xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

親になる、とは

子育ては己育て(自分育て)とも言います。その言葉は、育児を通して忍耐と寛容の心を学ぶという事かと私はずっと思ってきました。しかし上の子が小学生になる今、自分の思い違いに気付いたような気がします。
それは、子どもを通して、自分が親にされた事を追体験する事なのではないでしょうか。良い事も、そうでない事も。

新入学児童保護者説明会の後の物品販売の荷物の多さと行列に辟易したと帰省した時に私が母に話すと、それは高校まで続くから頑張りなさいと母は笑いました。私が高校入学の時に本屋に教科書を買いに一緒に行ったのは覚えていますが、そう言えば体操服はいつの間にか用意されていました。
また我が子の小学校では児童の保護者はPTAの委員会に必ず所属しなければならないらしく、それが面倒だと母にこぼすと、父や母は私や私のきょうだいの在学中の殆どでPTAの役員をしていたのだと教えてくれました。私の中学時代に父が進路対策委員会の委員長をしており、頻繁に父が校長室に出入りしていた事や私の卒業式に壇上で挨拶をした事は覚えていましたが、よもや母までが学校内でそのような活動をしていたとは、これまでまったく意識していませんでした。

私が子どもの頃には当たり前過ぎて気にもかけなかった様々な事柄が、アラフォーの今になってようやく、親が用意してくれていたのだと実感できるようになってきました。当たり前にあった、毎日の食事や清潔な衣類。それらは決して魔法で現れる訳ではなく、誰かが、今の私が我が子にするように、自分の時間を割いて準備してくれていたものだったです。
そう気付いてからは、今年は新型コロナウイルスの影響のせいか見かけませんが、この季節によくあるような「高校生の子どもから、最後の弁当への謝意」などというネットニュースを読む度に私は後悔の念にとらわれていました。弁当が用意される事は当たり前の事と思っていたので、私は母からの最後の弁当にも何のリアクションもしなかったからです。

上の子が小学生になる今、学用品への記名作業が目下、私の課題となっています。算数セットのおはじきへの記名は大変だと聞いていたのでシールを用意し、下の子が寝ている間にぺたぺた貼り付けていますが、私が小学生の頃に使ったそれらは母の手書きで記名されていました。細い棒の一つ一つにも私の名前が書かれており、二学年差の私のきょうだいにも新品が用意されていたので、お名前シールなんて便利な道具が無かった時代の事、こちらもきっと全て手書きだったのだろうと思います。
どんな思いで母はこの記名作業を行っていたのだろう。子どものお名前シールを貼りながら、母の手書きで書かれた自分の算数セットを思い返しました。

私は母の書く字が好きです。硬筆が得意な人のような綺麗さという訳ではありませんが、あたたかみのある字を母は書くのです。学校生活中、母が書いた私の名前を見る度に母を思い出し、私は何だか安心したものです。それに対し、私の字は上手とは言い難いものなので、子どもの学用品への記名の多くはシールとスタンプで済ませました。我が子が親になる頃には更に道具は進化して、私が貼ったシールすら郷愁に駆られるものとなるのでしょうか。それとも、同じようにお名前シールを貼りながら「母さんも手書きは面倒だと思ったんだろうな」と苦笑するのかも知れません。

親になってからの私は、自分がどのように育てられたのかを一つひとつ追体験してばかりです。学生だった頃に親に何一つ感謝して来なかった自身の親不孝さが胸に刺さりますが、その分、私は子どもに見返りは期待せず、親から貰った愛情を、我が子へ少しでもお裾分け出来ればなと思います。
子育ては、こうして少しずつ、私の心をまあるく育ててくれているような気がします。