xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

小学生の親になって思うこと

先日、小学校の先生から
「○○くんがまだ帰宅していないらしいのです。○○くんとどこで別れたのか、お宅のお子さんに聞いてもよろしいですか?」
という電話があり、小学1年生の娘に電話を代わった事がありました。

我が子が通う小学校では登校は各自ですが、下校時は集団下校をしています。学年ごとに日々の授業のコマ数は異なるので、たまたまその日は同じ時間帯に下校になろうと、その集団下校は学年ごとのグループとなります。
行方不明となった○○くんと私の娘は同じグループなので、どこまで一緒だったのかを聞きたいという事でした。

その日は短縮授業のため普段よりも下校時間が早く、○○くんのお母さんは、その下校時刻にご自分の帰宅がギリギリ間に合わなかったのだそうです。時短勤務かパートタイムかで働き、子どもの下校時刻にはお母さんが家にいるようにしていた家庭だったのか、○○くんを学童保育に入れる事も、玄関の鍵を持たせる事もしていなかったのでしょう(我が子とは幼稚園が異なったので事情は分かりません)。
寒空に子どもが家に入れずに困っているだろうと急いで帰宅してみると、どこにも息子の姿がない。慌てて学校に相談をし、同じ帰宅グループの家庭に学校側が電話をしたという流れでした。
結局○○くんは同じ帰宅グループの男の子の家にいる事が分かり、一件落着となりました。

もうすぐ二学期も終わろうという今、改めて幼稚園と小学校の違いを保護者目線で挙げるならば、私は「小学校は下校時間の変化があまりにも多い」事だと思います。
もちろん幼稚園でも運動会や学習発表会(お遊戯会)前日、学期末などは午前中にお迎えの日はありましたが、保護者が降園時間にお迎えに行けない場合には、幼稚園の先生にそのまま延長保育をお願い出来たので、子どもの身の安全は確保されていました。ところが我が子が初めて小学生になった今、やれ今日は15時30分下校だ、今日は給食なしだ、今日は13時40分だ、14時30分だ、13時15分だと様々な時間に下校となる事に(自分もかつて経験しておきながら今更)気が付いたのです。下校時間がまちまちになる理由の殆どは先生方の研修会など、先生の都合によるものでした。これでは外で仕事をしている保護者は常に子どもの帰宅時間を気にしなければならなくなるので、気が気ではないだろうなと思うのです。
仕事などで小学校低学年の子の下校時刻までにその家の大人が在宅できない場合の為に学童保育がありますが、その場所が小学校とは別の場所にある事も、ついこの間まで幼稚園児だった子どもの事を考えると私には不安があります。学校から学童保育の場所までの道のりもまた、我が子の小学校ではグループで移動する訳なのですが、途中に大きな交差点があるからです。またその学童保育にも定員があるので、何らかの事情で突発的に利用しようと思っても、それが叶わず困ったご家庭もあるのではないでしょうか。
我が家が住んでいる地方自治体には一つだけ私立の小中学校があるのですが、そこには学内に学童保育があり、更にスクールバスで送迎という特色があるそうです。私が夕方にそのバスを見かけた時には、幼稚園児から中学生くらいの子までもが一緒に乗車していました。もちろん利用にあたってはそれなりの金額が請求されるのだろうなとは思いますが、このような取り組みがある事を子どもの幼稚園願書提出前に知っていれば、この学校の付属幼稚園から子どもを通わせておくべきだったと悔やんだ方がいてもおかしくは無いと思いました。それが理由かは定かではありませんが、娘が幼稚園時代に同級生だった子のうちの数人は、公立ではなく、この私立の小学校に進学しています。

「小1の壁」とは、子どもが小学生になった時に、主に母親が、これまでと同じようには働けなくなってしまう社会的な問題の事です。これまで私は「そうは言うものの、学童保育があるでしょ」と高をくくっていました。ところが実際に自分の子どもが小学生になってみると、朝に学校の玄関が開くのは7時40分からで、それより早くは児童は校舎に入れないという決まりがある事に驚きました。親御さんは勤務地によってはかなり早く自宅を出なければならない方もいるでしょうし、朝早くから仕事がある方もいるでしょう。その家で最後に出発する人が小学1年生の子どもだったなら、戸締まりなどの不安が拭えない事は想像に難くありません。親の出勤時間と一緒に自宅を出たのか、朝7時前から校門付近にいる児童も実際にいるらしく、学校から配付された文書には「7時40分頃に校門に着くよう調整して下さい」というものがありましたが、家庭によってはそれは酷だろうと思いました。早朝に学童保育は(少なくとも我が家が住む自治体には)無いのです。

PTA活動というものもまた、家庭に大きな負担を強いている事もあるかと思います。少子化問題を取り上げたネットニュースに投稿されたコメントの中に「PTA活動が嫌すぎて子どもを多く持てない」というものを目にした事があります。子ども一人で六年間。年子で子ども二人なら七年、二学年差で子ども二人なら八年、それ以上ならもっと長い期間、保護者はPTA活動に関わる事になります。
我が子の幼稚園の役員決めは、仕事がある方や未就園児がいる方、妊娠中や介護などがある方は最初から候補から除外されていました。また全保護者が参加する活動も、日程を選べました。ところが小学校のPTA活動ではそういう配慮は一切無いらしく、現在学年委員長をしている方のご家庭には未就園児のお子さんがいらっしゃるそうです。今年度は新型コロナウイルスの感染予防対策で殆どのPTA活動が行われていない事は幸いだったと思いました。
私には現在、登校時間の横断歩道の見守り活動が割り当てられていますが、何人かで組んで当番制になっているそれに、実を言えば全員が参加している回は今のところ一度もありません。小学生が登校する朝の7時から8時までの一時間程度であっても、自宅から離れられない方や、もう出勤していなければならない方が多いのだろうと思います。専業主婦の私も、夫の出勤時間が早いので、幼稚園に入園した下の子を早朝預かり保育にお願いしておかなければその活動には参加できません。我が家は何とかなっていますが、PTAは核家族は想定していないのか、子どもは小学生以上しかいないと思っているのか、未就学児を一人で留守番させる事を推奨しているのだろうかと実はモヤモヤしています。私の子どもが通る訳ではない横断歩道に立つ度に、そんなに児童の安全が心配なのであれば、いっそ警備会社に依頼して、それをPTA会費で賄えば良いのにと実は思っています。

冒頭に挙げたように、子どもの下校時間がまちまちなせいで、保護者は仕事のリズムが一定に出来ないという問題もあります。それが仕事が響かないようにする為には、最も早い下校時間に常に合わせた勤務スタイルにしておくしかないと思いますし、学童保育が利用できても、学童が休みの日には必ず休みになる仕事しか出来ません。
そもそも、どうして小学校の校舎の中で児童の預かりは出来ないのでしょうか(もしかしたら我が家が住む自治体だけなのかも知れませんが)。例えばアメリカの小学校などでは校内の掃除は用務員さん、あるいは清掃業者の方のお仕事なので、児童に残られていては掃除の邪魔になる為に早く下校して欲しいだろうと思います(そしてスクールバスや保護者が迎えに来るのが一般的との事)。しかし日本では掃除は児童らが行うので、放課になった後も児童が校内に残っていても邪魔にはならないように思います。高学年がクラブ活動をしているのと同じように、低学年にも学童クラブが校内にあれば良いのです。教師に授業の準備や研修会などあって手が一杯であるならば、クラブの顧問は外部の方に依頼すれば良いのではと思うのです。学校のセキュリティチェックが大変だと言うのであれば、事務の方をもっと多く雇えば良いのでは。それが出来ない理由が分からないので、私は単純に、そんな風に思うのです。

私が小学校の入学説明会に出席した時に戸惑ったのは、我が子が通った幼稚園の保護者会とは出席者の雰囲気がずいぶん異なったからでした。幼稚園と保育園ではそもそもの利用目的が異なりますし、園によって様々に特色があります。それ故に、似たような考えの家庭の方がそれぞれの園に集まりやすいのだろうと思います。しかし公立小学校は単純に住んでいる学区で進学先が分けられるので、様々な家庭の方が集まります。どの家庭にもそれぞれに事情があり、だからこそ我が子が通った幼稚園の役員決めのような配慮をしてはいられないのでしょう。
幼稚園や保育園は義務教育ではないので、園にとって園児やその保護者は「お客様」です。その感覚が保護者から抜けきらないので、例えば先の私のように、「下校時間がまちまちで困る」などと、「いつも同じ時間まで子どもを預かっていて欲しい」というように、保護者と学校側とで認識に齟齬が生じてしまうのではないかと思います。
小学校は小学校で、公立であるが故か、「みんな平等」を気にし過ぎのような気がします。校舎内に学童保育が設置できないのも、それを利用する児童ばかりが先生と、より親しく交流できるようになってしまうからなのかも知れません。きっと、校内で学童保育をする場合、児童全員を対象としなければ、どこからか「不公平だ」という声が上がるのでしょう。

小学校はあくまで教育機関。家庭と一緒に子どもを育てるパートナーだった幼稚園や保育園とは立場が違うのです(幼稚園も文科省管轄の教育機関ですが、「生活」を教えている点では差異は無いかと思っています)。私の子どもの連絡帳は子ども自身が書いてくる連絡事項程度しか書いていない為、まだまだ残りページに余裕がありますが、娘が言うには、同じクラスの中には、既に二冊目もだいぶ進んでいる児童もいるそうです。何をそんなに書く事があるのか分かりませんが、それは対応する先生の本業の範囲内である事を願います。
私たち児童の保護者は、もう「お客様」ではないのです。PTAは、日本語では父母と教師の会。どちらかがどちらかに使われる立場ではなく、協力して児童の育成に携わるのが本来の姿なのだろうと思います。先日は私が横断歩道の見守り活動で目撃した、危険だと感じた児童の行為を活動日誌で報告したところ、交通安全担当の先生が全校集会で注意喚起したらしく、子どもの担任の先生から我が子の連絡帳にお礼の一文がしたためられてきました。しかし、先生から「お礼」をされるのも何だか違うような気がしています。
今年度は新型コロナウイルスの影響で、殆どのPTA活動が行われていないようです。それでも我が子は今のところ欠席する事なく登校しており、行事は形を変えたり無くなったりはしても、先生方のおかげで学校活動に特に支障は無さそうです。だからこそ余計に、PTAとは一体なんなのか、存在意義がよく判らなくなってきました。

今年も残りあと僅か。来年度こそはPTAが動かなければならない行事が開催されるのか否か。開催されたあかつきにはPTAの存在意義が知らしめられるのか。それを確認するまで残りあと8年、PTAママでいる事が少しだけ楽しみになりました。