xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

優しさを可視化する

マタニティを応援するマーク、という物があるそうです。
それは誰でも妊娠中の女性と赤ちゃんを思う気持ちを表現できるようにと、青色で描かれた男性とも女性ともとれる人物がマタニティマークのデザインを腕で囲んでいるデザインとなっています。


妊婦さんが安心して過ごせるように。「マタニティを応援するマーク」知ってますか?
https://www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/support-maternity-mark

「妊婦さんを応援していますという気持ちをマークで伝えられたら」という思いから、1人の男性が「マタニティを応援するマーク」を作った。

妊娠している女性がつける「マタニティマーク」をハグしているデザインに"I support you"(私はあなたを応援します)の言葉が入っている。老若男女関係なく、誰でも妊娠中の女性と赤ちゃんを思う気持ちを表現できるマークだ。都内の区役所や保健所窓口で配布している。

私が第一子を妊娠した時にマタニティマークを受け取ったのは、市役所で母子手帳を発行して貰った時です。「これがかの有名なマタニティマークか! 私もこれを貰う日がとうとう来たのだな」と感動しつつ、「これは着けると電車なんかで変な人のターゲットになる目印でもあるんだよな」とも思いました。
その当時、そして今もインターネット上では妊婦に対して心ない発言を書き込む方がいます。そして実際に危険な思いをした方の体験談も読む事が出来ます。
ヒトが有性生殖で胎生する事は哺乳類として至って普通の事であるというのに、社会が複雑化したせいで子育てを間近に感じなくなった人々が出てきてしまったからなのでしょうか、性行為は次世代を産み出す事ではなく多くの人にとって娯楽となり、妊婦を「キモチイイ事をした女」の証と見なす人も出てきました。女性が膣内射精で快感を得ているように表現する男性向けアダルトものが様々にありますが、実際には女にとって(少なくとも私にとって)それは「男が急に動きを止めた」くらいの認識でしかなく、内部では何も感じていないという事を知らないのではないかと思います。うろ覚えですが、アダルト女優さんが「ホースを膣に入れて水を勢いよく出す程でないと、実際には何も感じない」と話していた記事を読んだ事があります。
生命を育んでいるその体型の変化を「気持ち悪い」と感じるのは生殖行為をイヤラシイものとしか捉えられなくなった為と、妊婦を自分の生活圏内で見る機会が減り、奇異なものとなったからでしょう。
妊娠すると体重も増え、体調の変化も起こり、思うように動けなくなります。胎児を守る為にすぐにお腹をかばう仕草は滑稽に見えるのかも知れません。だからといって、そんな妊婦を弱者とみなして攻撃をする人がいる事をとても残念に思います。

「自分が、自分が」という人が多くなり、体型の変化がなく、しかし妊娠中で一番辛い妊娠初期の妊婦が公共交通機関で座れず辛い思いをした事からマタニティマークは誕生したのだろうと思います。
配慮される事を期待して、妊婦は自分と胎児を守る為にマタニティマークを着けるようになりました。それにも関わらず、今度はマタニティマークを着けている女は自分よりも弱者である事が分かるからか、嫌がらせをする人が出てきました。プレママサイトでは「着けない方が安全」という意見すらある程です。私は自家用車があったので着ける必要性はありませんでしたが、必要な人なのに、身を守る為に逆にマタニティマークを着けなかったという話を読むと悲しくなってしまいます。
しかし一方で、マタニティマークを着けているのだから周囲の人は自分に配慮しろと不遜な態度をとる「妊婦様」もいるというので、難しい問題だと思います。そういう人は自分の妊娠に舞い上がり、周囲が見えていないのでしょう。私も自分が妊娠中の時には知るよしもありませんでしたが、配慮されるべき時期は他にもあるのです。

妊娠初期はつわりも多く、また母体が風疹にかかるだけで子どもは先天性の障害を負うくらいデリケートな時期です。妊娠後期はいつ破裂するとも分からない風船という感覚なので、歩くだけでも慎重に行動しなければなりません。それでも、この頃は荷物は自分の分だけなのでまだ楽な方だとは出産してから分かりました。
生後間もない赤ちゃんを連れて外出するというのは豆腐を素手で運ぶような感覚ですし、イヤイヤ期の子どもを連れている時の親の心境は時限爆弾を抱えているようなものなのです。
私の個人的な見解では、妊娠中期と子どもの首がすわってからトイレトレーニングを始める前まであたりが子連れ外出は楽だと感じました。配慮されるべきは妊婦だけではないのです。

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病のある方、精神障害、知的障害のある方など、援助や配慮が必要な事が外見からは分からない方の為にヘルプマークというものも登場しました。
マタニティマーク、マタニティを応援するマーク、そしてヘルプマーク。出す人が出せば、電車の中はマークだらけになってしまうかも知れません。更には外見で明らかに配慮が必要だと分かる高齢者、身体障害者、怪我をしている人、幼い子連れの親などの他にも、連日の勤務で疲れている人、夜勤明けの人、風邪をひいている人、お酒を飲んで具合を悪くしている人など、「配慮されるべき人」はありとあらゆる場所にいるのです。もしかしたら失恋したばかりで女性が近くにいると精神的な辛さから具合を悪くする、という男性だっているかも知れません。

マタニティマークを着けている妊婦が嫌がらせを受けるのは、「自分はこんなに大変なのに幸せそうにしやがって」という嫉妬からなのかも知れません。そういう人はきっと、マタニティを応援するマークを見ても気分を害するのだろうと思います。
皆が皆、何かしらの事情を抱えているのだろうと思います。だからこそお互いに配慮が必要なのだと思います。
マタニティを応援するマークの発想も素晴らしいと思いますが、それではマタニティの人にだけ配慮する人、と思われてしまうかも知れません。
ならばいっそ、その優しさは「あなたが困った時に、私は力になりますマーク」にまで門戸を広げてしまってはいかがかと思います。そしてそれは最終的には「何のマークの表示もない社会」に繋がれば良いなと思います。
人の優しさを、いちいち可視化する必要のない社会こそが、私が我が子に望む世界です。