xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

私の一部

子どもの小学校から配布されたプリントに、「早寝早起き朝うんち」という標語が記載されていました。
私が子どもだった時分には、最後の部分は「朝ごはん」だったかのように思うのですが、今では異なるようです。何故「朝ごはん」部分が「朝うんち」に変わったのかというと、食事と排泄は一連の活動だからで、朝ごはんを食べると腸が活発に動き、排泄が促されるからなのだそうです。

ごはんと排泄で私が真っ先に思い出すのはNHKドラマ「伝説のお母さん」です。最終話にて、子どもを産んでからの自分は沢山の事が出来るようになったと主人公が魔王に叫ぶのですが、その中の1つに「自分が食事中でも子どものうんちオムツの交換が出来る」というものがありました。
我が家の子どもはいずれもオムツを卒業しましたが、下の子は多くの場合、食事中に排便を催します。下の子はまだ背が届かず便器に一人で座れない為、私も自分の食事を中断して子どもの排泄に付き合います。排泄が上手に出来たか見守り、本人にも拭かせますが、仕上げに私が子どものおしりを拭いてから二人で食卓に戻ります。
自分が食事中だからといって幼児の排泄を我慢させる事は出来ませんし、せっかく子どもに排便の感覚が来たのですから、それを拒否する謂れはありません。
大人と同じうんちを出すようになった我が子のうんちを間近で見守り、トイレットペーパーでおしりを拭いて、すぐに自分の食事に戻る事など造作もありません。
赤ちゃんを育てて私が思ったのは、人間は筒が複雑になっただけの物でしかなく、誰もがうんち製造機なのです。
生きる事は食べる事、そして「出す」事なのです。

しかし「伝説のお母さん」では、主人公の夫は「うんちオムツ換えるの、男には無理」と断言していました。自分が食事中でなくても、そもそも男はうんちの付いたオムツは対応できないと言うのです。
思えば私の夫も子どものオムツ交換は苦手でした。おしっこだけの時にはおっかなびっくり、うんちもある時には大量のおしりふきを消費したり、機会の殆どにおいては途中で降参し、私と選手交替をしたりしていました。
これまで読んできた様々なネット記事によると、一般的に男性は赤ちゃんのうんちの付いたオムツ交換を苦手とする方が多いようです。


育児に協力的な夫、それでも“うんち”が片付けられず妻は怒り…子育ての悩みは十人十色
https://otonanswer.jp/post/65509/

「夫は基本的に、育児なら何でもやれるのですが唯一、子どものうんちが片付けられないのです。片付けている最中に気持ち悪くなるようで、それでも我慢して片付けているといよいよ催して、トイレに駆け込んで吐いてしまいます。そんなに苦しいのなら、うんちの片付けは私がやればいいだけの話なので特に問題はないのですが…」

どうして世の多くの男性は、我が子のうんちが苦手なのでしょうか。
逆に、どうして母親は赤ちゃんのうんちオムツ交換が出来るのでしょうか。

もちろん母親の中にも嫌々交換している人はいると思いますし、「自分しかやる人がいないのだから」という義務感で動いている人もいるかと思います。
私も確かに「私(母親)がやらなくて誰がやる」という気持ちはありましたが、赤ちゃんのドロドロうんち時代にも、程よい固さのうんちになってからも、特に苦は感じていません。むしろ出ない方が心配になるので、子どものうんち処理中は「ああ今日も良い量のうんちが出たな」と、満足感すら抱きます。

父親が我が子のうんちオムツの交換が苦手なのに対して、母親は自身の食事中でも対応が出来る。この違いはもしかしたら母親は、子どもが「自分から独立した存在」だとまだ認識しきれていないからなのかも知れません。

第一子を産んで里帰り中、寝不足の私が実母が用意してくれた食事を摂りながら、実母に抱っこされている我が子を見た時に
「私、今どうやってこの子に栄養を送っているのだろう」
と考えた事があります。その少し前まではへその緒を通じて私は子どもに栄養を届けていましたが、もうそれは断ち切られているのです。自分の内臓が自分の身体の外で動いているなんてと、本当に不思議な感覚を味わいました。

また、我が子が新生児の頃に私は子どもの爪切りに失敗し、指先の皮膚の一部まで爪と一緒に切ってしまった事があるのですが、我が子の指先でぷくっと膨らんだ血液を見た時に
「何で血が出ているのに(私は)痛くないのだろう」
と本気で考えた事があります。
子どもを自分から独立した存在だと思えず、子どもの指が切れたのだから、私に痛みが来るものだと本気で思い込んでいたのです。

子どもが「自分自身」、あるいは「自身の延長」だと思えば、うんちオムツの交換など造作もありません。
父親にとって赤ちゃんは最初から自分とは別の存在なので、自分ではない誰かのうんちを触る事に抵抗があるのでしょう。
乳児のうんちはヨーグルトの匂いで、その原料は母乳やミルクです。自分の分泌物、自分が与えた物が赤ちゃんのうんちの材料になる為、母親は父親に比べるとうんち処理の抵抗感が薄いのではないかと思います。また子どもが成長してからも、子どものうんちの材料は自分が用意した食事である事が多いので、それまでの慣れも加わり、やはり母親には抵抗感は薄いままなのではないでしょうか。

幼児虐待の報道で「内縁の夫」が加害者だったという話はよく耳にしますが、実は幼児虐待事件における加害者の多くは幼児の実の母なのだそうです。これもきっと、子どもを自分の延長(あるいは所有物)だと思っているからこそ、遠慮がなくなっているからなのかも知れません。

まだ自分のおしりを上手に拭けない我が家の下の子ですが、先日とうとう
「おかーさんはトイレから出てて」
と言うようになりました。
これまでは「ドア閉めて一緒に居て」と私がトイレから離れようとするのを防いでいたというのに、もはや母は便座にさえ自分を座らせてくれれば用済みだと言うのです。その成長が嬉しくもあり、寂しくもあり。
上の子の小学校はもう二学期が始まりましたが、もうすぐ下の子の幼稚園の夏休みも終わりです。どんどん成長し、私から離れていく子どもたちを見ると、排泄もオムツにするしかなかった赤ちゃんの頃が懐かしく感じます。