xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

自分は正しいのか

夕方のニュースを観ようとテレビをつけ
見出しを見た時に、
ああ、虐待のニュースだなとピンと来ました

「もうおねがい ゆるして」

5歳の子がもうこんなに文字を書けるのか

うちの子はまだ自分の名前を書くのがやっとなのに


5歳児の平均体重は20kgなのに、この子は12kgだったとキャスターが読み上げました

うちの子は14kgだから、あんまり変わらないな

てゆか平均20kgなんだ
うちもギリギリだな、あんまり食べないからな


あんまり変わらないのに、

「ゆるしてください」

どうして子どもがこんなのノートに書いてるの?


気分が悪くなりそれ以上は聞いていられず、テレビの電源を消しました

この時、我が家の5歳女児は1歳弟とアンパンマンごっこをしていました

同じ年齢、きょうだい構成だからこそ
よけいに胸に迫った


目黒区の虐待死の話です。

予想通り母親の連れ子が継父に、というパターンで、新しい情報が報道される度にやるせなさと憤りで胸が苦しくなります。
しかも亡くなった子の下に夫婦の子どもが生まれていた王道パターン。
更に下の子は何をやっても可愛い1歳児。

母親が虐待にどのくらい加担していたのかは分かりませんが、夫に嫌われたくなかった事に加え、下の子の性別が上の子と異なると尚更、いわゆる「上の子 可愛くない症候群」にもなっていたのではないかと思うのです。

虐待する前に「手放す」という選択肢もあるのに、何故こんな結果を迎えなければならないのか。


2018年2月、元宝塚月組トップスターの瀬名じゅんさんが特別養子縁組で母親になりました。
もしかするとこれから様々な親子の問題が出てくるのかも知れませんが、実の親に恵まれないというハードモードで人生がスタートした筈の子どもは、まさかのセレブ生活で再スタートをきったというのに、
実の母親の元で暮らしていても、こんな最期を迎える子もいる。


熊本県の慈恵病院が設置している「こうのとりのゆりかご」には物心ついてから預けられる子もいるのだと、以前放送したNHKクローズアップ現代」で知りました。

大人がこうしたセーフティネットを利用していれば、あの子には違う人生が開けていただろうのに。

新宿区のコインロッカーに赤ちゃんの遺体を捨てた母親にも言える事ですが、匿名のまま子どもを受け取ってくれ、捨てる親を責めない「こうのとりのゆりかご」の公的施設が各地にあれば、このような結末は少しは減らせるのかも知れません。

ですがきっと、それでは虐待はなくならない。


目黒区の虐待死の事件を受けて、カンニング竹山さんの6月7日のツイートが多数の共感を呼んでいます。

「こんな悲しい事があっていいのかよ!ダメだろ!絶対ダメだろ!あってはならん事だが親はもう無理なら言ってくれ!わけのわからん虐待するくらいなら俺が引き取って育てるから。。。と思ってしまう。 あぁ〜、せつない、悲しい、親ブン殴りに行きたい。」

大いに賛同しつつ、考えてしまいます。

「もう無理」だと思いながら、綱渡りの育児をしている人はどれくらいいるのだろうか。

殴り、冷水を浴びせるような育児をしている人は、自分の行いが異常だと気が付いているのだろうか。

そもそも私はこの親を批判できる程「正しい育児」をしているのだろうか。


あまりにも切なくて悲しくて、私もこの親を殴りたいし、自分が何をしたのか自覚させる為にも逮捕された親には亡くなった子と同じ目に遭わせてやりたい。

でもそう言えるほど、私も立派な育児をしている訳ではない。

上の子の体重は平均よりも大幅に下回っている。
昼寝もしていないのに夜10時まで起きている事もある。
栄養バランスを考えた食事よりも、食べてくれそうな料理を優先させてしまう。
あまり食べてくれない時には何故食べないのかと怒った事がある。

何より、下の1歳男児の方が可愛く思え、5歳女児にだけ厳しい事を言う「上の子 可愛くない症候群」に私自身が陥っている自覚がある。

今回逮捕された母親と私に、どれ程の違いがあるのだろう。


どんな扱いを受けても、子どもにとっては親が世界の全て。

どんな扱いをしても、子どもは絶対に自分を好きでいてくれる。

こんな状態では自身が間違った育児をしていても、間違っていると自覚する事自体が難しいと思うのです。

早朝からのひらがな練習だって、子どもの為を思った早期教育だったのかも知れない。

それは習い事の強制とさほど変わらない気持ちだったのではないか。


こうのとりのゆりかご」のような施設が近くにあっても、自分の育児が間違いだと自覚しない限り、虐待している人は自分から子どもを手放すことはないだろう。

適切な施設に子どもを預ける事が出来た人の方こそ子どもの将来を考え、愛していると言えるのかも知れないのに、きっと周囲はそうは見ない。

外聞の為に手元に置いておきたいだけなのに、人はそれを愛や情だと錯覚する。

虐待する親から強制的に引き離すには決定打となる事件が起こらない限り、児童相談所にも警察にも権限がないらしい。
それは法律が「親元が一番」だという性善説に基づいているからなのか。
せっかく保護されてもその度に親元に戻され、結果、5歳の女の子は亡くなってしまった。


実の親でなくても愛情は注げる。

適切な養父母に出会えていれば、あの子は痛い事も苦しい事もずっと少なく成長できただろう。


どうすれば虐待している人は自分の育児が間違っていると気付けるのか。

(それとも、間違えていると自覚しつつ虐待を行っているのだろうか)

そもそも私の育児は正しいのか。

あなたの育児は間違っていると指摘された時に、私は納得して子どもを手離せるのだろうか。

私の育児は愛なのか、義務感からなのか、世間体の為なのか。

子どもたちは私が母で良かったのか。


悲しいニュースを前にして、そんな疑問がぐるぐると頭を巡り、
…気持ちが悪くなった。