xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

小さい頃にいた神さま

子どもの頃から観ていた作品が、大人になってから改めて観ると見方が変わった、見落としていた点に気が付いた、という経験をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。私にとってはジブリ映画「魔女の宅急便」がそれに当てはまります。
子どもの頃からテレビで放送される度に録画もして観ており、物語の展開も結末も知っている、この作品。何なら私は子どもに、主人公キキの声優さんが作中で他のキャラの声もあてている事や、他にはどんなアニメのキャラクターを演じているかすら説明する事が出来る程度にも知っています。ところが先日久しぶりに観たところ、とある場面で胸を衝かれました。

それはキキが修行に出る事を決めた後の場面。翌週キャンプに行く予定で道具を借りてきたと言う父親を「ごめんなさーい」の一言で軽くいなし、自室で嬉々として旅支度をする主人公。その裏で父親がしていた行動を、私はこれまで殆ど意識した事はありませんでした。

「…ありがとう。じゃ、お待ちしてます」
指で受話器を置くスイッチを押すと、すぐさま別の相手にも電話をかけるキキの父。
「オキノです。今夜、キキが発つ事になりまして…」

そもそもキキの出立はラジオを聴いての思い付きでした。母親への旅立ちの日取りの報告は以下の通り。
「私、決めたの。今夜にするわね」
「だってあなた、昨夜はひと月延ばすって…」
「次の満月が晴れるかどうか分からないもの。私、晴れの日に出発したいの」
晴れの満月に出発したいという理由で、前日の自分の話を簡単に反故にするキキ。母親の困惑の裏には、キャンプの道具を借りに行った夫の労力が無駄になってしまう、という心配もあっただろうし、娘の出立の前に家族で思い出を作ろうと自身もキャンプを楽しみにしていたのに、それが出来なくなってしまうという落胆もあったのではないでしょうか。

父親の根回しのおかげでキキの旅立ちは沢山の人に見守られて行われました。キキの自宅周辺の木にくくりつけられた鈴は、キキの飛行技術の上達の為でしょう。薬の調合を習得できず、ほうきで飛ぶ事しか身に付けられなかったキキは、その飛ぶ事すらも不安定だった。それを自覚させる役割があの木に付けられた鈴にあったのだろうと思います。その音が聞こえなくなった、とキキの父親が言うのに合わせ、あの鈴の音もとうぶん聞けないなと残念がった中年男性は、キキの飛行練習を応援してくれていた一人だったのでしょう。
キキが13才になるまで彼女の魔女修行を応援してくれていた近所の大人たち。彼らの殆どはキキの父親からの電話連絡によって小さな魔女の旅立ちを知ったに違いありません。また集まってくれたキキの友人たちも、キキの父親が連絡をしていなければ出発を知らなかったのではないでしょうか。キキは自分の旅立ちの準備で精一杯で、自分から出発の連絡をしていたようには思えないのです。

根回し、と言うと若い方はどのような印象を持つのでしょうか。例えば会社で言うならば事前に話の流れを決めておいて、会議では確認作業だけという場面に出くわした時に、良い印象を持つでしょうか。それとも、根回しが済んでいるならば会議など茶番だと思うのでしょうか。
私はかつて、それを話し合うのが会議であって、水面下でもう話が進んでいるならば会議など不要ではないかと思っていました。しかし根回しが済んでいるかどうかで物事のスムーズさが異なる場面に直面すると、根回しの大切さが理解できるようになりました。子どもは思い付きで行動しますが、その行動が滞りなく進むのは、その裏で動いてくれていた誰かがいたからに他ありません。

インターネットで「魔女の宅急便」のエンディングテーマ曲「やさしさに包まれたなら」を検索すると、この曲は映画の為に作られた新曲ではなく、松任谷由実さんの過去のナンバーから映画のイメージに合った曲としてプロデューサーが起用したのだと書かれた記事がみつかりました。「魔女の宅急便」の、少女の成長をイメージして作られた曲ではなかったようですが、とても映画のテーマと合致していると私は思います。

  小さい頃は神さまがいて
  不思議に夢をかなえてくれた

小さい頃に物事が思い通りに進んだのは、「神さま」が叶えてくれていたから。
その「神さま」の正体に気付く事が、少女が大人になる証なのではないでしょうか。

キキのお届け物屋の最初のお客さんとなったファッションデザイナーのマキさんは、甥の誕生日プレゼント(黒猫のぬいぐるみと鳥かご)を届ける方法はきっと他にもあっただろうに、敢えてキキに依頼した。
どしゃ降りの中でいつまでもキキを待っていては風邪をひいてしまうだろうからと、トンボと一緒に店先に立つ事でトンボに早く帰るよう無言で促したおソノの夫。
そのおソノは、パーティーのドタキャンで仲がギクシャクしそうだったトンボとキキを取り持つべく、「コポリ氏」へのお届け物を、飛べなくなったキキに依頼した(「コポリ」はトンボの本名)。
キキたちは沢山のやさしさに包まれて成長していきます。しかし自分たちが沢山の大人たちの優しさで守られ、導かれていた事に、まだキキたちは気付いていないでしょう。

  きっと 目にうつる
  全てのことは
  メッセージ

全ての物事には意味がある。
目に見えない、裏の部分に隠されているメッセージに気付いた時に、人はきっと大人になるのかも知れません。


新型コロナウイルス対策で休校となり、学童も休みで長い春休みに暇をもて余した小学生が、幼稚園年長(新一年生)と未就園児(新年少)の子しかいない我が家を頻繁に訪れた2020年3月。
引っ越してきて半年程度の我が家は近所に知り合いが殆どおらず、遊びに来る子の誰がどの家の子だかは分かりません。我が子を遊びに誘えば未就園児が心配で私も出てくるので、彼らはそれで自分の親が仕事で不在の寂しさを埋めていたのだろうと思います(基本的に外遊びで、下の子と私がセットで鬼ごっこ等の鬼役をやらされた)。
靴を脱ぐ時は揃える、道路で遊ばない、よその家の車や壁にボールをぶつけない、お菓子の歩き食べはしない、などと細かく注意し続けた(居留守もけっこう使った)せいか遊びにくる回数は少しずつ減ってきましたが、それが近所のオバチャンとして私が出来る優しさなのだと彼らが気付く日が来る事を願って。