xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

次の節目まで

送る側と送られる側、この春はどちらがより、心残りになってしまったのでしょうか。
我が家の上の子がこの春に幼稚園を卒園し、小学生になりました。幸いながら私たちが住む地域では新型コロナ感染者の報告が0だったので、日程を早め、内容も簡略化されはしましたが卒園式が行われました。本当なら在園生にも見送られる所でしたが、我が子の園では在園生は事前に録音した声のみの出席でした。来賓が無く来賓挨拶の時間が削られた事はむしろ好運とすら思いましたし、保護者から先生方へ歌のプレゼントがサプライズで行われる手筈でしたが、それが無くなった事は音痴の私には好都合でした。
私にとっては初めての我が子の卒園式。先生方にとっては何回も経験している卒園式かとは思いましたが、担任の先生が園児の名を呼ぶ時に声にならず、数秒中断するなど、先生にとってもやはり卒園式は特別なものなのだという気持ちが伝わりました。だからこそ先生方は卒園生をもっと盛大に送り出したかったのかも知れませんが、少なくとも私や我が子にとっては十分満足のいく卒園式になりました。参列者はマスク必須でしたが、おかげで涙をこらえる為に私の口許が歪んでいた事を隠せました。
しかし、そう思えるのは我が家は子どもがまだ幼稚園児だったからなのかも知れません。今春、幼稚園の卒園式がきちんと出来なくても、これから先に我が子には小学校や中学校、高等学校の卒業式が待っているのですから。

子どもの卒業というものは子育ての大きな節目です。自分はこんなに大きくなるまで子どもを育ててきたのだと保護者が実感する大切な式典だと思います。だからこそ、この春に満足のいく卒業式が出来なかった子どもたちと、その親御さんたちの気持ちを思うと切なくなります。Eテレ「Eダンスアカデミー」7期生の卒業講演が無観客の中で行われた事には、時々しか視聴していなかった私ですら無念さに涙が出てしまいました。本来なら7期生には会場いっぱいの観客から拍手が贈られた筈なのに。
卒業式は「これで終わり」という明確な区切りです。それが無いままでは気持ちの切り替えが出来ず、宙ぶらりんのまま放り出されたような気持ちになってしまった人たちも少なくないのではないでしょうか。

それでも、ふと思う事があります。急な休校や卒業式が無くなった事で救われた人もいるのではないかと。春休みや新学期にこれまで所属していた集団と接触しない大義名分が出来て助かった人もいるのではないかと。
緊急事態宣言が全国に拡大され、5月6日まで休校のお子さんも増えたかと思います。例年、ゴールデンウィーク明けに子どもの自殺が報道される事がありました。子どもの自殺の原因は様々にあろうかと思いますが、もし学校の事が自殺の原因であるならば、今年はその件数がとても少なくなる事を期待します。
生命さえあれば、次があります。きちんとした卒業式がこの三月に出来なかったとしても、次の人生の節目がいずれやって来ます。しかしそれも、無事でいてこそ。
「家にいて良いんだ」
何の罪悪感も無しに家で過ごせる今だからこそ、家で出来る範囲ではありますが、その子らしさを獲得して欲しいと思います。

その一方で、自宅が安心できる場所ではない子もいるかと思うと心が締め付けられる気持ちになります。このコロナ禍において離婚やDV、虐待の件数が増えているとテレビニュースで報道されていました。
どうか、より多くの人が次の節目を笑顔で迎えられますように。それまでは、自分に出来る精一杯で過ごしていこうと思います。