまでマイペースで過ごしました。

私が出産した産院は母子同室だった事もあり、育児トレーニングルームというものがありました。授乳の際には母親は入院部屋から赤ちゃんを連れてその部屋に移動します。トレーニングルームに入室するとオムツ交換台でオムツを確認、必要なら交換し、赤ちゃんの体重を計測してから長椅子に移動して授乳、授乳後に再度赤ちゃんの体重を計測し、退室する流れになっていました(計測は任意なので、特段しなくても構わない)。
一人目の時には授乳の終わり時が分からなかったので、私は赤ちゃんが乳首を離してくれるまで吸わせ続けました。赤ちゃんが寝たらそっと自分の入院部屋に連れて帰るのですが、何故か入院部屋に戻ると赤ちゃんは泣き出す。就寝している他の親子の睡眠を邪魔してはいけないと、我が子を泣き止ませる為にまた授乳をしに育児トレーニングルームに移動し、という事をその夜は何回か繰り返し、赤ちゃんを寝せるにはこのままトレーニングルームに居るしかないと判断、一夜の殆どの時間をその部屋で赤ちゃんを抱っこしたまま過ごしました。
「昨夜からずっとこの部屋に居るでしょ。そんなに頑張らなくても良いのよ」
明け方頃に看護師さんにそんな声を掛けられましたが、「頑張らなくても良い」の意味が当時の私には分かりませんでした。母親になったのだから、徹夜での授乳なんて当たり前。赤ちゃんが乳首を離さないのだから、赤ちゃんが満足するまで授乳するのが母親の勤め。そう思い込んでいたので、きっと看護師さんや二人目以降のママには私の姿は痛々しく映っていたかと思います。

せっかく授かった赤ちゃんを育てようと張り切っている時に手の抜きどころを誰かに教えられても「母親とはこうあるべき」という常識にとらわれて、なかなか実践できるものではないと思います。記事のママさんが演じた「適当なママ」の姿を見たピカピカの新米ママさんは、彼女の「育児に不真面目な姿」を見てどう思ったかは分かりません。しかし、すぐには理解できなくても、育児が一息つけるようになった頃に彼女の姿を思い出したなら、もしかしたらその行動の真意が分かる人もいるのではないかと期待します。密室育児やワンオペ育児だったりした場合は本当に、適度に手を抜かなければ、いつノイローゼか虐待に繋がってもおかしくないのです。ですがそれはおそらく、自分の理想の育児が一度崩れてからでないと痛感できないのです。

二人の子どもを幼稚園児にまで育てた今ならば、私も赤ちゃん育児の手の抜きどころが分かります。少しくらいならば泣かせていても大丈夫だし、赤ちゃんが乳首を離してくれないならば私の指を赤ちゃんの口に差し込んで離させれば良いし、自分が疲労を感じたならばナースステーションに赤ちゃんを預けて二時間くらい眠れば良かったし、入院中もシャワーを浴びてリフレッシュすれば良かったのです。
下の子はよく飲んでよく眠る子だったのでお世話はそもそもが楽でしたが、一人目を張り切ってお世話したからこそ、私はようやく緩急のつけ方が分かるようになったのです。子どもは四角四面にきっちりと育てなくても、それなりに大きくなるものです。納豆は野菜であり、たんぱく源。餃子は完全食なのです。

しかしそれでも先日Eテレで放送したミニアニメ「おちゃめなシモン」にて、夕食前に子ども二人をベビーシッターに任せ、両親が夜に上映する映画を観に行ってしまった話には衝撃を受けました。映画館が近くに無いせいか、観たければテレビ放送を待つかDVDを借りるか程度にしか映画に興味がない私にとって、子どもを置いていってまで映画を観に行こうとするシモンの両親が信じられませんでした。でもそれらを「信じられない」と拒否するからこそ、これまで当たり前に出来ていた事が出来なくなるからと子育てへの難易度が上がり、子どもを持とうとする人たちが減っているのではないかとも敷衍するのです。

「死なせない育児」が提唱されるなど、少しずつ育児の「こうあるべき」論はハードルが低くなってきたように思います。けれど周囲も同じ温度でいてくれなければ手抜きだ虐待だと非難され、インターネット上では共感されても、現実世界では肩身の狭い思いをする人も出てくるでしょう。
これから新米ママになる方が少しでも楽しく育児が出来るように、まずは私が、子どもを誰かに預けて夫婦で夜にデートしたって良いじゃない、という気になろうと思います。日本ではまだまだ慣れない感覚だろうとは思いますし、私自身は夫と二人で出掛けるよりも子どもたちも一緒の方が楽しいのでそれを実行しようとはまだ思えませんが、私の子どもが子を持つ頃には、子育て世代を取り巻く人々の常識がそうなっていれば良いなと思います。孫を抱きながら、夫婦でデートに出掛ける息子の後ろ姿を気持ちよく見送るお婆ちゃんに私がなる頃には、理想の育児につまずいて泣くママさんが今よりもずっと減る事を願ってやみません。