xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

個人の自由と種の存続

「本当、このお母さんヒステリックだよな」

夫がそう批評したのは、ジブリ映画「借りぐらしのアリエッティ」に登場する、主人公アリエッティのお母さんでした。
インターネットでも【アリエッティ】と検索すべく文字入力すると、その後に【お母さん 嫌い】という言葉が続いて出てくる程、世間でもアリエッティのお母さんに対する評価は良くないようです。

「でもアリエッティのお父さんは、こんなお母さんでも良いと思って一緒になった訳だよね?」

子どもも一緒に「アリエッティ」を視聴していたので、アリエッティのお母さんの肩を持つべく私が夫に反論すると

「他に相手がいなかったからだろう」

と夫は言いました。
確かに作中では主人公一家が他の仲間はどうしているのか不安がる場面や、「滅びゆく種族」だと人間に言われる場面があり、小人たちはその数を減らしていました。
ならばアリエッティのお父さんが、このお母さんを伴侶に選んだのは、やはり種の存続の為の選択肢が他に無かったからなのでしょうか。

最近読んだ婚活のネット記事では、「結婚願望はあるのだけれど、良い相手がいない」という人物が登場しました。アリエッティたち「滅びゆく種族」と異なり、私たち人類の世界人口は70億人に到達しているそうです。その中で結婚適齢期の未婚の男女がどれくらいいるのかは定かではありませんが、借りぐらしの小人たちよりはずっと多いだろうと思います。アリエッティのお父さんは、出会った女性の小人がアリエッティのお母さんだけだったので、ヒステリックだろうと何だろうと種の存続の為に一緒になるしかなかったのかも知れません。その一方で婚活に悩む人々は選択肢が多すぎて、かえって相手を選びにくくなっているのでしょう。

タイトルは失念してしまいましたが、以前私が視聴した諸外国の世情を紹介するテレビ番組では、10代の花嫁が「結婚は一族の為」と言い切り、スタジオから感嘆の声があがりました。スタジオにいる観客は20代から30代程度の女性が多い印象だったので、現代日本の感覚ではここは「え~」という非難の声が上がるかと思ったのですが、予想に反して観客席やゲストの芸能人席からの声は「おおー」だった事に私は驚いてしまいました。もちろんテレビ番組には脚本があり、VTRの合間に入る聴衆の声は操作されているものだと聞いた事があるので、なおのことです。その番組では「個人の自由」よりも「一族の繁栄」の為に結婚する事を肯定していたようでした。
生きる為に生きる。種を存続させる為に生き物は繁殖を繰り返す。しかし人類はこの地球上に既に70億人にも膨れ上がり、今さら種の存続などを理念にする必要はなさそうです。サラリーマン家庭が増え、継がなければならない伝統、守らなければならない土地という考え方が薄れてきたような今の日本では、「一族の繁栄」を目的とした政略結婚の件数は少なくなり、自由恋愛による結婚が多くを占めているような印象を私は持っています。だからこそ明確な「結婚しなければならない理由」が薄まり、結婚に対して多少は個人の自由意思が認められるようになってきたのではないでしょうか。

アリエッティは、作中に登場したスピラーと今後結ばれるという予想があるそうです。スピラーが作中でアリエッティに一目惚れしたような描写があるせいでしょう。それとも、アリエッティに近い世代の小人が他に登場しなかったからでしょうか。小人は数を減らしているのですから、他の仲間たちとアリエッティ一家が合流してもアリエッティの同世代の数は少ないと思われるので、どのみち伴侶の選択肢はそれほど多くは無いだろうと思われます。
翻って、私自身はどうだったのだろうかとふと考えました。私たち夫婦の始まりは今では普通となった恋愛結婚と言うよりも、少なくとも私自身には、自分の条件にそこそこ合う相手からの申し出だったので夫からのプロポーズを受け入れた、という形で始まりました。他にも可能性のある相手はいたのかも知れませんが、その時には他に私に求婚してくる男性がいなかったので、言葉は悪いですが夫で手を打ったようなものでした。
もしかしたら私は、結婚がしたくて夫と結婚したのかも知れません。田舎では、いつまでも未婚のままでは少々体裁が悪い為、機会があれば結婚してしまいたかったのは事実です。また、親に私の子どもの顔を見せなければとも思っていました。私や夫の一族に莫大な資産が有るわけではありませんが、家やお墓などを引き継ぐ存在を親世代は欲していたようで、特に下の子である息子の誕生を夫の母は大層喜びました。きっと私の両親も、自分たちの孫が生まれた事で少なからず安心したのではないでしょうか。
私自身も子どもは欲しかったのですが、その理由の根源は何だったのだろうかと考えてしまいます。純粋に私の生きた証である遺伝子を後世に遺したかったからなのか、親から私たちが引き継ぐものを更に引き継ぐ存在の必要性を感じていたのか、それとも、結婚したからには子どもをもうけなければならないという社会からの圧力だったのか。

そもそも結婚制度とは、妻と子を守る為に出来たものだと聞いた事があります。そして、子どもをもうけようと思うからこそ、婚活は余計に難航するのではないでしょうか。
TBSドラマ「私の家政夫ナギサさん」では、最終的に28才の女性主人公は50才の家政夫と結婚をし、最終回放送後に『Twitterの検索スペースに「ナギサさん」と入れると関連で「気持ち悪い」というワードがいっときはサジェストとして表示されるなど、受け付けられなかった』視聴者が少なからずいたそうです。


「わたナギ」の結婚オチに賛否、「気持ち悪い」の声があがった理由
https://joshi-spa.jp/1029474?cx_clicks_art_mdl=1_title


二人の結婚という終わり方に何故否定的な意見が出たのか。それは、結婚したならば子どもを作る、あるいは性的な行為をするだろうと多くの人が予想したからではないでしょうか。
これから「わたナギ」は二人の結婚生活を描く特別編の放送を予定しています。その予告を私は観ていないのですが、そこに二人の子どもは登場するのでしょうか。
「わたナギ」作中でトライアル結婚の時に子どもの事はちらりと話題にあがりました。女性が28才で男性が50才であれば、男性不妊の話も頭に過りますが、妊娠はさほど難しい話ではないように思います。しかし、この二人は「子どもをもうける事」が結婚の目的では無いようだったので、私個人としてはこの夫婦は子どもは作らない道を選ぶのではないかなと予想しています。そもそも二人を繋いだのは性愛ではなく、「一緒にいたい」という気持ちからだったのですから。

その人と一緒に生きたいと思ったから結婚した。「結婚」は女性が子どもを安心して生み育てる為の制度という側面があるので、性行為を含む性愛での結び付きもあるでしょう。しかし様々な目的や思惑があっても、結婚とは最終的に、その人と協力して暮らしていきたいと思えば、それで良いのではないでしょうか。
結婚と恋愛は別だとよく言われている通り、私たち夫婦に恋愛のようなドキドキ感は特にありませんが、それなりに上手くやれているように思います。
アリエッティの両親は、もしかしたら「子孫を残さなければならない」という悲壮感や使命感から一緒になったのだとしても、狩りが上手なお父さんと、家作りが上手なお母さんで、利害の一致という、何だかんだで歯車が噛み合った夫婦になっているのではないかと思うのです。

結婚したら子どもを作らなければならない訳ではありません。子どもがいないならば、いないなりに夫婦で穏やかに暮らしている人たちは大勢いると思います。
結婚したら配偶者の介護をしなければならない訳ではありません。病める時も健やかなる時も共にいると一般的な結婚式では誓いますが、介護が必要になったならばプロにお任せ出来る時代になりました。
アリエッティたちのような種の存続や、一族の繁栄の使命を背負っていた訳ではありませんでしたが、私は結婚して子どもをもうけました。でもそれはたまたま奇跡が重なっただけで、子どもがいなければ夫と二人でそれなりに暮らしていたのではないかと思います。そう思えるのは、私たちの関係が少なくとも私の方は恋愛から始まったものでは無かったので、最初から取り繕うことなく素の状態を私は夫に見せていたからです。アリエッティのお母さんのように時にはヒステリックな発言もしたように思いますが、夫がめげずにいてくれるので、私たちの夫婦関係は続いています。

婚活は将来の子どもの事を考えるからこそ余計に難しくなるのだろうと思います。現代日本のサラリーマン世帯が大半を占める一般的な家庭における相続など、アリエッティたちの種の存続の使命に比べれば、まだ替えはきくでしょう。
肩の荷をおろし、協力しあって暮らしていける関係を現代では「結婚」と言うのではないでしょうか。人類は70億人もいるのですから、種の存続はいっそ他の人に任せてしまい、収入、容姿、年齢などといった子育てする為に有利な条件が整った「結婚相手として良い相手」ではなく、「お互い肩肘張らずに暮らせる相手」という同居人探し視点で結婚相手を探すのも手ではないかなと思いました。
もちろん、それが分かる程に深いお付き合いが出来るようになるまでが一番難しいのでしょうが。