xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

娘が我が儘を言った日

2018年10月7日に放送された「HUGっと!プリキュア」第35話「命の輝き!さあやはお医者さん?」を録画したところ、この一週間、娘はかぶりつくように観ていました。プリキュアは毎回録画し、新しい話が放送されてから前回の話を削除しているのですが(「怪盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」の録画がHDDの容量を逼迫する為。娘はこちらの方は一話も消さないよう希望している)、この「HUGっと!プリキュア」第35話はこれまでになく頻繁に視聴しているように感じます。今回は娘の好きなキャラクターにスポットを当てた話だからだろうとは思うのですが、視聴する事で実は私にメッセージを送っているようにも感じるのです。
この「HUGっと!プリキュア」第35話は主人公たちが病院にお仕事体験に行く回で、さあや という少女がもうすぐお姉ちゃんになるという女の子の「お母さんはこれから弟のお母さんになるから、自分のお母さんではなくなる」という苦しみを受け止める話です。
自身の下にきょうだいがいる方、二人以上のお子さんがいる方には覚えがある気持ちかと思います。私もこの回の視聴は自身の体験と重なり胸が切なくなりました。
そして、娘はまだ埋められない寂しさを抱えているのだろうと思うと申し訳なさを感じ、苦しくなります。
今回の投稿は私にとって苦い思い出の記録です。


スーパーマーケットに子ども二人を連れて買い物に行った際、会計後に上の子である5才の娘が浮かない顔をしていたので他の買い物客の通行の邪魔にならない場所に移動してから私は娘の前にしゃがみこみ、どうしたのか問い質しました。
しかし頑なに娘は理由を話しません。その態度に思い当たる節がありました。
それは、私の小さかった頃の姿によく似ていたのです。

当時小学校低学年か幼稚園児あたりだった私は、家族で出掛けたお祭りの屋台で素敵なものに出会いました。
なんて事はない、カラフルなべっこう飴です。
細いロープに洗濯バサミでぶら下げられていたそれは白熱灯の明かりに照らされキラキラと光り、美しさに息をのみました。
そんなべっこう飴がどうしても欲しくて熱心に見つめていたのですが、私は親に「買って欲しい」とは言えませんでした。
何故なら私は「お姉ちゃん」だったから。

私はお姉ちゃんだから、我が儘を言ってはいけない。だから、買って欲しいと言ってはいけないと思ったのです。
沢山の屋台を前に何か欲しいものはあるかと母が私に訊いてきましたが、私は首を横にふりました。
欲しい、とは自分からは言えない。
私はお姉ちゃんだから、「買って」などと我が儘を言ってはならない。
しかしこんなに熱心に見つめていたのだから、私のべっこう飴が欲しい気持ちは親に伝わっているに違いないと期待していました。

どんなに訊いても「いらない」と言い続ける私の態度に納得した両親は、祖父母と留守番をしている幼い妹へのおみやげにと わたあめを買い、そのまま私たちは車に乗り込んで帰途につきました。
車の後部座席に座り私は唸りながら、ひたすら地団駄を踏んでいたそうです(ここは自分では覚えていません)。


スーパーマーケットでの会計中、娘の視線が雑誌売り場に注がれているのには気が付いていました。
だからこそ会計後に口数が減り、うつ向いて歩く姿を見て察知したのです。
そこに並んでいる本を娘は欲しいのだと。

しゃがみこみ、娘よりも視線を低くした状態で私は問いただしました。
どうしたの?
「何でもない」
何か欲しいものがあるの?
「別に、何もない」

欲しくない訳がないじゃないか
だって、あんなに見てたんだから


「姉とはこうあらねばならない」と思い込んで育った幼少期。好きで姉に生まれた訳ではないのに、きょうだい順で何かを強いられるのはおかしいのではないかと気付き、「姉である自分」という束縛から脱却し「私は私」と言えるようになったのは一人暮らしをするようになってからでした。
その反省を踏まえ、私は娘には絶対に「お姉ちゃんなんだから○○しなさい」とは言わないと決め、下の子が生まれてからこれまでずっと、そのようにしてきました。
しかしそれでもなお、娘は当時の私のように「買って欲しい」の一言を口にしようとしません。

あの時、欲しいの一言が言えずべっこう飴を手に入れられなかった私は、甘いもの、特に飴に固執するようになりました。
買って貰うお菓子は殆どが飴。親のスーパーマーケットへの買い物について行っては袋キャンディを買って貰い、ボリボリかじってはすぐに食べ尽くしました。
糖尿病になるぞと何度も叱られましたが、私の飴への飢えは何年も続きました。
後に私はそれらの出来事を自分なりに整理し、一連の行動を甘味中毒と名付け、揶揄できるくらいには客観的に見られるようになりました。


娘を私の二の舞にさせてはならない。
言葉は伝えようとしなければ相手には伝わらない。自分が伝える努力を怠っているのに、相手に伝わらないなどと他者に責任転嫁するようでは面倒くさい子と思われ、お友だちにも嫌われてしまうかも知れない。このまま「察してちゃん」に育っては困る事になるのは娘自身。
これまで私は娘の状態を察してオムツ、空腹、暑くはないか、寒くはないかとあれこれ先回りしてきましたが、もうそんな事が必要な赤子ではない。単なる我が儘とはまた違う意味で、欲しいものは欲しいと、時には自己主張する事も必要なのだと体験させなければ。
そう思った私は、しつこいくらいに娘に食い下がりました。

どうしたの?
トイレに行きたいの?
何か欲しいものがあるの?
お母さんに言ってごらん

しびれを切らし、言わないならこのまま家に帰っちゃうよ、と私が下の子を抱っこし立ち上がって歩き出せば、娘は何か言いたげな顔のままついてくるので、また私がしゃがみこんで娘に問いかける、を何度か繰り返しました。

欲しいと泣き叫ぶ子を諭すなら分かる。
子どもが「いらない」と繰り返しているのに、なぜあの母親は「欲しいものはあるか」と引き下がるのか。
30分近くしゃがみこむ私を見て、店員さんは疑問に思ったに違いありません。

そしてとうとう娘は泣き出しました。
「本が見たい」と言いながら。


本が欲しいのね?
と確認すると、悪事を咎められたかのような顔をしてびくりと震え、静かに涙をこぼしながら、観念した娘は小さく頷きました。

これまでにも買い物中、お菓子が欲しいとは言う子でした。スーパーマーケットの出入り口付近に設置してあるガチャガチャの前を通りがかれば毎回欲しいとねだります。時々は買いましたが、200円、300円商品を頻繁に購入するよりも、何回か我慢すれば後でもっと素敵なものが買えるよ、と言って我慢させる事もありました。
けれどこの時、本当に欲しいと思った本を、娘はねだって来ませんでした。
我慢しなさいと言われるのではないかと、先回りして諦めていたのです。

「お姉ちゃんなんだから」とは言った事はありませんでしたが、それでもやはり、下の子が生まれてからは全てを上の子優先とする訳にもいかず、娘には何かと我慢をさせてしまっていたのでしょう。口にはしなくても、私は態度で「あなたはお姉ちゃんなんだから我慢するべき」と示していたのだと気付きました。
娘にとってはずっと自分だけが独占していた両親との場所に、突然弟という、自分より庇護を与えられる存在がやって来たのです。そのストレスは夫が愛人を連れ帰り、これから一緒に住むから世話をしろと言われる正妻と同じ、とどこかで読んだ事があります。
無言で涙を流す幼児を前に、どれだけの我慢を強いてきたのだろうと自身の至らなさを痛感しました。

わかった、本を買おう。
どの本が欲しいの?
雑誌売り場に移動し、念願の本を手にした娘はようやく顔をあげました。
レジで紙袋に入れられた雑誌を胸に抱く娘の顔はとても晴れやかで、その日の帰途は私の足取りも軽く感じました。


引っ込み思案な娘には、普段は控えめでいても、必要な時にはきちんと自己主張できる子になって欲しい。
本が欲しいのだろうとは最初から分かっていましたが、敢えて娘の口から「欲しい」と言わせたのは、自己主張の成功体験をさせる為でした。しかし本当は、自分の為でしか無かったのかも知れません。
あの日、べっこう飴を買って貰えなかった幼い自分を救う為に、私は娘を使ったのです。

子育ての理想は自分が親にされて嬉しかった事を我が子にしてあげる事で、今の自分の状況はそれを叶えてあげられそうにない。「理想の育児」のハードルが心の中でどんどん高くなっているせいで子を持つ事に躊躇している人がいるのではと、どこかで書いたような気がします。

自分が親にされて嫌だった事を我が子にはしない。
子供の時に自分がして欲しかった事を我が子にする。
育児を「自分の育て直し」と感じる人もいるかと思います。
だからこそ子どもに沢山の習い事をさせ、自分が叶えられなかった願いを託す(あるいは押し付ける)親もいるのでしょう。

欲しかった雑誌を手にして歩く満面の笑みを浮かべる娘の姿に、べっこう飴を持って歩く幼い自分の姿を見た気がしました。
母は私に、欲しいものはあるかと訊いた。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」などと言われた訳ではなかったのだから、たかがべっこう飴、素直に買って欲しいと甘えれば良かったのだ。
親だってきっと、私に甘えて欲しかったのだ。
だからあの日、妹は祖父母と留守番だったのだ。
こんな簡単な事に気付かず、何年も甘味中毒をこじらせるなんて。

娘が「我が儘」を言ったあの日、ようやく私は、私の満たされなかった心の穴の治療を終えました。
娘の心の穴はまたまだ埋まりそうになさそうですが。



今なら言える。
いやいや、そこで妹の為のわたあめを1つ買うとか(笑)
どうせ買うならそこは私の分も含めて2つ買っとこうよ、お母さん。



ちなみに娘が欲しがった雑誌とは講談社の「たのしい幼稚園」です。
付録目当てで時々は買っていたのですが、金額的な都合で毎号は買い与えていませんでした。

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