xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

手の届く範囲

先日放送された「ヒーリングっど プリキュア」についての話です。
第30話「キャラがバラバラ?動物園の休日」にて動物園に来た主人公たち。そこで主人公たちは孝太という小学生くらいの男の子に出会い、広い動物園の中を案内して貰う事になります。一行は途中で孝太の父親と合流するのですが、その父親とは主人公たちの担任の先生でした。
本当ならば孝太は自分の友人と一緒にこの動物園に来る予定でしたが、喧嘩をしてしまい、自分たちだけで来たとの事でした。そのまま主人公たちは先生親子と一緒に園内をまわります。すると孝太の友人親子も動物園に来ていて鉢合わせをしました。しかし喧嘩をしている子どもたちはお互いに気まずかったのか、孝太は友人とは合流する事なく、主人公たちを連れてその場を離れます。

男性だって子どもと二人で出かけるべし、という昨今の流れを組み込んだのか、先生親子と、孝太の友人親子のどちらもが父と子の組み合わせでした。もし片方の親子の組み合わせが女親であった場合、意地悪な人がその場面を目撃すれば不倫だなんだと面白おかしく吹聴するかも知れないので、誤解をされない為にも、どちらも父親が連れて来ている事にしたのかも知れません。
しかしこの父親は、今作プリキュアの敵であるビョーゲンズらが登場した時に、女親ではおそらくしないであろう行動に出ます。

「お父さんは残っている人を助けてくる。お前は先に行って待ってろ」

主人公の担任の先生は息子と動物園の出口近くにまで避難して来ると、息子を置いて園内に引き返してしまいます。
責任感が強いのは良い事なのだろうとは思いますが、何故そこで息子を放置してまで他の人の安否を確認しに行ってしまうのでしょうか。今年放送の作品の中でも私は似たような描写を幾つか拝見しました。「ウルトラマンZ」ではナツカワハルキの父親は怪獣災害発生時に他の人を助けに主人公の元を離れて災害現場に向かい、亡くなっています。NHKのドラマ「天使にリクエストを~人生最後の願い~」では、江口洋介さん演じる主人公、島田修悟は、息子の野球の試合の帰りに知り合いの異常な様子を目撃し、自分の子から離れて知り合いを追いかけ、その知り合いが所持していた拳銃を取り上げようと揉み合いになった時に引き金が引かれてしまい、追いかけて来ていた息子があろうことか銃弾の犠牲になってしまいました。
島田はその時の自分の行動理由を「息子に格好良い父親の姿を見せたかった」為だとこぼします。島田は刑事(マル暴)で、ナツカワハルキの父親は消防士。市民の安全を守る仕事をしており、その訓練も受けているので、彼らが家族以外の人々の安否を気にしてしまうのは職業柄、仕方がないのかも知れません。
しかし「ヒーリングっど プリキュア」の主人公たちの担任の先生は細身で、腕力に長けているような印象ではありません。その先生が逃げ遅れた人がいないか園内を見て回ったところで、救助する側や施設管理者側から見れば、その先生こそが「逃げ遅れた人」でしかないのです。怪物が現れたと一般人が知る前に主人公たちは先生親子と分かれた為、先生サイドから見れば自分の教え子たちが無事に避難できたのかも心配だったのかも知れませんが、女親の私からすれば、こんな非常事態だからこそ親は息子の傍にいるべきだと思うのです。
ビョーゲンズの幹部が孝太をメガビョーゲン(怪物)にしようとする展開に持っていく為には父親である先生が息子の元から少し離れる必要があったので、そうせざるを得なかったのかも知れませんが、結果的に怪物になるのはちょうど息子の元に戻ってきて息子を庇った先生の方なので、先生はあのまま孝太と一緒に逃げていれば良かったのにと私は思ってしまうのです。
これが女親であった場合、事態が収まるまで息子から離れる事はしないでしょう。自分の生徒が心配でも、自分の息子が何よりも優先されるべきものだからです。たとえ動物園の出口が目の前で、そこまで息子と避難してきていても、怪物が暴れていては動物園の外ならば安全とは限らないのですから。

「守りたい人を全員守れる訳じゃない。助ける為に手を伸ばそうにも、手の長さには限界がありますしね」

ウルトラマンZ」のナツカワハルキの父親は、誰かを守ろうとした時に、同時に別の誰かは守れないと分かった時にどうするかと問われた際に、このように答えました。

「だから手が届く範囲で自分の信じる正義を、守ると決めた人を全力で守る」

人間の手が届く範囲なんて限られている。だからこそ自分の子から手を離さない。その行動のせいで他の誰かは守れなくても、守ると決めた人、親であれば自分の子を守るのが使命なのです。
もしかしたら男性は、自分の「手が届く範囲」を過大評価しているのかも知れません。それは「男であるならばこうするべき」という育てられ方をしてきた弊害とも言えるのではないでしょうか。だからこそ男としてのあるべき姿を、男親として息子に見せたかったのでしょう。
「天使にリクエストを~人生最後の願い~」の島田修悟は、周囲は何事も起きていない日常だったので、息子を置いて不審な行動をとっていた知人を追いかけました。「ウルトラマンZ」のナツカワハルキの父親は、妻が息子と一緒だったからこそ息子の事は妻に任せて人命救助に向かいました。
ならば「ヒーリングっど プリキュア」の孝太の父親は、非常事態の最中に孝太の事を頼める人がいなかったのですから、自分の生徒を見捨てる事になったとしても、孝太の傍にいるべきだったのです。せめて孝太の友人、秀一の父親と合流できていれば孝太を秀一の父親に任せて園内に戻る事も自然だったでしょう。しかしここで大きな問題が発生します。
動物園の出口までもうすぐだからと一人で先に行くよう自分の父親に言われた孝太は、転んでいた秀一を発見します。あろうことか秀一の父親の姿はそこにありませんでした。
・・・秀一の父親は、息子を置いて自分だけ先に逃げた!!?

喧嘩していた孝太と秀一を仲直りさせる流れにしたいのは分かります。分かりますが、別にそこに秀一の父親がいたって良くはないでしょうか?
いや、秀一の父親が一緒にいたなら転んでいる秀一を助け起こすのは父親がやるだろうから友情の流れにもっていけなかったのでストーリーの都合でそうせざるを得なかったのでしょうが、作中で秀一は孝太よりも足が遅いと判明するので、これではまるで秀一の父親は、足の遅い息子を放置して自分だけ先に逃げたかのように思えてなりませんでした。
自分の息子の手を引いて避難する事は、十分に「手が届く範囲」です。秀一の父親はその使命を全力で守り、息子と手を繋いで避難していれば良かったのにと心から思います。
好意的に解釈すれば秀一が転んでいたのは、まっすぐ進めば出口に行けるまでの場所だったので、秀一の父親もまた、息子と一緒にそこまで避難してから園内に取り残されている人がいないか確認する為に秀一と別行動をとったのかも知れません。しかしそうであったとしても、「手の届く範囲」の判断を誤っている事には違いないのです。
天候が荒れている時に濁流を見に行って流されるのも男性が多い印象ですし、台風の時に田んぼの様子を見に行って犠牲になるのも男性が多い印象を私はもっています。その理由は「男だから」という責任感によるものなのかも知れませんが、「女だからこうあるべし」という考えは女性差別だというのならば、「男だからこうあるべし」という考え方からも私たちはそろそろ解放されても良い頃合なのではないでしょうか。

男なら 誰かの為に強くなれ
女もそうさ 見てるだけじゃはじまらない

ウルトラマンネクサス」でもそう歌われているように、女だって守られているばかりでは駄目なのです。一般的に男性は女性よりも体力があり、身長が高い分、その腕も長いです。だからこそ女性よりも無理が出来ると過信する傾向にあるのかも知れませんが、男だからと何もかも抱え込まずに、自分の社会的な立場を理解し、手の届く範囲の見極めをするべきなのではないでしょうか。


「ヒーリングっど プリキュア」第30話は、他にも引っ掛かる場面がありました。ビョーゲンズが現れたと察知した主人公たちは、「今日はここで失礼します」と、慌ただしく先生親子と分かれます。
昼食を終え、今度はどの動物を見に行こうかという矢先での事だったので、いきなり別行動をとった主人公たちの事を先生親子、特に息子の孝太はどう思ったでしょうか。孝太はささいな事がきっかけで友人である秀一と喧嘩をしてしまい、その事を気にしていました。自分の意識していない言動で気分を害させてしまい、それで主人公たちは別行動をとるようになってしまったのではないかと思ってもおかしくはありません。
幸いにもそうした心理描写を挟む余裕は時間的に無かったのか孝太が自責の念にとらわれる事はありませんでしたが、ビョーゲンズが現れて早くお手当てに行かなければと焦る主人公たちの気持ちも分かりますが、もう少し、友人と喧嘩してナーバスになっている孝太の事を気にかける言い回しには出来なかったのかなと思うのです。