xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

小さい頃にいた神さま

子どもの頃から観ていた作品が、大人になってから改めて観ると見方が変わった、見落としていた点に気が付いた、という経験をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。私にとってはジブリ映画「魔女の宅急便」がそれに当てはまります。
子どもの頃からテレビで放送される度に録画もして観ており、物語の展開も結末も知っている、この作品。何なら私は子どもに、主人公キキの声優さんが作中で他のキャラの声もあてている事や、他にはどんなアニメのキャラクターを演じているかすら説明する事が出来る程度にも知っています。ところが先日久しぶりに観たところ、とある場面で胸を衝かれました。

それはキキが修行に出る事を決めた後の場面。翌週キャンプに行く予定で道具を借りてきたと言う父親を「ごめんなさーい」の一言で軽くいなし、自室で嬉々として旅支度をする主人公。その裏で父親がしていた行動を、私はこれまで殆ど意識した事はありませんでした。

「…ありがとう。じゃ、お待ちしてます」
指で受話器を置くスイッチを押すと、すぐさま別の相手にも電話をかけるキキの父。
「オキノです。今夜、キキが発つ事になりまして…」

そもそもキキの出立はラジオを聴いての思い付きでした。母親への旅立ちの日取りの報告は以下の通り。
「私、決めたの。今夜にするわね」
「だってあなた、昨夜はひと月延ばすって…」
「次の満月が晴れるかどうか分からないもの。私、晴れの日に出発したいの」
晴れの満月に出発したいという理由で、前日の自分の話を簡単に反故にするキキ。母親の困惑の裏には、キャンプの道具を借りに行った夫の労力が無駄になってしまう、という心配もあっただろうし、娘の出立の前に家族で思い出を作ろうと自身もキャンプを楽しみにしていたのに、それが出来なくなってしまうという落胆もあったのではないでしょうか。

父親の根回しのおかげでキキの旅立ちは沢山の人に見守られて行われました。キキの自宅周辺の木にくくりつけられた鈴は、キキの飛行技術の上達の為でしょう。薬の調合を習得できず、ほうきで飛ぶ事しか身に付けられなかったキキは、その飛ぶ事すらも不安定だった。それを自覚させる役割があの木に付けられた鈴にあったのだろうと思います。その音が聞こえなくなった、とキキの父親が言うのに合わせ、あの鈴の音もとうぶん聞けないなと残念がった中年男性は、キキの飛行練習を応援してくれていた一人だったのでしょう。
キキが13才になるまで彼女の魔女修行を応援してくれていた近所の大人たち。彼らの殆どはキキの父親からの電話連絡によって小さな魔女の旅立ちを知ったに違いありません。また集まってくれたキキの友人たちも、キキの父親が連絡をしていなければ出発を知らなかったのではないでしょうか。キキは自分の旅立ちの準備で精一杯で、自分から出発の連絡をしていたようには思えないのです。

根回し、と言うと若い方はどのような印象を持つのでしょうか。例えば会社で言うならば事前に話の流れを決めておいて、会議では確認作業だけという場面に出くわした時に、良い印象を持つでしょうか。それとも、根回しが済んでいるならば会議など茶番だと思うのでしょうか。
私はかつて、それを話し合うのが会議であって、水面下でもう話が進んでいるならば会議など不要ではないかと思っていました。しかし根回しが済んでいるかどうかで物事のスムーズさが異なる場面に直面すると、根回しの大切さが理解できるようになりました。子どもは思い付きで行動しますが、その行動が滞りなく進むのは、その裏で動いてくれていた誰かがいたからに他ありません。

インターネットで「魔女の宅急便」のエンディングテーマ曲「やさしさに包まれたなら」を検索すると、この曲は映画の為に作られた新曲ではなく、松任谷由実さんの過去のナンバーから映画のイメージに合った曲としてプロデューサーが起用したのだと書かれた記事がみつかりました。「魔女の宅急便」の、少女の成長をイメージして作られた曲ではなかったようですが、とても映画のテーマと合致していると私は思います。

  小さい頃は神さまがいて
  不思議に夢をかなえてくれた

小さい頃に物事が思い通りに進んだのは、「神さま」が叶えてくれていたから。
その「神さま」の正体に気付く事が、少女が大人になる証なのではないでしょうか。

キキのお届け物屋の最初のお客さんとなったファッションデザイナーのマキさんは、甥の誕生日プレゼント(黒猫のぬいぐるみと鳥かご)を届ける方法はきっと他にもあっただろうに、敢えてキキに依頼した。
どしゃ降りの中でいつまでもキキを待っていては風邪をひいてしまうだろうからと、トンボと一緒に店先に立つ事でトンボに早く帰るよう無言で促したおソノの夫。
そのおソノは、パーティーのドタキャンで仲がギクシャクしそうだったトンボとキキを取り持つべく、「コポリ氏」へのお届け物を、飛べなくなったキキに依頼した(「コポリ」はトンボの本名)。
キキたちは沢山のやさしさに包まれて成長していきます。しかし自分たちが沢山の大人たちの優しさで守られ、導かれていた事に、まだキキたちは気付いていないでしょう。

  きっと 目にうつる
  全てのことは
  メッセージ

全ての物事には意味がある。
目に見えない、裏の部分に隠されているメッセージに気付いた時に、人はきっと大人になるのかも知れません。


新型コロナウイルス対策で休校となり、学童も休みで長い春休みに暇をもて余した小学生が、幼稚園年長(新一年生)と未就園児(新年少)の子しかいない我が家を頻繁に訪れた2020年3月。
引っ越してきて半年程度の我が家は近所に知り合いが殆どおらず、遊びに来る子の誰がどの家の子だかは分かりません。我が子を遊びに誘えば未就園児が心配で私も出てくるので、彼らはそれで自分の親が仕事で不在の寂しさを埋めていたのだろうと思います(基本的に外遊びで、下の子と私がセットで鬼ごっこ等の鬼役をやらされた)。
靴を脱ぐ時は揃える、道路で遊ばない、よその家の車や壁にボールをぶつけない、お菓子の歩き食べはしない、などと細かく注意し続けた(居留守もけっこう使った)せいか遊びにくる回数は少しずつ減ってきましたが、それが近所のオバチャンとして私が出来る優しさなのだと彼らが気付く日が来る事を願って。

どれが正解?

2020年3月16日にEテレで放送されたミニアニメ「おちゃめなシモン」を視聴して、親としてどうすべきかモヤモヤしています。
その日の放送は「頭がかゆい!」という題名で、学校で遊んでいる最中にシモンのクラスメートのルーという子の頭がかゆくなってしまう、という物でした。この段階でシラミの話なのだろうなとピンと来た方もいらっしゃるかと思います。ルーの頭のかゆみは「かゆい虫」が原因でした。

「おちゃめなシモン」の「頭がかゆい!」の回のあらすじは以下の通り。
ルーとシモンは仲良しで、シモンが自分に優しくしてくれる事からルーはシモンを「一番の親友」と言ってくれ、シモンは喜びます。しかしルーは他の子にも「一番の親友」と言っており、ルーの親友が自分だけではない事に落胆するシモン。
ところがルーの頭にかゆい虫がいる事が発覚すると、ルーは他の子から敬遠されてしまいます。しかしシモンは虫など自分は気にしないと言い、以前と変わらない態度でルーと接し、「かいかい虫」を題材に楽しい遊びすら考案します。楽しそうなシモンとルーの様子にルーを避けていた子も遊びの輪に加わり、シモンはルーから「一番の親友はシモン」の言葉と頬へのキスを貰う。ついでにシモンは、かゆい虫もルーから貰ってしまうのでした。

作中に「シラミ」という言葉は登場しませんでしたが、十中八九「かゆい虫」とはアタマジラミの事でしょう。
シラミと言うと学校で白い粉末を振りかけられている戦後すぐあたりの子どもの写真を目にした事があり、それが白黒写真である事も相まって、「昔の感染症」という知識しか私にはありませんでした。ところが、つい数年前に日本の保育施設でシラミが流行している、というニュースをテレビで知り、現代でもシラミが残っている事に強い衝撃を受けました。それが脳裏に残っていた為「シモン」でルーという子が頭がかゆいと言い出した瞬間にシラミが原因なのだろうなと私は予想しました。

シラミは少し前の私にとって終戦の頃の感染症という印象でしたが、「1997年にはアタマジラミ駆除薬が約33万個出荷され(駆除薬1個は罹患者1人が1クールの治療に使用する量)」と下記のサイトにありました。

シラミ症
http://idsc.nih.go.jp/iasr/20/232/tpc232-j.html

また【シラミ 保育園】で検索すると2018年前後に公開された記事が検索結果上位に幾つも出てくる事から、未だシラミとの戦いは終わっていないようです。

シラミの駆除には目の細かい櫛で物理的に取り除くか、殺虫剤を含むシャンプーで洗髪するかするそうです。先日の「おちゃめなシモン」は、シモンが母親にシャンプーをして貰う場面で終幕となりました。
シモンはルーからキスを貰っただけでシラミがうつりました。シラミがこんなに簡単に感染してしまう物であれば、誰がうつしただとかを追及したり、シラミがいる子を仲間はずれにしたりする事はナンセンスなのだろうと思います。
自分がルーのように「かゆい虫」の保有者であれば、変わらず遊んでくれるシモンの対応はとても嬉しいと思います。しかし、親となった今ではシモンの行動は誉めるべきなのかどうなのかが分からなくなってしまいました。君子危うきに近寄らずと言いますから。

親の立場からすらば、シラミをうつされないようにルーを避けた子の行動は正しいように思います。また、ルーが孤立しないように以前と変わらない態度で接するシモンが我が子であれば、それはとても誇らしいとも思うのです。
今回はシャンプーで駆除できる程度の問題なのでシモンの行動は正しいのだろうと思います。しかし、これがもし一生ものの跡が残ったり、生命の危機もありえるような物であったならば話はまるで変わってくるのではないでしょうか。

何がどの程度の危険なのかを子どもに伝える事はとても難しいと思います。2017年に千葉県松戸市で起きた、通常なら信頼できる筈の学校の保護者会会長による9才女児殺害事件は極端な例だとしても、不審な人物も事件を起こすまでは、普通の人とどう違うのかは大人にだって分かりません。
何が危険で、何が危険ではないのかは、子どもはこれから様々な経験を経てその判断材料を獲得していくのだろうと思います。それを獲得するまでは、どうか子どもの身に危険な事など起こらないようにと祈るばかりです。

今回のシモンの軽率な行動は、シラミをうつされる程度の被害で済みました。変わらない態度で接し、ルーに悲しい思いをさせなかったという点は本当に素晴らしいと思います。それでも、狭量と言われようと、出来れば自分の子には何の被害もないように行動して欲しいと思ってしまうのです。
世界は今、新型コロナウイルスへの対策に追われています。子どもたちは退屈な日々を余儀なくされ、ストレスを感じているかも知れません。若者はコロナウイルスに罹患しても軽度で済むらしいと言われていますが、それでも、感染の可能性は少しでも低くしてあげたいし、我が子が自覚症状のないまま他の誰かにうつしてしまうような事のないようにしたいのです。

そう思うと、先日のシモンは、どう行動する方が良かったのか。
あの話を教訓に、私は我が子に危険予測をどのように教えるべきなのか。
私の中で、答えはまだ出せないでいます。

親になる、とは

子育ては己育て(自分育て)とも言います。その言葉は、育児を通して忍耐と寛容の心を学ぶという事かと私はずっと思ってきました。しかし上の子が小学生になる今、自分の思い違いに気付いたような気がします。
それは、子どもを通して、自分が親にされた事を追体験する事なのではないでしょうか。良い事も、そうでない事も。

新入学児童保護者説明会の後の物品販売の荷物の多さと行列に辟易したと帰省した時に私が母に話すと、それは高校まで続くから頑張りなさいと母は笑いました。私が高校入学の時に本屋に教科書を買いに一緒に行ったのは覚えていますが、そう言えば体操服はいつの間にか用意されていました。
また我が子の小学校では児童の保護者はPTAの委員会に必ず所属しなければならないらしく、それが面倒だと母にこぼすと、父や母は私や私のきょうだいの在学中の殆どでPTAの役員をしていたのだと教えてくれました。私の中学時代に父が進路対策委員会の委員長をしており、頻繁に父が校長室に出入りしていた事や私の卒業式に壇上で挨拶をした事は覚えていましたが、よもや母までが学校内でそのような活動をしていたとは、これまでまったく意識していませんでした。

私が子どもの頃には当たり前過ぎて気にもかけなかった様々な事柄が、アラフォーの今になってようやく、親が用意してくれていたのだと実感できるようになってきました。当たり前にあった、毎日の食事や清潔な衣類。それらは決して魔法で現れる訳ではなく、誰かが、今の私が我が子にするように、自分の時間を割いて準備してくれていたものだったです。
そう気付いてからは、今年は新型コロナウイルスの影響のせいか見かけませんが、この季節によくあるような「高校生の子どもから、最後の弁当への謝意」などというネットニュースを読む度に私は後悔の念にとらわれていました。弁当が用意される事は当たり前の事と思っていたので、私は母からの最後の弁当にも何のリアクションもしなかったからです。

上の子が小学生になる今、学用品への記名作業が目下、私の課題となっています。算数セットのおはじきへの記名は大変だと聞いていたのでシールを用意し、下の子が寝ている間にぺたぺた貼り付けていますが、私が小学生の頃に使ったそれらは母の手書きで記名されていました。細い棒の一つ一つにも私の名前が書かれており、二学年差の私のきょうだいにも新品が用意されていたので、お名前シールなんて便利な道具が無かった時代の事、こちらもきっと全て手書きだったのだろうと思います。
どんな思いで母はこの記名作業を行っていたのだろう。子どものお名前シールを貼りながら、母の手書きで書かれた自分の算数セットを思い返しました。

私は母の書く字が好きです。硬筆が得意な人のような綺麗さという訳ではありませんが、あたたかみのある字を母は書くのです。学校生活中、母が書いた私の名前を見る度に母を思い出し、私は何だか安心したものです。それに対し、私の字は上手とは言い難いものなので、子どもの学用品への記名の多くはシールとスタンプで済ませました。我が子が親になる頃には更に道具は進化して、私が貼ったシールすら郷愁に駆られるものとなるのでしょうか。それとも、同じようにお名前シールを貼りながら「母さんも手書きは面倒だと思ったんだろうな」と苦笑するのかも知れません。

親になってからの私は、自分がどのように育てられたのかを一つひとつ追体験してばかりです。学生だった頃に親に何一つ感謝して来なかった自身の親不孝さが胸に刺さりますが、その分、私は子どもに見返りは期待せず、親から貰った愛情を、我が子へ少しでもお裾分け出来ればなと思います。
子育ては、こうして少しずつ、私の心をまあるく育ててくれているような気がします。

壁ではなく

「小1の壁」という言葉を多くの方が見聞きした事があろうかと思います。共働き家庭の子どもが保育園を卒園して小学校に入学すると、一般的な学童保育では保育園時代よりも子どもを預かってくれる時間が短い為、親はこれまでのような働き方が難しくなる、というものです。
私も様々なメディアで見聞きしてきたので「小1の壁」は既に社会に定着した言葉かと思いますが、今度は「小4の壁」という見慣れない言葉をネットで発見しました。


「小4の壁」「9歳の壁」どうやって乗り越えた?先輩ママ135人に聞いてみました
https://kufura.jp/family/childcare/110160

高学年の仲間入りをする小学校4年生は、6年間の小学校生活の中で、親と子にとっての“節目”が重なる時期であるようです。

(中略)

小学校4年生は、“自分”と”あの子”の差が少しずつ明確に見えてくる年頃。客観的な物の見方が少しずつ身についてくる一方で、劣等感を抱きやすくなる時期ともいわれ、「9歳の壁」と表現されることがあります。

と同時に、学力の難易度があがり、勉強に追いつけなくなる「小4ビハインド」、学童に通い続けられなくなる「小4の壁」といった言葉もあります。

つまり、子どもが9歳~10歳の頃は、子どもの情緒面や親子関係において、変化が訪れやすい時期だと言えます。

思えば子育てとは「壁」の連続のような気がします。不妊治療をしていれば妊娠するまでが大きな壁になるでしょうし、夜泣きで苦労をしている人にとっては「ここを乗り越えれば楽になる」と周囲からどんなにアドバイスを受けても、いま目の前で直面している子どもの夜泣きは高くそびえる壁に思えるでしょう。
過ぎた人にとってはただの階段ですが、当事者にとってはそそりたつ壁にしか思えず、そして「○○の壁」という言葉が出てくると、それらがまだまだ先の身にとっては「目の前の壁を乗り越えても、まだまだ先に新しい壁が続くのか」と恐怖におののいてしまいそうになります。
子どもの保育園決定通知書が届くまで続く保活(ほかつ)、子どもに合ったランドセルを選ぶラン活(らんかつ)など「○○活」という言葉もどんどん誕生し、幼児がいる身の自分には、あとどれくらい壁と活動が控えているのかと辟易してしまいます。

我が家の上の子はこの四月に小学生になりますが、先日、上にもお子さんがいる子どもの同級生のママさん(子どもが同じ小学校に入学する)からは「小学校は強烈な保護者も出てくるよ」と脅されました。公立小学校には様々な保育園、幼稚園、こども園の子が集まるので家庭の事情も子育ての方針も様々な保護者が集う為、参観日の立ち位置やPTA活動などなかなか大変だと言うのです。
また壁…(あと立ち位置って何だろう)

我が子の幼稚園での役員決めは、専業主婦の中でも未就園児のいない、妊娠もしていない、介護もしていない人の中から選ばれる事が通例となっていました。上のお子さんたちを何年も通わせてからの末子の入園で役員を引き受ける方々は既に園の方針にも慣れているので、行事の運営は私から見ると、とてもスマートでした。
また我が子の園はパパさんの送迎率が私の予想よりも高かったせいもあるのか、特定のママさんだけで長く話し込むような姿も見かけませんでした。上の子の入園前にはママ友付き合いへの不安がありましたが、いざ飛び込んでみると少なくとも私から見た限りでは保護者間トラブルなど無縁なように思えました。
穏やかな流れの中にたゆたうような保護者の付き合いしか経験していない私にとって、子どもがこれから同じ小学校に入学する事になるママさんのその言葉に未知の恐怖を味わいました。ネットの話ではなく、子どもがこれから通う小学校の先輩ママさんの体験談なのですから。あと数週間後、果たしてどのような激流が私を待っているのでしょうか。

いま赤ちゃん育児一人目、という方にとって、小学生のママになる私は幾つもの「壁」を越えた猛者に見えるかも知れません。しかし私には「壁」を乗り越えたという自覚は無く、気が付いたらここまで来ていた、というだけの認識です。
これからも私にはまた新たな「壁」が出現するのだろうと思いますが、これまでと同じように、乗り越えた後で「もしかしてあれが『壁』だったのだろうか」と首を捻る事もあるかも知れません。

壁、という言葉の印象が強烈なだけで、結局のところ子育てとは階段をひとつひとつ登るだけなのではないかと思うのです。次の段差が現れる度にいちいち「○○の壁」などという名称をつけて未経験者の不安を煽る事は止めて頂きたいなと思います。
「壁」ではなく「ステップ」。可能な限り、私は次のステップも楽しんでいきたいです。




というか、ランドセルを買うだけで「ラン活」だなんて仰々しい…

やはり25才は鍵らしい

かつて女性はクリスマスケーキに例えられました。26才以降には需要は減るので、25才までに売り切らなければ(結婚しなければ)ならないと。
またお肌の曲がり角は25才あたりに訪れると聞いた事があります。現代では多様な生き方が認められつつありますが、やはり女性にとって「25才」という年齢は鍵なのかも知れません。私が改めてそう思ったのは、下記の記事にて生理周期は年齢によって変化すると知ったからです。


40代になると生理周期がいったん短くなる!?【月経の新事実】国立成育医療研究センターが32万人のデータ解析
https://st.benesse.ne.jp/ninshin/content/?id=66645

そこで今回、国立成育医療研究センターが、女性の健康情報サービス「ルナルナ」と共同で、現代の日本人女性32万 人を対象にデータを解析しました。その結果、月経周期は年齢によって少しずつ変化することがわかったのです。
月経周期のデータを5歳ずつで区切って集計したところ、25歳頃の平均値がおよそ30日と最も長くなり、その後、45歳にかけて3日ほど短くなることがわかりました。

月経周期が最も長くなるという事は、性行為の機会が最も多く得られるという事になろうかと思います。周期が短くなればなる程に次の生理開始日が早く訪れるので、男性からお誘いがあってもお断りをしなければならなくなるでしょう。
個人差はあれど平均して25才頃の生理周期が最も長いという事は、紛れもなく身体機能として25才頃が最も生殖に適しているのだろうと思います。

自分自身を振り返ると25才の頃というのは、新卒で就職してまだ3年目でした。成人はしていますが自分が大人だという自覚は乏しく、会社員だったので源泉徴収の為、税金や社会保険料等も自分で納めている実感はありませんでした。また仕事でも覚える事が多く、とてもではありませんが結婚はおろか妊娠出産、子育ての事など考えた事もありませんでした。その為、自分の事を棚にあげて「女性は25才までに出産すべし」などとは言えません。
私には娘がいるので家庭内性教育でいずれこうした事実を話さなければならないだろうとは思うのですが、現代日本において25才での出産というのは既に難しい部類になっているのではないでしょうか。

平成29年版の男女共同参画白書によると、女性の大学等進学率は57.1%になったそうです。そこから新卒で一般企業に就職し25才で産休育休を取得した場合、キャリア形成は難しいものになるでしょう。現在、新型コロナの感染予防対策で各学校は休校になり、我が子の幼稚園も自由登園(という名の自宅保育要請)になっています。仕事をしていた多くのママさんが休みをとった事で十分な対応が出来なくなり、診療を見合わせている病院もあると聞きました。不測の事態の折に子どもを理由に働けなくなるというのであれば、かつてのような寿退社や腰掛け就職は正しかったという論調が復活しかねません。
仕事をしていた時、嫌な事もありましたが、私は概ね楽しかった。向き不向きもあるでしょうが、将来は娘にも楽しく生き生きと働ける職場と出会って欲しい。しかしこの「女性の25才」という階段を思う度に、どのようにすべきなのかが分からなくなります。
変えるべきは社会なのか。それとも、現代社会に対応できるように私たちが進化すべきなのか。

親バカが勧誘を撃退した話

先日、自宅にいた時にチャイムが鳴ったのでインターホンの画像を確認すると、私の母親ほどの年齢の女性の訪問客がありました。
心当たりの無い来客だったので「どなたですか?」と問うと、聞こえなかったのか、それには無言。まだ今の住居の近所の方を全員把握している訳ではないので、もしかしたら近所の方なのかなと思い、未就園児の息子をリビングに残し玄関を開けてみました。

落ち着いた服装をしていた女性は
「今度、勉強会があって、そのお知らせで小さいお子さんがいるご家庭を対象に今この辺りをまわっているんです」
とにこやかに微笑み、何か不安に思っている事はないかと質問してきました。
私はてっきり市役所から派遣された新生児訪問のような方なのかなと思い、玄関先での対応のまま、いま抱えている不安をその女性に打ち明けてみる事にしました。

私には未就園児の息子の他に、今年の四月に小学校に入学する娘もいます。先日の保護者説明会で、娘が通う事になる小学校の登校時間は七時四十分から八時の間と聞かされたので、その時間に娘の登校が間に合うかという不安がありました。また食べる事が遅く、苦手な食べ物がある娘は幼稚園でも既に給食が苦手になっているのに、小学校では食べる時間が二十分しか無いと聞いたので、ますます給食が苦手な子になってしまうかも知れない事が不安だとその女性に打ち明けました。
その他にも娘の小学校生活で心配な事をあれこれ話すと、何だか女性は困ったような表情を浮かべます。
「そういう不安ではなくて、何かもっと…」

そして何か諦めたのか、上品な女性は話を切り上げて帰ってしまいました。冒頭で話した「勉強会」とやらのお知らせの文書も、市発行の子育てアドバイスが書かれたパンフレット等も何も渡されませんでした。
一体何だったのだろうと疑問を抱きながら、娘が現在通っている幼稚園の未就園児教室の先生や知り合いのママさんたちに訊ねてみると、皆さん首をかしげる始末。そして先生がある事に気が付きました。
「もしかして、それ、宗教の勧誘だったのでは?」

なるほど!!

アウェイ育児(自分の知り合いのいない土地での子育て)や密室育児だと不安を抱えて鬱々としている方は多いかと思います。そうした方々の心が弱っている隙を狙っている人がいるのかも知れません。家に小さな子どもがいるかどうかは洗濯物を見れば一目瞭然です。おそらく洗濯物を目印に我が家も標的になったのでしょう。

私の子どもが通っている幼稚園には保護者が同伴であれば未就園児が遊べる部屋が平日は毎日開放されています。そこで会うママさんによると他の園にも同じように未就園児が利用できる場所があり、あるママさんなどは3園ほど掛け持ちをしているそうです。
初めての場所に行くのにはかなりの勇気が必要かと思いますが、育児に不安を抱えている方は特に、そうした施設やサービスをどんどん利用してみてはいかがでしょうか。園の雰囲気も分かるので、自分たちに合った園探しにも一石二鳥かと思います。
私自身が一人目の育児の時には夫の転勤の為アウェイで密室育児でしたので、その反省も踏まえて。

せいりとカレンダーの話

下記の記事を読んだ時に私が思い出したのは、「戦争は女の顔をしていない」作画 小梅けいと、原作 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、監修 速水螺旋人(私が読んだのはコミカライズ版)の、支給される衣類は男性用しかない為、従軍した女性は男性用下着を着用するしかなかった、それゆえ生理中の経血は行軍中も垂れ流すしかなかった、という場面です。女性も戦闘に参加していた事にまず驚きましたが、支給される下着が男性用なので流れ出る経血をどうする事も出来なかったという場面に私は胸が苦しくなりました。ズボンや地面に落ちた女性たちの血液に見ないふりをする男性たちの表情にも哀しくなりました。
私たちの社会は男性基準で造られている。「戦争は女の顔をしていない」は、それを突きつけてくる作品でした。

日本に暮らす私には戦争は遠い出来事ですが、しかし似たような扱いを受けている女性は未だ多いのではないかと思います。その一例が女性アスリートなのではないでしょうか。女性の身体には月経期、排卵前期、排卵開始から月経前症状が出る間の時期、月経前期というフェーズがあり、フェーズによってコンディションが変化する事があります。私が初めてそれらを意識したのは10代の頃に読んだ女性誌のダイエット特集で、女性には体重を落としやすい時期と、落ちにくい時期がある事をその時に知りました。
この度、世界初の試みとして、各選手の生理周期に合わせたトレーニングを行っているチームがある事が明かになりました。


女子サッカーで世界初、生理周期に合わせてトレーニン
https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2020/02/post-337.php

女子サッカープレミア・リーグ2位のチェルシーはこのほど、各選手の生理周期に合わせたトレーニングを行っていることを明らかにした。サッカーチームとして世界初の試みとなる。生理周期を考慮することで、パフォーマンスを上げ、負傷のリスクを下げることができるという。

(中略)

ヘイズ監督は英テレグラフ紙に対し、女子サッカー選手は長い間、男子サッカー選手と身体的に同じように扱われてきたと指摘。しかし女子選手の場合、生理がパフォーマンスに与える影響を考慮する必要があるため、生理についてもっと理解し、いかにしてパフォーマンスを向上できるかを考えなくてはいけない、と説明している。

実は私の夫は、毎月○日になったら私の生理が始まると思っていたようです。生理周期が30日の人であればそういう事もあるかと思いますが、生憎と私の生理周期は24~28あたりなので、カレンダーをめくらないうちに次の生理が始まり、夫に驚かれる時もあります。現在使用されているカレンダーは太陽の周期で決めたものであって、太陰暦を使用すればカレンダーは変わります。ましてや女性には一人ひとり体内カレンダーがあり、それが太陽暦と合致する訳ではないという事が男性には分かりにくいようです。

女性アスリートの方々はきっとピルなどを駆使して大会の日程に合わせて生理をコントロールしているのではないかと思いますが、それでも練習中には様々な障りがあるのではないかと思うのです。この度明らかになったチェルシーの生理周期を考慮したトレーニング方法は画期的だなと感動すらしました。

チェルシーによると、生理周期には4つのフェーズ(月経期、排卵前期、排卵開始から月経前症状が出る間の時期、月経前期)があり、どのフェーズにいるかによって選手の体調にはさまざまな影響が出る。フェーズ1とフェーズ4のときには体の動きが鈍る可能性が高まり、フェーズ1とフェーズ2にはけがのリスクが高まる。そしてフェーズ3とフェーズ4のときにはジャンクフードが食べたくなるため、体重が変わる可能性もあるという。

女性はホルモンに左右される。世界には男性だけでなく女性もいるのですから、こうした事実を男性にもっと理解して貰えれば良いなと思いました。