xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

いつだって誰もが誰かに愛されている

ウルトラマンR/B(ルーブ)」の第24話「私はハッピー」にて主人公たちはウルトラマンに変身する為のアイテムを父親によって隠されました。異次元をさまよっていた頃の主人公たちの母親が息子たちの未来の姿を見てしまい、あんな最期を迎えさせる訳にはいかないとして夫に「あの子たちをウルトラマンに変身させないで欲しい」と頼んだ為です。主人公の母は科学者で、科学の力で現状を改善させる術(すべ)があった事も大きな理由のひとつです。
私は未視聴ですが「フレッシュプリキュア!」でも物語の終盤に主人公が母親に自分がプリキュアである事を告白し「自分が頑張らないと地球が大変な事になる」と説明してもなお「娘に危険な戦いをさせる訳にはいかない」と母親は引き留めたそうです。
どちらの物語でも主人公は自分が戦わなければ世界は終末を迎えてしまうと思っており、実際に物語上でも主人公を戦いの場から遠ざけたところで何の意味もありません。しかしそれでもなお親というものは目先の子どもの無事を優先させてしまいたくなる生き物なのでしょう。

学生時代に受けた哲学か何かの講義の中で、母性愛とは存在への愛であり、父性愛とは条件付きの愛だと学びました。簡単に言えば存在があるだけで嬉しいと感じる気持ちが母性愛、あの子は○○ができるから可愛い、価値があるという感情が父性愛です。つまり男性も他人も「母性愛」は抱けるのです。
ウルトラマンになって、プリキュアになって危険な戦いに行くよりも一分一秒でも長く無事でいて欲しいと願う、物語としては主人公の足を引っ張る存在は視聴している子どもたちにとっては邪魔な存在でしょう。テレビの外側から応援している子どもたちは、主人公は必ず勝つと確信しているのですから。
しかし自分が子をもつようになると、戦いに赴こうとする主人公を引き留める登場人物の気持ちが少しだけ理解できるようになりました。子どもに危険な目に遭って欲しく無いという気持ちは、どうしようも出来ない母性愛なのです。
物語の登場人物にとっては結末がハッピーエンドになるかどうか分からないのだから主人公の出撃に反対するのは当然です。世界の救世よりも我が子が怪我をしない事の方が優先で、自分の子ではない他の誰かが何とかしてくれると期待してしまうのです。場合によっては映画「アルマゲドン」のように地球は救われても、何人かが犠牲になって帰還するかも知れません。我が子が救世主になっても、帰還しない側の救世主になる可能性だってあるのです。死ぬ順番が親と子で逆になるなどあってはならない事なので、主人公を愛していればこそ変身アイテムを隠したくもなるでしょう。

しかしふと、山口県のとある教育者が提唱したという「子育て四訓」を思い出しました。

  乳児はしっかり肌を離すな
  幼児は肌を離せ手を離すな
  少年は手を離せ目を離すな
  青年は目を離せ心を離すな

というものです。時折インターネット上で見かけるので様々な方により折々に発信されているのでしょう。
ウルトラマンR/B(ルーブ)」の主人公たちの父も「フレッシュプリキュア!」の主人公の母も、最終的には主人公の出撃を認めてくれました(「ウルトラマンR/B」に限って言えば主人公の母は「何であの子たちに変身アイテムを渡したの」と夫を怒っていましたが)。
また似たような事例で言えば「僕のヒーローアカデミア」の主人公の母親も、ヒーロー養成学校にこのまま息子を在籍させていては息子の腕は動かなくなるかも知れないと心配し、息子の憧れの人である教師の前で転校を示唆しましたが、最後には息子の意思を尊重しました。
「少年は手を離せ目を離すな
 青年は目を離せ心を離すな」
まさにこの言葉の通りなのでしょう。
現実の世界では我が子が戦わなければ世界の危機となる事態はそうそう起きませんが、しかしいずれ、目を離さなければならない時期が子育てにはやって来ます。子育ての最終目的は子どもを自立させ一人前にする事です。ですが目を離し自立させたとしても、無事を願う気持ちはきっと無くなりはしないのでしょう。それは親でなくても抱く感情なのか、私には家族以外にも元気でいるか、ふとした拍子に気になる人々がいます。

昨今、犯罪者の中でも「無敵の人」という境遇の人が現れました。どんな犯罪を犯そうが失うものは何も無い、という人の事です。
新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION」第44話「家族!! アキタと思い出のケーキ」では人類ではない存在に対し「美味しいものを食べた時、我々人類は他の誰かの事を思う。この美味しいものを自分と違う誰かにも味わわせたいと。おそらく、それを思う相手が家族なんだ」と、ヒトの「家族」の説明をしました。
同じ食卓は囲めなくても、美味しいものを食べた時に「あの人が食べたらどんな顔をするだろうか」と思い出す誰か。それを家族と呼ぶのであれば、人間関係が希薄になってきたと言われる時代であっても、「無敵の人」であっても、いつだって誰もが誰かにふとした瞬間に気にかけられ、愛されているのだと私は信じたい。

タイトルにした「いつだって誰もが誰かに愛されている」、これは「ウルトラマンR/B(ルーブ)」のオープニング曲の一節です。
手を離し目を離しても、心は離さない。いつだって元気でいるか気になります。
そして血が繋がっていなくても、一緒に食卓を囲めなくても、思い出すだけで穏やかな気持ちになる存在は誰もにいて欲しいと願います。
我が子たちが私たち以外からもそのように愛され、愛する人が出来れば重畳です。



こんな拙い文章を最後まで読んで下さったあなたの存在を愛しく思います。
よいお年を。