xharukoの日記

妊娠、出産、育児の中で思った事をつれづれ書きます

ひにんやくの話

真偽のほどは定かではありませんが、このような記事を見つけました。

アクセサリーとしてつけられる避妊薬が開発されている
https://www.gizmodo.jp/2019/03/we-are-one-step-closer-to-birth-control-jewelry.html

発表されたジャーナルによると、イヤリング、指輪、ネックレス、リストバンドに避妊パッチが内蔵されていてレボノルゲストレルという黄体ホルモン剤を体内へ放出するというもの。このレボノルゲストレルは避妊に失敗した場合に使用されるアフターピル(緊急避妊ピル)に配合されているホルモンで、普通は錠剤で摂取します。子宮内避妊用具(IUD)にもレボノルゲストレルを放出するタイプがあります。「私たちはイヤリングから直接レボノルゲストレルを肌に送り込むことは、血液中に正しい容量の薬が入るようにしっかり調整できれば、IUDなどと同じ効果があると考えています」と話すのはジョージア工科大学のMark Prausnitz教授。

(中略)

ご存知の通り、お腹、上腕、お尻、背中などに貼って使う避妊パッチ自体はすでに存在しています。しかし、3週間毎週張り替える必要があります。正しく使用された場合は99%の避妊率があると言われていますが、医療機関の全米家族計画連盟は失敗などを加味すると91%くらいの避妊率というのが現実的だと話しています。

日本では緊急避妊薬の販売すらまだ一般的ではないというのに、アクセサリーとして身に付けているだけで黄体ホルモンを接種できるようになる研究が進んでいるというのです。そもそもシールのように肌に貼り付けておくだけの避妊パッチというものが既に実用化されているという事にも私は驚きました。

便利なものが出来ると思ったと同時に、記事の文中にあった「避妊に失敗した」という一文が心にひっかかりました。
妊娠したくない、させたくないなら当然避妊をするでしょうが、そうなりたくなければそもそも、そのような行為をしなければ良いと思っているからです。妊娠して困る関係ならば、妊娠するかもしれない行為をしなければ良いのです。

避妊に失敗したと判明したという事は、新たな生命が宿った事に気が付いたという事です。「失敗した」という言い方をする以上、宿った生命は失敗作であり、諦める事が前提なのでしょう。

避妊が手軽になれば悲しい思いをする人は今よりもずっと減るでしょう。しかし手軽になればなるほど、性行為を「新しい生命を生み出す行為」だという事を忘れてしまう人もいるのではないかと危惧してしまいます。
避妊が女性主体になり、女性側の飲み薬やパッチ、アクセサリー着用で簡単に行えるようになればコンドームを使用しない男性が増えるでしょう。すると普段からピルを摂取していない女性、性行為後にアフターピルを飲まずに妊娠した女性は自己責任で妊娠したと言われるようになるでしょう。そこに男性の誠意は感じられず、それどころかDV(同意の無い性交渉)が助長される恐れを感じてしまいました。

記事によると男性の避妊薬というものも研究が進んでいるようです。子どもを望んだ時のみ妊娠できるようになる事は、悲しい思いをする人が減る訳なので素晴らしいと事だと思います。しかし、妊娠しなくなると油断して多くの人がコンドームを使用しなくなると、これまで以上に性感染症が拡がるおそれもあります。
ただでさえ梅毒をはじめとする性感染症が急増している事が社会問題になっているというのに、更に蔓延してしまうかも知れません。コンドームはこれまで避妊が主の目的として使用されていたかと思いますが、実は性感染症の予防も兼ねていた事を忘れてはいけないと思います。

避妊は「面倒なもの」であるべきで、だからこそパートナーを大切だと思った時こそきちんとするべき事だと思うのです。男性側が何もせず、女性側が飲み薬やパッチ、アクセサリーで手軽に避妊ができるようになれば、子作り時の特別感が薄れてしまう気がしてなりません。コンドームを使用しない性行為は、妊娠したいカップルにだけ許された特別な行為であるべきだと思うのです。

悲しい思いをしなくなる人が増える事には賛成です。避妊が手軽になれば産婦人科医も気分の悪い仕事が減るので嬉しい人もいるでしょう(収入減で泣く人はいるかも知れませんが)。
それでも、簡便化してはならない事も世の中にはあると思うのです。

娯楽は今の世には溢れる程にあり、愛情を確認したり表現したりする手段なら他にもあるでしょう。その上でどうしてもと言うのであれば、面倒な手順を経たきちんとした避妊を男女ともにするべきではないかと思うのです。
これまでにも何度も書いてきたかと思いますが、性行為は「子どもを作る大切な行為」なのですから。

男女のどちらもが妊娠を願った時の行為こそが快楽を越えた極致である。これを性教育で教えるべきだと思います。