xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

産後のご褒美!

最後の出産から三年が経過し、妊娠中の事はおぼろ気になってきた私ですが、下記の記事を読んで、猛烈に嬉しかった産後のご褒美を思い出しました。


「出産したら〇〇してみたい」をリサーチ!妊娠中の制約がなくなったら、やりたいことは何?
https://st.benesse.ne.jp/ninshin/content/?id=64585

ラクな姿勢でゆっくり眠る、走る、自転車に乗るなど妊娠前は、ごく普通にしていたことでも『産後の夢』になるくらい、妊娠中は身体が重く、しんどい思いに悩まされがちです。

当たり前の事が当たり前に出来なくなる。食べ物も制限され、常に水中ウォーキングをしているかのような息のし難さ。何より自分がひとたび転んだだけで子どもが死んでしまうかのような、あの緊張感。女性だけにのし掛かるこの大変さを男性にも理解して貰う事はなかなか大変な事です。

私は夫とは職場結婚なので、夫が勤務する会社には多数の知り合いがいます。在職当時の部署のおかげか、所属していた部署以外にも私の事を知っている人は未だ多く、時には退職した人からも連絡が入ります。
部長職で退職した男性が暇をもて余したのか夫にメールして来るので、夫がその人の愚痴の相手を私に任せるべく、私とその元部長は夫公認のメル友になりました。在職当時、私もその部長とは日常会話をする程度には親しかったので、その事は苦にはなりませんでしたが、ある時の返信には強い憤りを覚えました。
もう手元に記録が無いのでうろ覚えですが、私が一人目の産後に送ったメール、

「うつ伏せに寝っ転がれるってサイコー!!!」

に対し、

「は?笑 意味わからん」

と返信が来たのです。


そうでしょう、そうですとも。
あなたは男性だからこの解放感が分からなかったですね!!!!

怒りのあまり、その人から夫経由で出産祝が届くまで「新生児の世話は大変だから」と、その人から来たメールにはしばらく何の返信もしないでおきました。

妊婦は様々な制約を受けます。以前、何かのヤフー記事に寄せられたコメントにこのようなものがありました。


「加熱不十分の肉も刺身も卵かけご飯もナチュラルチーズも生ハムもダメ!全部火を通しましょう!
アルコールもタバコもカフェインも控えましょう、辛いものも控えましょう、寿司で食べていいのはかっぱ巻きカンピョウ巻きといなりだけ!
塩分控えめ、糖分控えめ、水分鉄分カルシウムにタンパク質、葉酸とれ!!!」

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食べるものだけでもこれだけの制限を受け、着る服も限られ、行動も自重するよう促され、自宅でも好きな体勢でくつろげない。
布団の中で寝転がって本を読む事が好きだった私が何ヵ月もうつ伏せになれない事はかなりの苦行でした。

第一子出産後、入院部屋に戻り(誘発出産だったので前日から入院していた)赤子が寝ている隙に自分もベッドに横になり、知り合いに出産報告をしようとスマホをいじろうとして、ああ、これからは好きな体勢で横になれるのだと気が付き、枕を胸の下に入れてうつ伏せになったあの瞬間。ずっとこわばっていた背骨が伸びて、とても清々しい気分になりました。
どちらかと言うと妊娠中はふんぞり返るような姿勢で歩いていたと思っていましたが、それでもあまり背骨は伸びていなかったのでしょう。後陣痛で体内でぎゅんぎゅん痛む子宮の存在を感じながら、ああ、私は出産をやり遂げたのだと再び充足感を覚えたものです。

妊娠中はとにかく「普通の事」が恋しくなります。特につわりが長く続いている方はとても大変だと思います。
産後は産後で色々痛み、痛い中で赤ちゃんのお世話をしなければならず大変ですが、つわりだけは止まります。いま大変な思いをしている方、出産すればつわりだけは止まりますので、どうか今しばらくご辛抱下さい。
そして改めて思うのです。帝王切開の方は、会陰切開を受けた私なんかよりもずっと長い期間も痛むのに、世間からあれこれ言われているだなんて理不尽だなと。
どうぞ皆さん、ご自愛下さい。

男の子の親になるということ 3

子どもの性教育は、「性がエロになる前に」。以前そんな事を書いたような気がしますが、まさに今、我が家にはそのタイミングがやって来たのだと思いました。
3才の息子が、上の子である娘のリカちゃん人形でこっそり遊んでいた時の事です。息子がリカちゃんのスカートの中身を気にしている事に気付きました。
基本的に幼児は下ネタが好きだと思います。例えば幼稚園児の娘のクラスでは、女の子が「カンチョー!」と言って男女問わず様々な子のお尻に人差し指を突き差して来るそうです。それは純粋に人体への興味が高じたもので、皆が笑ってくれるからこその遊びになっているのだろうなと私は思っています。娘もリカちゃんのスカートをペロンとめくる事はするので、息子のその行動も「人形の構造」に興味があるのだろうなと最初は思っていました。
「ここの中はどうなっているの?」とリカちゃん人形の下着を指差しながら息子が訊くので、私は「こうなっているんだよ」と下着をずらして胴体パーツと脚パーツの結合部分を息子に見せてやりました。それで満足すると思いきや、今度は照れ臭そうに人形の胸部を指差し、こっちはどうなっているのかと息子は訊いてきました。
あれ、これはもしかして人形の構造への興味ではなく、女体への興味だったのかなと私はその段になってようやく気が付きました。
息子は普段、私と一緒に入浴しています。娘は夫と入浴しており、入浴前には私や息子のいるリビングで殆どの衣類を脱いで行きます。また普段の着替えも娘は息子の前で行っているので、息子は女の裸など見慣れていると思っていました。しかしリカちゃん人形に対する反応から、息子は家族以外の女性の身体へは、特別な興味が現れたのかも知れません。

その時に私の脳裏によぎったのは、幼稚園児同士でも性的虐待は発生する、というニュースでした。


子どもの性的な問題行動 子どもたちに一体何が
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/12/1216.html

「これは、子ども同士で行われた事例です。
『パンツの中に手を入れられ、性器を触られた』『自らの性器をなめるように言った』。
こうした衝撃的な報告が、今、全国各地から上がっています。」

幼稚園児の男の子は、同級生の女の子に対し、既に性的な気持ちで接触する事がある。息子は上の子のごっこ遊びを通してリカちゃん人形を「女の子(たぶん年上のお姉さん)」として認識している。ならばリカちゃん人形の下着を指差しての「ここの中はどうなっているの?」は、性的な気持ちからの興味だったのだろうと思いました。
余談ですが、幼稚園の未就園児教室に息子を連れて行くと、息子はお友だちよりもママさんの方に興味を持ちます。特に綺麗で若いママさんが来ると一生懸命に話しかけ、自分に興味を持って貰おうと玩具を持って行く等のアピールをします。未就園児教室の女の子たちには目もくれず、娘の同級生たちの輪に入り遊びます。息子が普段接しているのも母である私と姉である上の子なので、自分をちやほやしてくれる年上の女性が息子の好みになっているのかも知れません。

さて、息子がリカちゃん人形に対しそのような興味を持ったのであれば、それに合わせた対応をしなければなりません。私の性教育のモットーは、「性がエロになる前に」。私は下記の記事のような母親になるつもりはありません。


守り育てた自慢の息子が一転、反抗し性的なサイトも…「以前に戻したい」と願う母親の“痛み”
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20200123-OYTET50013/

A君は中学2年生の男の子です。

 小学校入学前は体が小さく、熱を出したり、おなかをこわしたり、風邪をひいたりすることもしょっちゅうでした。母親が細心の健康管理を行いながら、大切に、大切に育てられていました。毎日、息子が喜んで食べるメニューを一生懸命に考え、食材にも工夫をこらしました。身に着けるものも、常に肌に良い布地のものを探し、就寝時のマットレスや布団にも徹底的にこだわって、しっかりと熟睡できるように心がけてきました。

(中略)

 ところが、中学に入ると、A君は大きく変わりました。

(中略)

 母親が何かを伝えに部屋に入ると、「うるさい!」「放っておいてくれ」と声を荒らげ、決して言うことをきかなくなってしまったそうです。

 また母親は、パソコンの履歴を調べたところ性的な内容を含むサイトを見ていることを言いにくそうに付け加えました。

 思春期に入り、ひげが生えて、体も大きくなったA君が、相変わらず幼い子どものままでいることを、母親は当然と思っているようでした。

息子が健全に育つ為には、性への興味も、誰も不幸にしない方向に持って行ってやらねばなりません。
もう一度、息子がリカちゃん人形の下着に興味を示した時に、私はリカちゃん人形用の声色で答えました。
「○○くん、いきなりスカートをめくるんじゃなくて、『スカートをめくっても良いですか?』って私に訊いて?」

息子は律儀に「スカートをめくっても良いですか?」とリカちゃん人形に質問してきたので、すかさず

「嫌よ。ここは将来、赤ちゃんを産む大切な場所なんだから、簡単には見せてあげないわよ。
 私が『嫌』って言った時に止めてくれないと、○○くんの事を嫌いになっちゃうわよ」

男女交際の経験が少ない私にはこれが精一杯でした。
幼児への性教育は自分を大切にし、相手を大切にする気持ちを教える事から始めると良いと見聞きした事があります。加害側になりがちな男性である息子には、まずは女性(リカちゃん)の意思を尊重する事を教えていこうと思います。

幼児同士の性的虐待は、している側の加害意識も、されている側も被害意識も認識されにくいものなのだそうです。性は敬遠するものではなく、自分の大切な一部です。性との適切な関係を子どもたちが築けるよう、親として考えていかなければならないなと思いました。

子どもの口がくさい

幼稚園児の上の子の口臭が気になったので、口臭予防のタブレットやスプレー、グミ等をあれこれ購入した事があります。
下の子の口は特段何もしていなくても少し甘くて良い匂いがするのに、どうして上の子の口はこんなにも臭うのだろう。上の子は女の子なので身だしなみには特に気を付けなければ。しかし上の子はまだ幼稚園児なので、それを気を付けてやるは母親である私の役目だと思いました。
幼稚園での歯科健診で常に「虫歯なし」の診断を受けてきた上の子の口臭の原因は、消化が遅く少食な事から考えると、胃からの臭いなのだろうと予測されました。結局のところ上の子はミント等の味を辛く感じてしまい私が用意した様々な口臭対策グッズは口に出来なかったので、今は登園前に普通の甘いキャンディを食べさせる事で口臭を誤魔化しています。

そんな日々が続いてからしばらくして、ある事に気が付きました。下の子の口もいつの間にか臭うようになったのです。原因として思い当たったのは、下の子の卒乳でした。下の子の口が臭うなと私が感じるようになったのは、下の子が母乳を飲まなくなってからだったのです。ならば上の子の口臭も、もしかしたら原因は胃腸の弱さとは別にあったのかも知れません。
下の子の時には私の母乳はどんどん分泌されたので、ほぼ完全母乳でした。寝かしつけは添い乳で、夜間の授乳も一度も起き上がる事なく、二人とも寝転がったまま行っていました。とても便利な母乳でしたが、夜間の授乳は虫歯のリスクがあると聞いたことがあり、それが気がかりで早く卒乳させなければと下の子が2才を過ぎた頃から内心で焦っていました。しかし今から思うとその焦りは実は無用で、どうやら下記の記事にあるように、実は母乳自体は虫歯の原因になる訳ではなかったようです。

1歳を過ぎたら夜間の授乳はやめたほうがいいの?…虫歯リスクと母乳のメリット
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20191227-OYTET50007/

十分な口腔ケアさえしていれば母乳は虫歯の原因にはならない。むしろ夜間の授乳は口臭予防になるのではないかと個人的に思います。


ウェブサーフィンをしていると、見ている記事から予測しているのか、私のスマホには子どもに関する広告が頻繁に現れます。その中には子どもの口臭に効きそうな商品もありました。

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子ども向けの商品では、身長を伸ばすサプリメントや衣類の通信販売、タブレット学習の広告に次いで、子どもの口臭対策のものが私のスマホには表示されます。こんなにも様々な子ども向けサプリメント等があるのは、それだけ世の親御さんのニーズがあるのだろうと思うのですが、しかし、こうした商品はいつからこんなにも台頭したのでしょうか。

私の子どもたちに口臭があるのですから、もしかしたら子どもだった頃の私もそうだったのではないかと思うのです。授乳期を過ぎた年齢の他のお子さんと口臭が確認できる程の距離で接する事があまり無い為、確かな事ではありませんが、子どもの口臭など実は気にする方がナンセンスなくらい、子ども同士では普通の事なのかも知れません。
こんなにも公衆衛生を気にする時代より以前には、口臭なんて生きていれば当たり前と考えられていた頃もあったのではないかと思うのです。子ども用の口臭対策の商品が世に出回るようになったのは、ひとえに、大人自身が気にする世の中になったからなのではないでしょうか。

大人の物差しで考えるから、大人は子どもの口臭が気になり、その対策グッズを探し、手に入れようとする。商品を売り込む側は沢山購入して欲しいので、購入者である大人の不安を煽る。しかし、当の子ども本人は気にしていないので、そもそもそれらを必要だとも感じていないのが実状なのではないでしょうか。
無論、臭いというものは自覚が難しく、他者から指摘されて初めて気が付くものだろうと思います。子どもがお友だちから「○○ちゃんのお口、くさいよ」と言われ、傷つくのではないかと心配し、そう言われないように私は先回りしている訳ですが、実は子どもたちはお互いの口臭など最初から「皆に有るもの」として、気にもしていないのではと、ふと気付いたのです。
私の考えが正しくて、子どもには口臭が普通にあるのであれば、広告にあるような「くち、クサい」などとお友だちから我が子だけが言われる謂れはなくなります。もしかしたら私たち大人は、我が子がお友だちから実際に言われてから初めて行動した方が賢明なのかも知れません。
我が子が自覚する前から先回りして不安の芽を親が摘んでしまうのは、子どもの経験値になりません。それでは子ども本人は、親がいなくては何も出来ない大人になってしまうおそれがあります。
「親」という字は、木に立って見ていると書きます。授乳期のような常に寄り添う時期を過ぎた今、子どもの成長の為にも私は、子どもから距離を開ける必要があるのかも知れません。

転ばぬ先の杖

先日、出産の途中で亡くなったというアメリカの女性の記事を読みました。

代理母の米女性、出産の途中で死亡 自身の子ども2人残して
https://www.cnn.co.jp/usa/35148258.html


彼女には自身の子が二人いましたが、ほかの夫婦が子どもを持つ手助けがしたいという思いから代理母になったそうです。記事では既に一度、同じ一家の代理母になっていたとありますので、今回のお産は彼女にとっておそらく四度目のものだったのでしょう。
四度目の出産とは言え、お産はその都度異なるものです。これまでが安産だったとしても、次もそうなる保証はどこにもありません。やはり出産は命がけなのです。

実は私は二人目の子を産む直前に、遺影に使えそうな写真を撮影した事があります。家族三人の最後の記念と、二人目の出産中に私の身に万一の事が起きた時の為でした。
子どもの写真は様々にあるのですが、主にカメラを使うのは私なので、私を撮影した写真は我が家にはあまりありません。夫が子どもを撮る時に私ごと撮影してくれる事もあるのですが、何故かそういう時に写る私は大抵が半目になっているので、カメラチェックをした時にこっそりデータを削除していました。
一人目のお産の時には何とか無事だった。けれど、二人目の時にもそうなるだろうかと思った時に、遺影に使えそうな写真は必要かも知れないなと思ったのです。自分でも満足のいく写真が残せたので、安心して出産に臨む事が出来ました。

私と同じような方の記事も見つけました。


「2人で遺影用の写真撮りに行かない?」 不測の事態に備えた言葉に夫の表情が……
https://otakei.otakuma.net/archives/2019121101.html

「旦那が明日死んだらどうしよう。
ここんとこ全然旦那の写真撮ってないんだわ。遺影に使えそうなの何にもない。
多分私の写真もないから、私が死んだら旦那も困るはずだ。

私が『ちょっと、明日2人で遺影用の写真撮りに行かない?』って言ったら、旦那がまるで殺人鬼を観る様な目で私を見て来た」

遺影を撮影するだなんて縁起でもない事かも知れません。けれど、いざ事が起きた時にはこの気遣いはとてもありがたいものだとご主人も気付いてくれるものと思います。

人生は何が起きるか分かりません。いま健康でも幼稚園の送迎途中に交通事故に巻き込まれる可能性だって皆無ではありません。万が一の時の為にも、子どもの写真だけでなく、自分たちの写真も積極的に残しておかなければと思います。また、更に気掛かりなのは私たちの親の写真です。夫の両親とは子どもたちの誕生祝いの際に集合写真を撮影しているので万が一の時にも何とかなりそうなのですが、私の両親を撮影する機会はなかなか得られません。
四月に上の子が小学校入学、下の子が幼稚園に入園なのでそれを切っ掛けに撮影しようにも、私の両親にとっては名字の異なる孫なので、これまでと同じように夫両親に遠慮して一緒には写ってくれないような気もします。正直に遺影用だと言えれば良いのですが、なかなか言い出せず、どうしたものかと手をこまねいているのが現状です。
そもそも私自身の写真も撮影したのは既に三年前なので、葬儀に来てくれた人には「若い頃の写真を使ったのね」と笑われてしまうかも知れません。いざという時の為に誰かが困らないよう、せめて自分たちの写真も積極的に遺しておこうと思います。

準備はOK?

自分が過保護だとの自覚はしています。だからこそ上の子がこれから飛び込む4月からの小学校生活が心配でなりません。ここしばらくは入学してから上の子が戸惑わないよう、小学校ではこうなんだよ、こういう事があるんだよと折を見てあれこれ教えています。
トイレは自分が行きたいタイミングではなく、休み時間の時に行くんだよ、と教えつつ、学校が和式トイレである事は文化祭で確認済みだったので、子どもには近隣の商業施設の和式トイレで練習もさせています。
また映像で分かりやすく教えられたら良いなと、幾つかのテレビ番組も録画して見せています。Eテレで放送された「JAPANGLE」の学校の回は小学校の一日の流れを見せてくれ、私の時と今とで大差はないなと私の方が安心してしまいました。ドラマ「おいしい給食」(テレビ神奈川TOKYO MX、BS12ほか)は子ども本人も喜んで何度も繰り返し見ています。給食に情熱を燃やす男性教師の主人公と、同じく給食をいかに堪能するかにこだわる男子生徒の攻防を描いた学園グルメコメディのこの作品は、給食を苦手とする我が子の心のハードルをずいぶんと低くしてくれているのではないかと期待しています。特に第3話「4番、サード、ソフトめん」の回は、最初は塊のままのソフト麺をいかにソースをこぼさず、かつ余らせずに混ぜて食べるかが描かれており、これは素晴らしい教材だと思いました。ソフト麺が今でもあるのかは分かりませんが。

幼稚園から配付された子育て情報誌によると、立って着替える練習もしておいた方が良いと書かれていました。自分はそれらに戸惑った記憶は残っていませんでしたが、確かに学校では床に座って着替えていた子はいなかったなと思い出し、着替えの度に子どもに教えるようにしました。
あとは何か見落としはないか、今から出来る練習はないかと、先々の心配が止まりません。そしてとうとう、とんでもない見落としが発覚してしましました。

実は先日、私と下の子がインフルエンザになってしまったのですが、薬を処方する為に体重計に乗るよう言われたのです。それは子ども用にという意味で、大人は自己申告で良かったらしいのですが、我が家の体重計は数年前に壊れてしまい、ここしばらく私は自分の体重を把握していませんでした。その為、私も計測してみたのです。
そして明らかになったのは、二人目の産後の体重と比較して、10kgも増えていたという事実…!
私の二人目の産後というのは、上の子の幼稚園入園の時期という事でもあります。つまり、上の子の卒園式と入学式、下の子の入園式に着ようと思っていたフォーマルウェアが入らないかも知れないのです。

ああだ、こうだと偉そうな事を言っておきながら自分自身の準備こそ怠っていただなんて、子どもには秘密です。最初の決戦日、上の子の卒園式までに何とかしなければと決意した次第です。

いつかの未来の為に

私には子どもが二人いて、下の子は3才になりました。下の子は今年4月に幼稚園に入園予定で、育児としては大きな節目を迎えます。それでも、子どもたちが赤ちゃんの頃を思い出すと、下記の記事の先輩ママさんのような方が身近にいたならどれだけ自分は救われただろうかと思い、この方の新米ママさんを想う優しさに感涙してしまいました。


2人目出産で大部屋に入院。初産のピカピカ新人ママに、自分のダラダラ育児っぷりをわざとアピールした理由
https://select.mamastar.jp/362288


作中の
「今でこそ子育ては程よい手抜きがとっても大事だってわかっているけれど」
「ピカピカの新人ママさんたちはそれを知るのはきっとこれから」
という部分で私は目頭が熱くなりました。
本当に、いま思うと何故あんなにも私は一人目育児の時に肩肘を張っていたのだろうかと思うのです。どのくらい張っていたのかというと、入院していた7日の間、一度も産院で入浴をしなかった程でした。
入浴と言っても一ヶ月健診が終わるまではどのみち自宅でもシャワーしか浴びられないのですが、そのシャワーを一度も浴びずに私は退院しました。
その産院ではシャワー室の扉に予約表が貼付されており、各自で希望の時間帯の枠に記名して利用の予約をする事になっていました。シャワー利用中は勿論ナースステーションに赤ちゃんを預けます。

看護師さんたちも忙しそうだし、産後すぐと入院二日目あたりでホットタオルで清拭して貰えていたし、そもそも誘発出産だったので入院直前に自宅で入浴を済ませていたし、新生児はいつ泣き出すか分からないので予約した時間に赤ちゃんから離れられるとは限らないし、私は髪の量が多いので乾かすのに時間がかかり面倒くさいのと、次の人の予約時間まで食い込んだなら他の方に申し訳ないなという気持ちがありました。私は実母の匂いが好きだったので、我が子にも私の匂いに慣れて貰おうと思ったのもありますが、私が我が子から離れがたかったというのがおそらく最大の理由です。こんなにも小さな赤ちゃんを放置してまで自分の身支度などという、大したことの無い用事を優先する必要があるとは私には思えなかったのです。

二人目の子の時には上の子の時と同じ産院で出産したので、どこにどのような設備があるのかも知っており、オムツ交換や着替えをさせるのにも慣れていたので心身ともに余裕があった為、入院中にシャワーを浴びた上、これから頂くであろう出産祝いの返礼に同封する礼状を赤ちゃんが寝ている間に書き貯めておく事すらしました。この時に使用した便箋は入院セットと一緒に自前で持ち込んだものです。一人目の時の経験から、一番集中して手紙をしたためられるのは入院期間中に他ならないと分かっていた為です。
私も記事の方と同じように大部屋に入院したので、同室の初産ママの鬼気迫る様に老婆心が疼きました。そして、自分も一人目の時にはきっとこうだったのだろうなと切なくなったものです。しかし、それは本人が気付かなければ、誰がアドバイスした所でなかなか届くものでも無いと思ったので、私は記事のママさんのように新米ママさんのお手本になろうとはせず、あくまでマイペースで過ごしました。

私が出産した産院は母子同室だった事もあり、育児トレーニングルームというものがありました。授乳の際には母親は入院部屋から赤ちゃんを連れてその部屋に移動します。トレーニングルームに入室するとオムツ交換台でオムツを確認、必要なら交換し、赤ちゃんの体重を計測してから長椅子に移動して授乳、授乳後に再度赤ちゃんの体重を計測し、退室する流れになっていました(計測は任意なので、特段しなくても構わない)。
一人目の時には授乳の終わり時が分からなかったので、私は赤ちゃんが乳首を離してくれるまで吸わせ続けました。赤ちゃんが寝たらそっと自分の入院部屋に連れて帰るのですが、何故か入院部屋に戻ると赤ちゃんは泣き出す。就寝している他の親子の睡眠を邪魔してはいけないと、我が子を泣き止ませる為にまた授乳をしに育児トレーニングルームに移動し、という事をその夜は何回か繰り返し、赤ちゃんを寝せるにはこのままトレーニングルームに居るしかないと判断、一夜の殆どの時間をその部屋で赤ちゃんを抱っこしたまま過ごしました。
「昨夜からずっとこの部屋に居るでしょ。そんなに頑張らなくても良いのよ」
明け方頃に看護師さんにそんな声を掛けられましたが、「頑張らなくても良い」の意味が当時の私には分かりませんでした。母親になったのだから、徹夜での授乳なんて当たり前。赤ちゃんが乳首を離さないのだから、赤ちゃんが満足するまで授乳するのが母親の勤め。そう思い込んでいたので、きっと看護師さんや二人目以降のママには私の姿は痛々しく映っていたかと思います。

せっかく授かった赤ちゃんを育てようと張り切っている時に手の抜きどころを誰かに教えられても「母親とはこうあるべき」という常識にとらわれて、なかなか実践できるものではないと思います。記事のママさんが演じた「適当なママ」の姿を見たピカピカの新米ママさんは、彼女の「育児に不真面目な姿」を見てどう思ったかは分かりません。しかし、すぐには理解できなくても、育児が一息つけるようになった頃に彼女の姿を思い出したなら、もしかしたらその行動の真意が分かる人もいるのではないかと期待します。密室育児やワンオペ育児だったりした場合は本当に、適度に手を抜かなければ、いつノイローゼか虐待に繋がってもおかしくないのです。ですがそれはおそらく、自分の理想の育児が一度崩れてからでないと痛感できないのです。

二人の子どもを幼稚園児にまで育てた今ならば、私も赤ちゃん育児の手の抜きどころが分かります。少しくらいならば泣かせていても大丈夫だし、赤ちゃんが乳首を離してくれないならば私の指を赤ちゃんの口に差し込んで離させれば良いし、自分が疲労を感じたならばナースステーションに赤ちゃんを預けて二時間くらい眠れば良かったし、入院中もシャワーを浴びてリフレッシュすれば良かったのです。
下の子はよく飲んでよく眠る子だったのでお世話はそもそもが楽でしたが、一人目を張り切ってお世話したからこそ、私はようやく緩急のつけ方が分かるようになったのです。子どもは四角四面にきっちりと育てなくても、それなりに大きくなるものです。納豆は野菜であり、たんぱく源。餃子は完全食なのです。

しかしそれでも先日Eテレで放送したミニアニメ「おちゃめなシモン」にて、夕食前に子ども二人をベビーシッターに任せ、両親が夜に上映する映画を観に行ってしまった話には衝撃を受けました。映画館が近くに無いせいか、観たければテレビ放送を待つかDVDを借りるか程度にしか映画に興味がない私にとって、子どもを置いていってまで映画を観に行こうとするシモンの両親が信じられませんでした。でもそれらを「信じられない」と拒否するからこそ、これまで当たり前に出来ていた事が出来なくなるからと子育てへの難易度が上がり、子どもを持とうとする人たちが減っているのではないかとも敷衍するのです。

「死なせない育児」が提唱されるなど、少しずつ育児の「こうあるべき」論はハードルが低くなってきたように思います。けれど周囲も同じ温度でいてくれなければ手抜きだ虐待だと非難され、インターネット上では共感されても、現実世界では肩身の狭い思いをする人も出てくるでしょう。
これから新米ママになる方が少しでも楽しく育児が出来るように、まずは私が、子どもを誰かに預けて夫婦で夜にデートしたって良いじゃない、という気になろうと思います。日本ではまだまだ慣れない感覚だろうとは思いますし、私自身は夫と二人で出掛けるよりも子どもたちも一緒の方が楽しいのでそれを実行しようとはまだ思えませんが、私の子どもが子を持つ頃には、子育て世代を取り巻く人々の常識がそうなっていれば良いなと思います。孫を抱きながら、夫婦でデートに出掛ける息子の後ろ姿を気持ちよく見送るお婆ちゃんに私がなる頃には、理想の育児につまずいて泣くママさんが今よりもずっと減る事を願ってやみません。

男の子育児の面白さ

先月、我が家の上の子(幼稚園の年長)の学習発表会が開かれました。我が子の園では学年ごとの歌の発表の他、ダンスがやりたい子はダンスを、劇がやりたい子は劇をと、それぞれ分かれて発表する事になっています。ダンスは更に男女に分かれて、劇を希望の子たちは男女混合でひとつの劇を演じます。しかし今年度はこれまで私が見てきた二度の発表会とは異なる点がありました。
演目は順番こそ違いますが、これまでは年長男子のダンス、年長女子のダンス、年長の劇、年中男子のダンス、年中女子のダンス、年中の劇、年少男子のダンス、年少女子のダンスとなっていました。(年少は劇は行いません)
しかし、今年度の年少さんはクラスごとの、男女混合でのダンスだったのです。

他のママさんに聞いたところ、今年度の年少さんは男子がとても少ないので、例年通り男女に分けてしまうと、女子のダンスの時には人数が多いので窮屈になり、男子のダンスの時にはステージにまばらに立つ事になり寂しいものになってしまうので、クラスごとにしたらしいとの事でした。
他の学年の事だったのでこれまで私は気付かなかったのですが、改めて見てみると我が子がいる年長クラスは男女比が同じくらいなのに対し、年少クラスは圧倒的に女子率が高かったのです。

厚生労働省の人口動態調査による出生時男女比は、女性100に対し男性は概ね105前後で推移していると聞いた事があります。Y染色体はX染色体と比べると女性器の酸に弱い性質があるそうですが、その代わりに動きが素早い為、男児の方が産まれやすい傾向にあるのかも知れません。にも関わらず今年度の幾つかある年少クラスは、いずれも女子が多くを占めていました。

昨今は子どもを持つなら女の子を、という風潮になっているらしいと下記の記事で知りました。


「え、女の子が欲しい!?」女児を望む風潮はいつから始まった?
https://limo.media/articles/-/14979

それでは、子を望む男女が「できれば女の子の方が欲しい」と思うようになったのはいつ頃からだったのでしょう。国立社会保障・人口問題研究所の『現代日本の結婚と出産―第15回出征動向基本調査(独身者調査ならびに夫婦調査)報告書』によると、1990年代に入り、女の子を望む夫婦の割合が増えたことがわかります。

その後、30年近く経つ現在でもその傾向は続いており、同調査の中にある「調査別にみた、夫婦の理想子ども数別子どもの性別組み合わせ」によると、1人の子どもを望む夫婦は、30.2%が男の子を、69.8%が女の子を望むという結果に。圧倒的に女の子が好まれる傾向があることがわかります。

かつては跡取りの為に男児を産むようお嫁さんたちはプレッシャーをかけられており、私自身も上の子(娘)を産んだ時には義母から「女の子じゃ墓は継げない」と言われたものです。今でもそうした傾向は残っているとは思いますが、しかし実際に産み育てる立場である夫婦の7割は女児を望んでいるというのです。
もちろん子どもは授かりものなので男女どちらが産まれるかの操作は容易ではありませんが、産み分けに挑戦した事が私自身にある為、もしかして我が子の園の今年度の年少クラスの親御さんは、女児が産まれるよう調整した人が多いのでは…などと考えてしまいました。
近隣に幼稚園が他に一つ、保育園が三つあるので、我が子の幼稚園に女児が片寄ったのは本当に偶然だとは思いますが、そう思いたくなる程、年少クラスの男女比の片寄りは大きいものでした。

我が子が通う幼稚園では、学習発表会で様々なドレスを女の子たちは着用しますが、親が用意する衣装は自分の子のタイツだけです。いつの頃の親御さんか先生が用意したのかは不明ですが、実に様々な衣装が園で保管されているそうで、子どもたちのサイズと演目を考慮した衣装がその中から選択され、毎年様々なドレスがお目見えします(一昨年ダンスで使われたドレスを今年は劇で蝶々役の子が着用、といった使い回しをしています)。今回の学習発表会でも女子はダンスなら全員が同じデザインのドレスを、劇なら役割の雰囲気に合うドレスを着用し、とても華やかでした。運動会の鼓笛演奏の時もバトンやポンポンは女子の役であり、専用の衣装でとても可愛らしかったです。一方で男子は劇に出演する子には衣装はありますが、ダンスの子は普段制服の下に着用している白ポロシャツの上からスカーフを巻いたりボレロ(これも園に何種類かある)を羽織ったりする程度で、さほど代わり映えはしませんでした。
衣料品店でも女児の衣類は色が華やかで形も種類も様々にあるので選ぶ楽しみと着せる楽しみがあるのに対し、男児の衣類にはあまりデザインの幅がありません。女性が育てるのならば、あれこれ選べる女児の方が楽しいので、そういった意味でも子どもを産むなら女の子を希望する方が多くなるのは当然の流れなのかも知れません。
それでも、男の子の可愛さには格別なものがあります。幼稚園年少の頃には宇宙語を話していた娘の同級生の男子たちは、年長になった今、劇の台詞を堂々と話し、とても凛々しいダンスを披露してくれました。彼らが年少だった頃の年少男子のダンスは、誰が正しい振り付けで踊っているのかすら分からないものでしたが、それを覚えていたからこそ、私は自分の娘の演技そっちのけで彼らの成長ぶりに感涙してしまいました。

今年度の我が子の幼稚園の学習発表会の年少さんは、男女混合のダンスでした。女子は振り付けや立ち位置を覚える事が早いのか女子のパートではミスらしいミスに私は気付きませんでしたが、男子は途中で踊るのを止めてしまったり、立つ位置がずれていたり、脱走してしまったり、違う振り付けを始めてしまったりと色々な子がいました。彼らの親御さんは子息の失敗に赤面したかもしれませんが、観ている側としてはそれはそれで子どもらしくて微笑ましいと思いました。しかし本当の楽しみは二年後、彼らが年長になった時です。見違えるほど化ける彼らの成長ぶりに息を呑むがいい――
男の子の成長の伸びを見守る醍醐味は、女の子育児とは比較しようがないのです。無関係なおばさんが訳知り顔で威張れる程に。